第16話 人狼の狙撃手

 転移魔法というのは、魔術体系の中でも古典的な部類に属するものですが、非常に高コストな魔法であることは、古代から現代まで、一貫して変わっていません。

 転移の実行には、膨大な魔力を貯蔵しておき、これを一気に消費する必要があるため、基本的に大きな拠点同士の間でしか実施できません。また、転移するものの質量に応じて魔力の消費量が増えるため、大量輸送は不可能という弱点もあります。


 今回は、そうしたコストを支払ってでも、緊急に大陸北部へ赴く必要があったため、魔王城内に常設されている転移魔法陣の使用が許可されたのでした。


「中央銀行総裁、クリオール・クリオール様。特任秘書官、エルンスト・バルトルディ様。それから、特任通訳官、ベベ様。身分証の魔術照合が完了いたしました。お一人ずつ、魔法陣の中心にお進みください」


 転移魔法陣にはまず僕が入ります。

 陣の中央に進むと、魔力が自分の肉体に流れ込んで調和していくのを感じました。

 一度自分の肉体を魔力でぎりぎりまで圧縮し、魔力路を通じて、魔力の流れに乗せて移動するのです。これにより光に近い速度での移動が可能になるわけですが、肉体の圧縮と再構築はなんというか、気持ちのいいものではありません。


 自分の肉体が、細く捩れていき、魔力の束に変わっていく感覚。やがて、海の底に沈んでいくような五感の沈滞があり、眠りと覚醒の半ばする状態ののち……


 ――目を開くと、そこは北辺の地。ユンカーマンでした。




 肌を刺す冷気が、感覚の復元を告げるとともに、ここが大陸の最北であることを知らせてくれます。


「ようこそお出でくださいました。中央銀行総裁、クリオール・クリオール様。エルンスト・バルトルディ様。ベベ様。自分は、このユンカーマン基地を預かるユルゲン・クルト大佐であります」


 転移を終えた僕たち3人の前に、黒々とした豊かな毛並みの、いかにも軍人然としたワーウルフが立っています。


「転移魔法でお疲れのところ、申し訳ありません。嵐の兆候があり、明日になると一帯は猛吹雪となる恐れがあります。吹雪となれば1週間から、長ければひと月、ここに足止めされる危険があります。すぐにご出立いただき、峡谷を超えていただきたい次第です」


 それからクルト大佐は僕たちを馬車にまで案内します。


「峡谷を超えれば、オルシュテインまでは平地が続きます。吹雪の影響は小さく、馬車で進むことが可能でしょう。ただ、敵軍を駆逐してまだ間もないため、敗残兵が潜んでいる可能性があります。ユンカーマン基地きっての勇者が道中をお守りいたしますので、どうぞご安心ください」


 そう語るクルト大佐の後ろから、もう一人のワーウルフが姿を現しました。

 戦いのために極限まで鍛え上げられ、無駄な肉のそぎ落とされた肉体。そして、その身を包む、白銀の毛並み。一目で、ワーウルフの中でも最強の部類の個体であることがわかります。


「彼はシメオン准尉。正式な辞令はまだですが、今回の軍功でさらに二階級特進を予定しております」


 クリオが頭を下げて挨拶をします。


「よろしくお願いいたします、シメオン様。二階級特進ということは、抜群の軍功であったのですね」


 シメオンと呼ばれたワーウルフは、静かに頭を下げて黙っています。代わりにクルト大佐が答えます。


「シメオンの武功とは、敵総大将の撃破。彼は、領内に侵入した敵軍の本隊にただ一人で接近、その総指揮官の狙撃に成功したのです」


 賞賛の面持ちで語るクルト大佐に反して、シメオン准尉の表情には変化がありません。クルト大佐は気にせず続けます。


「敗残兵が潜む道で最も警戒しなくてはならないのは、狙撃です。その中で、彼は最高の護衛となるでしょう。そして、誰かを守るための戦いは、彼にとっても……いえ、これは余談でした。シメオン、必ずやクリオール氏を無事オルシュテインに送り届けてくれ」


