第17話 異世界の脅威

 ユンカーマン基地を出た時点ではまだ静かだった空が、今はうなりを上げて風と雪を激しく振りまいています。

 馬車の中で、僕はシメオンに話しかけてみました。


「シメオン、あなたは軍隊に入ってもう20年と言っていましたけれど、なぜ軍人になろうと思ったのですか?」


 僕の問いに、シメオンはちょっと首を傾げて答えます。


「軍人になろうと思ったことなんて、一度もない。最初は徴兵さ。当時、猟師をやっているワーウルフは、重宝されたからな。魔弾銃を持たせれば、そのまま優秀な猟兵になる」


 僕は少し驚いて、こう聞きました。


「それなら、なぜ20年も軍隊に?」


 シメオンは、しばらくの間それには答えず、風の音を聞くように、目を閉じていました。


 馬車の中に、沈黙が訪れます。

 外では吹雪が、轟々とうなりを上げていました。


「……16年前、俺は親友を撃った」


 シメオンは、まるで吹雪の向こうに語りかけるかのように、ぼそりとそう言いました。


「そいつは、燃えるような真っ赤な髪の人間だった。俺は小さなころから山に入って狩りをして食ってきたから、友達なんていなかった。だから、そいつと初めて山で会ったときも、異種族だってことは気にならなかった。そいつは帝国本土から流れてきたはぐれ者で、似たような境遇だったからか、奴も俺がワーウルフであることを気にしなかった」


 シメオンは、昔を思い出すように、遠くを見つめながら、訥々と語ります。


「すごいやつだった。俺のように鼻がいいわけでもないし、赤い髪は山の中ではひどく目立つというのに、いつも俺より早く獲物を見つけて、一度狙ったら外すことがなかった。そいつに子どもが生まれたときは、山でいちばんでかい鹿を撃って、剥製を贈ったんだ」




 揺れる馬車の中、僕たちは一言も発さずに、シメオンの言葉に耳を傾けていました。


「それから、戦争が始まった。俺は徴兵され、軍隊に入った。軍隊生活は窮屈だったが、猟兵として一度山に入ってしまえば、あとは狩りをするより楽だった。山の中じゃ、人間の兵士なんてウサギよりひ弱な獲物だ。俺は実力を認められ、次第に重要な任務を任されるようになっていった」


 少しずつ、風が弱くなっていきます。

 シメオンの声が、ほんのわずか大きくなったような気がしました。


「16年前のことだ。俺は連隊長に呼び出されて、指令を受けた。ひどい任務だった。5日後、俺たちの部隊が守っている渓谷を、帝国の部隊が通る。もしその部隊の通過を許せば、前線の裏側に回り込まれるかたちになり、北部戦線は瓦解する。とはいえ、俺たちの戦力では、正面からその部隊を止めることは到底不可能だ。別部隊からの援軍は、おそらく間に合わない。残された手段は、敵指揮官の狙撃。それしか無かった」


 いつの間にか日が落ち、辺りは暗くなっています。


「……俺は、渓谷の森に入った。選び抜かれた優秀な猟兵10人がいっしょだった。そして、その10人全員が、翌日には死んでいた」


 ベベが、ごくりと唾を呑み込む音を立てました。

 シメオンが、馬車の灯りを点けます。


「敵の猟兵が先着していたんだ。敵の本隊は目前だ、連隊に逃げ戻るわけにはいかない。俺は敵を次々と殺していった。撃った敵兵は15人。森にいる人間、全員を殺したと思った。最後の敵の死体を確かめているとき、俺の左耳の横を、銃弾がかすめ、すぐ脇の岩に当たって魔弾が爆裂した」


 見ると、シメオンの左耳には、大きな傷跡がありました。そのときの傷なのか、わかりませんが、だいぶ古い傷です。


「敵が残っていて、俺を射程に捉えている。俺はすぐに岩陰に隠れ、敵を探した。しかし、森から人間のにおいはまるで嗅ぎ取れない。おそらく、何かの方法でにおいを消しているのだ。俺は恐怖に駆られた。初めての、まるで姿の見えない敵。敵は、ワーウルフの狩りをよく知っている人間だ。ワーウルフの猟兵たちが、一方的に殺されていったのは、こいつがいたからだ。俺は身を潜め、耳をそばだて、敵が動くのを待った。やがて、敵の部隊が眼下の渓谷に現れた。俺は死を覚悟して立ち上がり、狙撃を試みた」


