第11話 黄金の穂波

 僕たちが宿屋の前に着くと、もう周囲を村人たちが取り囲んでいました。村長が息を切らしながら、村人たちに聞きます。


「ケガ人は!? ポーラとベベは!?」


 オークの男が進み出て、それに答えます。


「大丈夫だ、ケガ人はまだいねえ! ただ、奴ら、ポーラとベベを人質に、宿屋に立てこもってやがる……」


 そのとき、宿屋の二階の窓が割れ、そこから荒々しいワーウルフの声が聞こえました。


「おい、てめえら! こいつら生きて返してほしけりゃ、魔王府の調査官2人を連れてこい! そいつらと交換だ!」


 その声を聞いて、僕とクリオは顔を見合わせました。


「来てるんだろう! さっさと連れてこい! 10分以内にどちらかでも連れてこなきゃあ、こいつらの片方を殺す!」


 ワーウルフの声に、村人たちがどよめきます。その様子を見て、トーベ村長が僕らに声をかけてくれました。


「ご安心ください、あなた方を引き渡すようなまねはいたしません」


 しかし、見ると村人たちが手にしているのは、熊手や鍬ばかりです。これでは、相手が丸腰でもない限り、ケガ人を出さずに暴漢を取り押さえるのは難しいでしょう。


「宿屋に立てこもっているワーウルフは何人ですか? 武器は何を持っているか、わかりますか?」


 僕が聞くと、若いオークの男性がそれに答えてくれました。


「あ、ああ、ワーウルフは全部で3人だ。全員、宿屋の中に入った。武器は、弓を持った奴が1人、あとは剣と短剣だ」


「銃はありましたか? 鎧は?」


「銃も鎧も持ってねえ。奴らが宿屋に駆け込む前に、はっきり見たんだ。間違いねえ」


 クリオが不安そうに聞きます。


「エル、なんとかして助けられませんか?」


 僕は、少し考えてから、言いました。


「銃も鎧も持っていないとすれば、基本的な対魔法装備も備えていないでしょう。それなら、なんとかなると思います」


 この言葉は、決して軽率な蛮勇から口にしたものではないつもりです。

 ワーウルフは比較的魔法耐性の高い種族ではありますが、現代の魔術の水準では、耐魔術のエンチャントを施した武具を身につけていなければ、問題になりません。正面からぶつかっても、3人程度なら容易に撃退できるでしょう。


 ただ、問題は2人の人質です。時間さえあれば、宿屋を取り囲むように魔法陣を構築して、中のワーウルフの動きを完全に封じてしまうこともできるのですが、10分という時間制限があっては、難しい作戦です。


「エル……本当に大丈夫ですか? 危険なことは……」


 クリオが心配そうに僕の手を取ります。


「ええ、任せてください。……僕だって、役に立つんです。ちゃんとね」


 僕はクリオの手を放すと、宿屋に向かって歩きながら、呪文を詠唱します。

 詠唱といっても、周りの人には声は聞こえず、僕の口が細かく動いているようにしか見えないでしょう。魔術的な言語圧縮を組み込んだ高速詠唱で、周囲にどんな呪文を詠唱しているかを悟らせず、通常では数分かかる詠唱を数秒で完了するしくみです。

 こうして発生させた魔法を、手持ちの宝石に封じ込め、さらに次の魔法を詠唱。3つ分の攻撃魔法を手元に保持します。


 宿のすぐそばまで歩くと、宿の壁に小さな魔法陣を描き、そこに触れ、目を閉じます。どうやら中のならず者どもは、魔術的には素人同然。透視魔術への対策すら施していないようです。


 1階に、縄で両手足を縛られたポーラさんとベベ。それにワーウルフが2人。2階に弓を持ったワーウルフが1人。中の様子は完全に把握することができました。

 これなら、僕だけでも十分、2人を救出することができそうです。


「魔王府の特任調査官、エルンスト・バルトルディだ。投降する! このドアを開けて、2人を解放してくれ!」


 僕が玄関のドアの前に立ち、多少の誇張を込めてそう告げると、2階の窓からわずかに顔を出したワーウルフが、声を上げます。


「いいだろう……お前は中に入れ! おい、ドアを開けてやれ!」


 ワーウルフの声に応じるように、ドアの鍵が開きます。おそらく人質を捕えたまま、僕を拘束してしまおうというつもりでしょうが、欲をかいてあっさり僕を中に招き入れたのが運の尽きです。

 ドアが開いた瞬間、僕は宝石を2つ空中に放り、先ほど詠唱した魔法を解放しました。


 2人のワーウルフに向かって放たれる、激しい電撃。

 強烈な破裂音とともに、倒れるワーウルフたち。

 

