第3章 魔物の国の中央銀行
第12話 中央銀行をつくりましょう
「それから僕たちは、アルサム地方の農村をいくつか訪問しましたが、意外にも、旧領主が強権的な影響力をもって運営されている村はほとんどありませんでした。旧領主階級はむしろ農地解放で土地を現金化したのち、その資産運用を事業とするようになり、小作農を搾取するやり方は時代遅れになりつつあるようです。とはいえ、オークたちの中には稚拙な農場経営によって逆に債務を抱え、土地を手放してしまう者も少なくはないように見えました」
「ちょっと待って、結局、そのワーウルフたちは、どうしてあなたたちを狙ったんですの?」
レミ姉が、僕の話をさえぎって言います。
魔王城に戻った僕たちは、早速エテルナ様に調査の報告を求められたのですが、なぜか魔王執務室には、レミ姉もいたのです。
「村長が尋問した結果、彼らは北部戦線の退役兵でした。除隊後に故郷に戻ったものの、失業してしまい、野盗まがいのことをしていたところ、人間に捕まり、金で今回のことを依頼されたとか」
僕がそう話すと、エテルナ様がうなずいて言いました。
「あり得ないことではない。異世界の人間が魔物の国にも現れたという噂は、帝国の側にも流れているようだ。異世界の技術が帝国にもたらした利益を思えば、新たな訪問者も、捕獲、もしくは殺害しようとすることは考えられる」
そこで僕はエテルナ様に少し抗議しました。
「でも、僕たちがあの村にいるということが、どうして人間側に伝わっていたのでしょう?」
これにはレミ姉が答えます。
「まあ、わたくしもあなたたちの行動は把握できておりましたし、情報統制がやや甘かったかもしれませんね。まさか、人間側がこんなに早く行動してくるとは思いませんでしたけれども」
レミ姉の言葉を受けて、エテルナ様が僕とクリオに言いました。
「すまない、クリオ、エル。私の判断が甘かった。これからは、クリオの行動予定は完全機密とし、魔王府の外には絶対に出さないようにしよう」
これにはクリオが首を振ります。
「お気になさらないでください、魔王様。あなたがエルをつけてくださったから、私は無事に帰ってくることができたのです」
エテルナ様は、少しうつむいて、クリオに応えました。
「ありがとう。しかし、私にはもう一つ気になることがあるんだ。エルの話の中にあった、老人の言葉……」
エテルナ様は、苦しそうな顔をして、言葉をつなぎます。
「飢饉は人の罪だという。それはすなわち、為政者の罪ということだ。やはり、魔王の政治は悪政だったのか?」
この問いは、エテルナ様にとって、重い意味をもつ問いです。しかしそれだけに、容易には答えることができない問いなのでした。
エテルナ様の問いに対して、最初に答えたのはレミ姉でした。
「16年前、エテルナ様はまだ幼くていらっしゃったのですから、ご存知なくても無理はありませんわ。でも、その老人の言うことには、多少の誤認があると言わざるをえません」
「誤認、ですか?」
クリオが聞くと、レミ姉は小さくうなずいて語り出しました。
「ええ。このあたりは個人的に気になって、つい最近、人を使って調べさせましたの。まず、16年前に大凶作が起こり、それをきっかけに戦端が開かれたのは事実ですわ。でも、このとき国は迅速に国庫を開き、市中にある食料を購入、飢饉の重篤な地域を中心に分配しています。これは国の資料だけでなく、銀行の取引記録、卸売業者や運送業者の記録とも一致しており、間違いありません。ただ、当時の閣僚たちにとって予想外だったのは、帝国による突然の侵攻でした」
レミ姉はエテルナ様のほうを向いて、続けます。
「想像してみてください。足元の飢饉に、侵攻してくる大規模な外国勢力。国境線は広く、長く、すべての拠点を防衛するには兵力が足りない――皆様なら、どう対応されるでしょう?」
レミ姉は一同の顔を見渡して、それぞれが何らかの答えを頭に浮かべたことを見て取ると、あえてそれを聞かず、言葉をつなぎました。
「事実として、魔王グラムとその閣僚たちは、ある決断を下しました。それは、市中から集めた食料を、糧秣として前線に送り、同時に飢饉に喘ぐ人々から兵を募って、彼らを前線に送るという非情な政策です。こうして、内地の飢えた人々は数が減り、同時に戦線を維持する兵力が調達されたのです。もしこの判断がなければ、たとえ内地の村が飢饉から救われたとしても、北部戦線は崩壊し、場合によっては魔物の国自体が存在していなかったかもしれませんわ」
クリオが、レミ姉に問いかけます。
「では、市場に小麦が蓄積されていたというのは、トーベ老の誤りですか?」
レミ姉は首を振りました。
「いいえ、誤りではありません。たしかに、一部の投資家が、小麦の価格が暴騰するのをよいことに、買い占めを行った形跡があります。政府はこれをあえて無理やり取り上げず、高値で小麦を購入しました。なぜだと思いますか?」
クリオは即座に答えました。
「食料の流出を防ぐためですね」
「どういうことだ? クリオ、説明してくれ」
エテルナ様が、クリオの袖を引いて聞きます。
「はい。もし政府が軍隊や警察を使って、無理やり投資家から小麦を取り上げていたら、どんなことが起きるでしょう? 私が想像するのは、摘発を逃れるために、貿易事業者たちがこぞって食料品を国外に移動させるだろうということです」
その答えを聞いて、エテルナ様の表情が曇ります。
「なるほど。無理に食料をかき集めようとすれば、かえって物資の国外流出を招き、飢饉が深刻化するということか」
レミ姉が、エテルナ様の言葉を肯定します。
「ええ、それが人々の眼に『市中には小麦を買い占めて富を独占する者がいる』と見えたのです。確かにそれは、一面の事実ではあります。しかし、これを防ぐことが、本当に人々を救うことにつながったかといえば、それは違います」
レミ姉は、うつむくエテルナ様を諭すように言いました。
「エテルナ様、よくご理解くださいませ。経済においては、一つの問題が、他のすべての問題とつながっていて、一つの糸を引けば、全体が動くのです。善政とは何でしょう。悪政とは? 人々の正義の感情を満たすことだけが善政ではないと、わたくしは思いますわ」
エテルナ様は、大きく息を吐き、それから言いました。
「ああ、私はまだまだ為政者としての資質が足りないようだ。今日は、レミリアに来てもらってよかった。それからクリオにも感謝したい。二人とも、これからも私を教え導いてほしい」
この言葉を、レミ姉はまるで待っていたかのように、すぐさま身を乗り出して言いました。
「エテルナ様、王の責務は能あるものの言を容れ、それを有効に用いることですわ。クリオには単に国政への助言者としてではなく、もっと重要な務めを任されるべきかと」
エテルナ様は、いぶかしげな顔で聞き返します。
「どういうことだ?」
「クリオ、そろそろ気持ちは固まったのでしょう? あなたには、のんきに旅行ばかりしてもらっているわけにいきませんの」
レミ姉の言葉に、クリオが微笑んで答えます。
「ええ、今回の調査で、私も考えが固まりました。魔王様、献策申し上げます。この国に、中央銀行をつくりましょう」
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