 馬車が、いくつかの人家を横切ります。

 街が近いのかもしれません。


「同時に、はるか後方で人の動く音がした。俺はすぐさま向き直り、銃を構えた。スコープを覗いた先にいたのは、燃えるような赤い髪。俺のたった一人の親友だった」


 吹雪は止み、馬車の外では雪が深々と、静かに降り続いています。


「先に引き金を引いたのは俺だった。それから俺は敵の部隊長を狙撃した。敵軍が混乱を始めたところで、待機していた仲間の部隊が突撃し、敵の部隊を撃退した。そうして俺は勲章をもらったが、喜びはどこにもなかった。あいつは、なぜ俺を撃たなかったのか。あいつの腕なら、撃てたはずだった。それ以来、俺はあいつの息子を探している。父の仇として討たれるために。俺が軍隊にいる理由は、それだよ」


 街の灯が近づいてくるのが見えます。


「俺はなぜあいつを撃ってしまったのか。なぜ銃を捨て、立ち上がり、『俺だよ親友、殺し合いはやめよう』と言えなかったのか。義務感? 愛国心? 違う。俺は、怖かったんだ。殺されるのが、ただ怖かった。英雄などと言われるが、俺はただの臆病者だ。敵の前に立つのは怖ろしい。自分の銃で人が死ぬことを思うと、手が震える。だが、戦場から離れて生き延びてしまうのは、もっと怖ろしい。好きで20年も軍隊にいるわけじゃあない。俺は離れられないんだよ。誰かが俺を罰してくれるまでは」


 馬車は分厚い門をくぐり、僕たちはオルシュテインの街に入ったのでした。




 オルシュテインの街は占領直後なだけあり、兵士たちの姿が目立ち、異様な緊張感に包まれていました。

 北辺の都市であるために、風雪を防ぐ石の壁は分厚く、街全体が北国の厳しさを感じさせることも、その重苦しい雰囲気に拍車をかけています。


「ユンカーマン基地のシメオン准尉だ。クリオール総裁をお連れした。本営にお取次ぎ願いたい」


 シメオンが衛兵に告げると、伝令が即座に取り次がれ、僕たちはすぐさま港へと案内されました。


 オルシュテインはもともと北方における最大級の港湾都市です。大きな港であろうことは想像していたのですが、それでも、埠頭に着いた僕たちは、その巨大さに息を飲まざるを得ませんでした。


「これは……どれだけ大きな船を停めるつもりだったのでしょう。べセスダの港よりも、ずっと規模が大きい……」


 クリオがそうつぶやいたように、オルシュテインの港は帝国軍によって大幅に改修されており、信じられないほど巨大な泊地を備えていたのです。


「おお、クリオール殿。待っておりましたぞ。休む間もなくこんなところにお連れして、申し訳ない。いや、撤退を指揮した敵将は見事な手腕である。この地域の一般市民まで、まとめて船に乗せて行きおった。たしか、“鉄の心のルキア”とかいったか、まだ若いらしいが、すさまじい統率力よ」


 そう言って、近づいてきたのは、あのゴリテア候でした。大きな体を寒冷地用の装備で包み、いかにも臨戦態勢という風情です。


「ゴリテア候、お久しぶりです。異世界の兵器を発見されたとか……」


 クリオの言葉に、候はうなずきます。


「うむ、これまでに見たこともない規模のものだ。至急、貴殿に確認していただきたい。我々にはまるでその用途がわからんので、港周辺の兵は今も武装を解かず、臨戦態勢を維持しておるのだ」


 そう言って、候は僕たちを港の工廠らしき建物に案内します。


「ただ、わしとしては、あれを見ると、兵器というよりも、何かもっと根本的に世界を変えてしまう物のような、そんな不安を感じるのだ」




 その工廠は、特に厳重な警備が敷かれていました。

 百人近い衛兵に囲まれた工廠の中に入ると、ゴリテア候は、衛兵に明かりを点けるよう命じます。


「クリオール殿、これが何か、わかるかね?」


 工廠の中央に蟠るそれは、僕の想像したようないわゆる「兵器」とは、まるで異質な形をしていました。

 巨大な槍のような……しかし到底人に扱えるサイズではなく、また、細部が単なる意匠とは明らかに異なる複雑な形状を成しており、いったい何をするためのものなのか、まるでわかりません。