 全身の神経系にショックを与え、瞬間的に体の自由を奪う、非致死性の高度な電撃魔法です。


「しばらく、じっとしていてください」


 奥のポーラさんとベベに声をかけながら、縄抜けの簡易魔法を唱えます。


 ほとんど同時に、上の階から音を聞きつけたワーウルフが弓を構えながら降りてきました。


「てめえ……やりやがったな!」


 ワーウルフの瞳が怒りに燃えています。ここは少し気を逸らしておいたほうがよいでしょう。僕は努めて冷静な声で応じます。


「いいえ、気絶してもらっただけです。僕の魔法は、そんな原始的な弓なんかよりもずっと早いですよ。僕は魔王府直属の特務官です。これ以上抵抗すれば、あなたの行為は魔王への反逆、国家反逆罪になりかねません。弓を下ろし、投降してください」


 ワーウルフが不敵な笑みを浮かべて言います。


「ヘッ……やってみろよ」


 瞬間、宝石から魔法を解放。

 放たれる電撃――


「……消えた!?」


 魔法が、ワーウルフの体に届かない!

 奇妙なことに、ワーウルフの胸元で、電撃が煙のように消えてしまいました。


「へ……ヘヘ……脅かしやがって。コイツがあれば、魔法なんて効かねえんだよ」


 そう言って、ワーウルフが胸から取り出して見せたのは、小さな黒い宝石のついたペンダントでした。


 かつて僕も授業で見たことがあります。高位のダークエルフが戦場で使用する装身具で、その宝石は、小規模な魔法をほとんどすべて無効化してしまい、身につけた者の身を守る効果を秘めているのです。


「そんなもの……どこで……」


 これは完全に予想外でした。

 つかの間、思考が止まってしまい、僕は棒立ちになっていました。


「おっと、呪文を唱えるんじゃねえぞ、後ろを向いて手を挙げろ!」


 僕は言われるまま、後ろ向きになり、両手を挙げます。


「よし、さるぐつわを噛ませてやる。おとなしくしてろよ……」


 ゆっくりとワーウルフが近づいてくるのを背中に感じます。残された逆転のチャンスは一瞬だけ。悟られないように高速詠唱を急ぎます。


 ワーウルフが、僕の背後に立ち、さるぐつわをかけようとする……

 その瞬間――ガコン、と響く鈍い音。


 とっさに後ろを振り向くと、そこにはフライパンを振り下ろした格好のポーラさんと、ワーウルフの足に噛みつくベベがいました。ワーウルフは、打たれた頭を抱えています。


 生まれて初めて、考えるより先に動く体。

 狙いは、ワーウルフの胸に輝く宝石。

 掌で石に触れ、魔力を一気に――

 

 音も無く崩れる、黒い宝石。


 頭を上げ、弓を引くワーウルフ。

 高速詠唱、右手に魔力を集中。

 弓よりも、わずかでも速く!