 クルト大佐の言葉に、シメオンが答えます。


「了解しました、大佐」


 シメオン准尉は静かに答え、馬車に乗り込みます。


 僕たちが彼に続いて馬車に乗ると、彼はこう言いました。


「クルト大佐の言葉にもあった通り、不意の狙撃に備えなくてはならない。この馬車には、防弾用の鋼板を備え付けている。クリオール氏はこちら、エルンスト氏はこちら、ベベ氏はこの位置に座っていただきたい」


 僕たちは彼の指示に従って、それぞれ馬車の特定の位置に座ります。


「2時間も進めば峡谷を抜ける。それまでは、外の様子を覗いたり、立ち上がったりすることは、極力控えてほしい。特に危険な場所では、おれが合図をするから、そこでは絶対に動かず、もし銃撃されても、決して外に飛び出たりしてはいけない」


 そうして、僕たちは雪原に馬車を進めたのでした。




 馬車がユンカーマン基地を離れてから、シメオン准尉は一言も喋らず、馬車の中から周囲を見張っています。


「あの……シメオン准尉は、軍隊に入られてもうだいぶ長いのですか?」


 クリオが重苦しい空気を和らげようと、そう聞きました。


「……シメオンでかまわない。軍隊生活はもう20年になるが、階級というやつは、どうも肌に合わないんだ」


 シメオンは、意外にも穏やかな声でそう答えました。


「20年……」


 ベベが、深刻な表情でそうつぶやきます。


「シメオンさん、16年前も北部戦線で戦われたんですか?」


 少しの沈黙のあと、シメオンは答えました。


「ああ、あの時から、おれは北部戦線にいたよ」


「僕の父が、あの戦いで死んだんです。コクマ村のオーク部隊です。村から出征した男たちが、全滅した部隊です。何か知りませんか?」


 ベベの言葉は、切実なものでした。

 シメオンは、しばらくベベの目をじっと見つめてから、はっきりと言いました。


「アルサム地方から来たオークは、その多くが後方部隊に配属され、輜重隊となった。戦闘経験のほとんどない者たちに配慮した配置だった。しかし、北部戦線ではそれが裏目に出た。糧秣に窮した敵軍に襲撃され、一部隊まるまる壊滅した隊があった。恐らく、その部隊に所属していたんだろう」


 ベベは、うっと胸を押さえ、うつむきながら、それでもシメオンにお礼を言います。


「……ありがとうございます。僕たちには、北部戦線で勇敢に戦って死んだとしか、知らされていなかったから……」


 その時、シメオンが鋭い声で言いました。


「頭を下げろ。火薬のにおいだ。狙われている」




 次の瞬間、乾いた音が響き、馬が嘶き倒れました。馬車が大きく揺れ、横倒しになります。


「……クリオ!」


 僕がとっさにクリオをかばおうとすると、すでにクリオとベベは、シメオンによって抱えられていました。


「敵の狙撃手を確認した。全員、動くな」


 シメオンが、背にした銃を取ります。

 張り詰めた空気。

 僕たちは息を殺して、横倒しになった馬車の陰に身を伏せます。


「……16年前の戦いは地獄だった。それまで、この地域はさしたる戦火にも見舞われず、戦争中とはいえ、人間と魔物はわずかながらも交流をもち、共存していた。それが一瞬で、互いに殺し合う仇敵に変わった」