 クリオは、見た瞬間、はっと息を飲みました。

 それから、自分の直観を問い直すかのように、「兵器」の周囲を歩き回り、その形を確かめています。


「ゴリテア候、わかりました。これは、兵器ではありません。いえ、正確には、兵器の一部ではあるかもしれませんが……」


 しばらくして、クリオはそう言いました。


「兵器ではない……では、これは?」


 ゴリテア候の問いに、クリオは険しい表情で答えます。


「これは、“蒸気機関”です。私の世界で、およそ百年前に登場した、蒸気タービンと呼ばれる動力機関で、巨大な船舶を動かすための、いわば心臓部となる機械なのです」


 クリオは、その巨大な“蒸気機関”を見上げて言います。


「石炭や石油といった化石燃料を燃やし、大量の蒸気を発生させることで、この装置は急速に回転し、そのエネルギーを動力に変えることができます。私の知る限り、この国にある最大の船舶でも、鉄鋼版の装備はあれど基本的には木製で、最大乗員数はおよそ数百人程度……もし、この蒸気タービンを用いた船舶が完成すれば、それは完全に鋼鉄製で、かつ数千人を輸送できるものとなるでしょう」


 クリオの言葉に、ゴリテア候がうなります。


「なんだと? 数千人が乗れる鉄の船?」


「はい。海戦においては、その速力、積載できる火砲のサイズから考えて、通常の艦船では到底太刀打ちできないものになるでしょう」


 驚愕する僕たちを前に、クリオは言葉を続けます。


「それだけではありません。この“蒸気機関”は、私たちの世界において産業革命と呼ばれる、歴史の大転換を引き起こしたのです。この世界では、恐らくは魔法というものがあるために、こうした動力機関の開発は、かえって遅れているように思われます。そんな中で、突然こんな代物が出現したとしたら、計り知れないほどの脅威と言わざるを得ません……」


 クリオの言葉に、僕たちはしばし、返すべき言葉を失っていました。

 ややあって、シメオンが口を開きます。


「それで、こいつと同じものが、あんたにも作れるのか?」


 それは、確かに僕たち全員が聞きたいことでした。しかし、最初の審問会に出席していた僕やゴリテア候には、それは難しいだろうことが、わかっていました。


「これほどの精密機器、私には設計できません。一般的な知識として、これがどういうものであるか知ってはいても、具体的にどのような仕組みで動くのか、説明することもできません。それに、ここにある蒸気タービンは、まだまだ未完成のもののように思われます。帝国側に専門知識をもった人間がいるとすれば、ここからそれに対抗するようなスピードで開発を進めることは、おそらく難しいでしょう」


 クリオは、そうはっきりと言いました。

 彼女の目に、うっすらと涙が浮かぶのが見えます。


「ごめんなさい……私、こんな人とは戦えない……私には、知識も、技術もない……あなたたちの役には……」


 今にも崩れ落ちそうになるクリオの肩を、ゴリテア候がそっと支えました。


「何を言われるか。あなたがいてくれてよかった。こいつが恐ろしい兵器を生み出すことがわかったのだ。そうなれば、なんとしてもこれを魔王城に持ち帰り、学院の研究者総出で分析させるとともに、数千人を一度に運搬する鉄の艦船への対抗策を練る。心配なさるな、我々とて、来るとわかっている敵にそうむざむざとやられたりはせん」


 そうして、ゴリテア候は僕たちをも鼓舞するように言います。


「それに、こいつはまだ未完成なわけだ。わしが思うに、おそらく帝国でもまだ、こいつを載せられる船は完成しておらんのだ。だからやつらは、こいつをここに置いていかざるを得なかった。そうなれば、鉄の船が攻めてくるまで、まだ時間はあろう。2年か、1年か。その間に、我らは体勢を整えることができる。クリオール殿、あなたは内政で、わしは軍備で、それぞれわが国の力を蓄えるのだ」


 クリオの目から、涙がぽろぽろと零れます。

 ゴリテア候は、その巨体に似合わない、小さな白いハンカチを胸のポケットから取り出してクリオに渡します。


「しかし、こいつを運ぶのは大ごとだぞ。載せただけで、大抵の船は沈んでしまおうなあ」


 僕たちは、その巨大な機関を見上げながら、大勝利の後に立ち込める不吉な暗雲を感じずにはおれなかったのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る