第4章 一筋縄ではいきません
第15話 北部戦線異常あり
クリオの大規模な金融緩和に対する市場の反応は、すばやいものでした。
緩和と機を合わせて魔王府から北部魔力路敷設計画が発表されると、途端に陸運業やアルサム地方の各種食品銘柄などに投資が集まり、主要な駅となると見られる都市に建設ラッシュが起こったのです。
「クリオ、こんな反応まで予測していたのですか?」
僕がクリオに聞くと、クリオは少し困ったような表情で答えました。
「財政政策に先行して投資が起こることは想定していましたが、ここまでの規模になるとは……まだ詳しい統計は出ていませんが、早くも人手不足が生じる可能性があります」
「でも、それは狙い通りでしょう? 人手不足になった結果、賃金が上昇して、インフレになる」
「ええ、それはそうです。とはいえ、インフレの過熱もまた、警戒しておく必要があります。あくまで私たちの目標は緩やかなインフレであり、バブルをつくって崩壊させることではありませんから」
しかし、クリオの懸念をあざ笑うように、事態はより複雑な方向へと動いていくのでした。
金融緩和の実施からひと月ほどが経ったある日、ベベが慌てて総裁室に駆け込んできました。
「クリオさん、エルさん、大変です! 北部戦線が!」
「まさか、敗戦!?」
クリオが弾かれたように立ち上がります。
魔王軍が防御に徹する限り、北部戦線が決壊する危険はほとんどないというのが大方の見解だったのですが、何かの間違いで、もし大敗があったとすれば、事態は深刻です。
北部地域が戦火に侵されれば、魔力路敷設に関連する投資が回収不可能になるだけでなく、モルドに対する信用も崩壊し、一気に金融危機に至る危険も考えられます。
蒼白になったクリオを見て、ベベが急いで訂正します。
「いえ、逆です、逆! 北部戦線で、魔王軍が大勝したんです」
ベベが魔王府に配布された現地からの急報を広げます。
これによると、北部戦線へ通じる魔力路の敷設計画を察知した帝国軍が、魔力路の爆破を狙って、無謀にもユンカーマン基地を迂回して国境の内側に侵入したものの、魔王軍の反撃によって敗走、現在も陸軍による追撃が続いているというのです。
戦闘の経過についての記事を見ると、どうやら、帝国軍はわが国の領内を行軍中に、指揮官が魔王軍の猟兵による狙撃を受けて死亡し、これによって雪崩式に帝国軍が潰走してしまったようです。
僕はクリオに聞いてみました。
「これは予想外の事態ですが……経済への影響はどうなるのでしょう?」
クリオは頭の中を整理するように、こめかみに拳を当てながら答えます。
「まず、敗戦でなくて安心しました。戦勝なら直ちに金融危機が発生するようなことはないでしょう。しかし、経済への影響は大きいはずです。もちろん良い影響もありますが、悪影響としては……ええと……可能性の幅が広すぎて混乱してしまいますね……」
ベベが不安そうにクリオの顔を覗き込みます。
「珍しいですね、クリオさんが悩むなんて」
「とりあえず、レミ姉に連絡してみては? あの人なら何か情報を掴んでいるかもしれませんし」
僕がそう言うと、クリオはすぐさま直通回線のカードを取り出しました。
「もしもし、レミリア様ですか? 私、クリオです。北部戦線のニュースはお聞きですか? 中央銀行としての対応についてご相談したく……」
すぐさまレミ姉が返事をします。
「クリオ、わたくしもつい今しがた聞きましてよ。情報が錯綜していて、なかなか正確な状況が掴めませんの。帝国軍は湾岸都市まで退いて反抗の構えという報せもあれば、大陸北部から撤退しつつあるという情報もありますわ。どこで落ち着くかによって、考えられる影響もさまざまです。とはいえ、中銀がオタついたところを見せれば、市場は混乱してしまいますわ。『状況を注視するが、ひとまず深刻な金融危機に陥る危険はない』とでも声明をお出しなさいな。ごめんなさい、わたくしもこの件でてんてこ舞いですの。またご連絡くださいませ。それではごきげんよう」
レミ姉はそこまで一気に言い切ると、一方的に回線を切ってしまいました。
クリオは困った顔で言います。
「……レミリア様でも、具体的な影響についてはまだ見えておられないのでしょうか。ともかく、市場の動揺を防ぐために、声明の準備を進めておきましょう。恐らく魔王府から国民に向けて戦勝報告が出ますから、これに合わせて中央銀行からもアナウンスを出させてもらいます」
こうしてひとまず状況がはっきりするのを待つことにした僕たちでしたが、魔王軍勝利の報せが届いてからわずか三日後、信じられないような命令を受けることとなったのです。
「本気ですか、エテルナ様!?」
その辞令を受け取ったとき、僕は思わずそう聞き返してしまいました。
クリオと僕がエテルナ様から受けた命令は、なんと北部のユンカーマン基地に向かえというものだったのです。僕はともかく、今や中央銀行の総裁であるクリオが受けるような内容の任務ではありません。
「ああ、納得できないのも無理はない。だが聞いてくれ」
エテルナ様の話では、北部戦線の大勝は予想外の戦果を収め、大陸北部の港湾都市オルシュテインを占領するまでに至り、大陸北部から完全に帝国の勢力を駆逐することに成功したということでした。
「占領したオルシュテインから、統治のために先行したゴリテア陸相が、火急の報せをもってきた。港の工廠で、見たことも無い、兵器と思しきものが発見されたというのだ」
その一言で、クリオの表情が、険しいものになりました。
「つまり……異世界の兵器ということでしょうか」
クリオの問いに、エテルナ様が答えます。
「銃や火薬といったものは、用途は異なってはいても、この世界にも一応存在していた。しかし、今回ゴリテア候が発見したものは、完全に未知のものだという。どう使うものなのか、想像もつかないそうだ。異世界の技術を使ったものと見て間違いないだろうが、ゴリテア候を焦らせているのは、その兵器のもう一つの特徴だ」
「もう一つの特徴?」
僕が聞くと、エテルナ様は静かに答えました。
「港から運び出せないほど巨大なのだそうだ。銃や大砲程度なら、コストはかかるが転移魔法陣を用いて、魔王城まで送らせることができる。しかし、ゴリテア候が見つけたそれは、大きすぎて不可能なのだ。クリオに直接出向いて見てもらうしかない。そして、その大きさから見て、何か深刻な事態をもたらすものではないかと、ゴリテア候は危惧している」
その言葉を聞いて、クリオが言います。
「容易に運び出せないような巨大な兵器……あまり思い浮かびませんが、そういうことであれば、行かないわけにはいきません。エテルナ様、ご命令通り、私が向かいます」
「すまない、クリオ。できることなら、私も危険な戦地にクリオを送るようなことは避けたい。だが、今回は事情が事情だ。魔法学院に転移魔法陣を用意させた。ユンカーマン基地まで転移し、そこから陸路でオルシュテインに向かってくれ」
季節はもう冬。
雪深い北部戦線に、僕たちは向かうこととなったのでした。
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