 シメオンはそう言いながら、敵の位置を探るように、鼻と耳をぴくぴくと動かしています。


「そこで、俺はかつての親友を撃ち殺した。ちょうど、こんな風に銃を持って向き合い、先に動いた方が死ぬという状況だった」


 その言葉に続けて、彼は僕にこう聞きました。


「バルトルディ秘書官、火は出せるか?」


「火? 炎の魔法ですか?」


 僕が聞き返すと、シメオンは指で小さな丸を描き、必要な火の大きさを示して言います。


「小さな火の玉だ。一瞬、敵の目を引くだけでいい。おれの合図に合わせて、そっちから馬車の前側に炎を飛ばしてくれ。雪原でも目立つようなやつをな」


 僕は彼の意図を把握してうなずき、高速詠唱で真っ赤に輝く魔力の炎を生み出しました。

 小さいけれど派手に激しく燃える種火が、僕の指に燈ると、シメオンが大きな声で吠えます。


「飛ばせ!」


 その声に応じて、僕は種火を馬車の前方、倒れている馬のほうにに向かって放り投げます。

 ほとんど同時に、シメオンが馬車の後ろ側から飛び出し、銃を地面に固定します。


 その時、僕はまるで時間が引き伸ばされたような、奇妙な感覚に襲われました。

 心臓の律動が聞こえるほどの静寂。

 シメオンは、全身を無防備にも狙撃手の視線に晒しながら、僕の放った種火に敵の視線が向くわずかな間に、照準を合わせ、敵を撃とうというのです。


 そうして、僕ははっきりと見たのです。

 シメオンの指先が、小刻みに震えているのを。

 沈着冷静だった彼の表情がゆがみ、まるで非常な苦痛に耐えているかのような表情を浮かべているのを。


 それは、あくまで一瞬のこと。

 シメオンは、何かを押し殺すように小さく息を吐くと、指の震えはぴたりと止まり、同時に指が引き金を引いたのです。


 火を噴く銃口。

 雪積もるの林の中に吸い込まれていく銃弾。


 僕には、その銃弾が敵を倒したのか、あるいは外れてしまったのか、まるでわかりません。ただ、数秒の沈黙の後、シメオンが静かに言いました。


「……敵の狙撃手を捕獲する。ついてきてくれ」


 そう言う彼の指が再び小刻みに震えているのを、見ないわけにはいきませんでした。

 僕の視線を避けるように、シメオンは迷わず森の中に入っていこうとします。


「ま、待ってください! 敵を倒したなら、急ぎこの場を離れるべきでは? さらなる襲撃があるかも……」


「この周囲にもう狙撃者はいない。いれば、俺たちはもうとっくに撃たれている。それよりも、敵の身元を確かめたい」


 そのとき、大きな爆発音が響きました。


「……やられたな」


 シメオンが、苦虫をかみつぶしたような顔で言います。




 爆発音のした先に向かうと、そこには、一山の灰が積もっていました。

 この禍々しい魔力を遺した灰には、見覚えがあります。


「これは自爆魔法……学校で習いました。自爆魔法を使った術者は、このような灰になってしまうのだと」


 僕の言葉を聞いて、クリオとベベは灰から目をそらします。


 シメオンは、残された灰のにおいを嗅ぐと、小さく首を振り、周囲を見渡しながら言いました。


「大したやつだ。この距離から狙撃してくるとは、まさか反撃されるとは思ってもみなかっただろう」


 振り返れば、僕たちがいた場所は、すでにはるか後方です。


「しかし妙だな。たった一人で俺たちを狙ったのか。そして、傷を負うと、まるで自分の身元を隠すように自爆。敗残兵の行為とは思えない」


 シメオンはそういぶかしみながらも、さして気にした風もなく、馬車のあったところに戻ります。


「馬が撃たれた。ここからは徒歩になる。急いで渓谷を抜けよう」


 そのシメオンの言葉に、僕が応えます。


「いえ、馬は無事です。さっき炎を投げたとき、治療魔術をかけておきました。倒れたときに骨折などしていなければ、すぐに出発できるでしょう」


 僕の言葉に、シメオンが笑います。


「秘書官、あんたなかなかやり手だな。俺とバディを組まないか? あと2~3人は帝国の将軍を狙撃できる」


 しかし、射撃前のあの一瞬、あの彼の姿を見てしまった僕には、うまく笑うことができません。

 馬車に戻ると、幸いなことに、馬の足は無事でした。

 僕たちは、どこかに不穏な気持ちを残しながらも、無事雪の渓谷を抜け、オルシュテインへの道を急いだのでした。

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