 奔る、閃光。


 爆音とともに、暖炉に向かってワーウルフの体がふっ飛びます。

 衝撃が、宿全体を揺らしました。


 ……どうやら僕は、無事、2人のワーウルフを倒すことができたようです。


「……はぁ、死ぬかと思った」


 僕は大きく息を吐き、その場に座り込んでしまいました。

 正直、こんな大立ち回りを演じたのは、生まれて初めてです。隣では、ポーラさんとベベが抱き合って泣いています。

 少し遅れて、熊手を構えた村の男とクリオが、宿に駆け込んできました。


「エル! 無事ですか!?」


 クリオまで鍬を握りしめています。僕はなんだかおかしくなって、笑いながら答えます。


「ハハ……無事、2人とも救出できました。ほめてください、クリオ」


 そう言うと、クリオは鍬を捨て、座り込んでいる僕に駆け寄り、僕の頭を強く抱きました。


「エル、無茶をしないで。あなたは私の秘書官でしょう? 私を置いていなくなるなんて、絶対許しません……!」


 僕の頬に、クリオの涙がぽとりと落ちました。女の人を泣かせてしまうのも、人生で初めてのことです。


「わかりました、クリオ……。誓って、あなたを一人にはしません」


 そこまで言ってから、僕は急に意識が遠のいていくのを感じました。どうやら慣れない攻撃魔法の連発で、魔力を急激に使いすぎてしまったようです。

 僕は、クリオの胸の中で、ゆっくりと意識を失いました。




 ――さて、僕が再び意識を取り戻すと、そこはすっかり片付いた宿屋の部屋の中でした。窓から朝日が差し込んでいます。


「エル、よかった。気がつきましたか」


 ベッドのすぐそばで、クリオが僕の顔を覗き込んでいます。


「クリオ……すみません、僕、気を失ってしまって」


「いいえ、あなたのおかげで、ポーラさんもベベも、無事取り戻すことができました。みんなあなたに感謝しています」


 クリオが、いつもの優しい微笑みを浮かべて言います。


「そうだ、あのワーウルフは?」


 立ち上がろうとする僕に、クリオが手を貸しながら答えました。


「3人とも無事です。すごいですね、エル。あの状況で、命を奪わないどころか、大きなケガもなく捕えるなんて。今は、村の人が拘束し、村長が尋問しています」


 最後の一人は、魔力の調整に自信がなかったのですが、無事だったようでなによりです。


 僕たちがラウンジに降りると、ポーラさんが僕に駆け寄ってきました。


「おお、おお、気がついたかい! ありがとうよ、あんたはあたしらの命の恩人だ。どんだけ感謝してもしたりないよ」


 そう言って、僕の手を取ります。


「いえ、ポーラさん、あなたこそ僕の恩人です。あなたの勇気がなければ、今頃、僕はどうなっていたか……」


「何を言うんだい、まったく、いい男なのは顔だけじゃないねえ、あんた。クリオさんにも、感謝するよ。村の者たちを集めて、宿の修理をしてくださって……おかげさんで、暖炉もすっかりきれいに元通りだ」


 確かに、見ると僕がワーウルフをぶつけて壊した暖炉が、元通りに直っています。


「い、いえ、私はなにも……」


 クリオは少し困った顔で笑います。


 ポーラさんが、暖炉のまわりを掃除していたベベを呼び寄せました。


「ほら、ベベ。あんたもお礼を言いな」


「クリオさん、エルさん、僕、このご恩は一生忘れません。本当にありがとうございました!」


 そう言うベベの頭を撫でながら、ポーラさんが言います。


「それから、恩人に重ねてお願いするのは気が引けるんだけど、ねえ。もう一つだけ、お願いがあるんだ。聞いてくれるかい?」


 ポーラさんの柄になく、持って回った言い方です。クリオが、にっこりと笑って聞きました。


「なんでしょう?」


「この子を、ベベを、魔王城に連れていってやってほしいんだ」


 その言葉には、僕もクリオも、少なからず驚きました。でも、いちばん驚いたのは、ベベ本人だったようです。


「母ちゃん……?」


「今度のことで、あたしゃ思ったんだ。あたしも、いつまで元気でいられるかわからない。自分がこの子の重荷にならないうちに、この子には、自分の人生を歩ませてやらなくちゃって。なあ、ベベ。あんた、行きたいんだろう?」


 ポーラさんの言葉に、ベベは、ためらいがちにうなずきます。

 差し出がましかったかもしれませんが、僕はポーラさんの提案に賛同しました。


「……クリオ、僕は、よい提案だと思います。独学で人間の言葉を身につけるだけのやる気があれば、いつか魔法学院にも入学できるかもしれません。僕が言語魔法研究科の先生を紹介します。下働きをしながら、魔王城に住んで、学ぶことはできると思います」


 クリオは、少し心配そうな顔で、ポーラさんに聞きます。


「でも、ポーラさん、ベベが出ていったら、あなたは一人になってしまいます。それでもいいのですか?」


 ポーラさんは、その問いに、しっかりとした言葉で答えました。


「旦那が戦場に行ってから、16年。この子のおかげで、あたしは幸せだった。これ以上欲張っちゃあいけないよ。小麦だって、収穫したら、次の年のために、種を植えなきゃあいけない。そうして未来はつながっていくんだ」


 クリオが、今度はベベに聞きます。


「ベベ。あなたが決めて。私もエルも、あなたを歓迎します。でも、あなたの気持ちはどう? お母さんに、ちゃんと伝えて」


 ベベは、ポーラさんのほうを向き、涙ぐみながら言いました。


「母ちゃん……僕は、行くよ。いっぱい勉強して、みんなにバカにされない大人になって、ここに帰ってくるよ」


 ポーラさんは、ベベをしっかりと抱きしめると、その目から大粒の涙をこぼしながら言います。


「ああ、ベベ。あたしの息子。何度もどついて、ごめんよ。あんたはあたしの自慢の息子。あたしの、命より大事な宝物。だからね、行ってきな。あたしは、あんたが幸せになるのが、なによりいちばんうれしいんだ。広い世界を見て、自分の幸せを見つけてくるんだよ」


 クリオが二人に声をかけます。


「わかりました。ベベは、私が責任をもって、魔王城に連れていきます。ベベ、よろしくね」


 そのとき、開け放たれた窓から、夏のさわやかな風が、宿の中に吹き込んできました。


 窓の外は、一面の麦畑。

 金色に輝く麦穂の海を、風が撫でています。まるで、我が子を慈しむかのように、穂波の上を、何度も、何度も、風が吹きぬけていきました。

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