第7話 港町で市場調査です

 ベセスダの市場には、埠頭で積み卸しをした荷を直接市場まで運ぶことのできるタイプの魔力路が敷かれています。その魔力路を、積み荷が満載された木製コンテナが、次々と流れていきます。


「エル、すごいですね。この板に荷を乗せると、自動的にお店まで運んでもらえるのですか?」


 クリオが驚いて尋ねます。


「ええ、荷板パレットに魔術刻印をしておくと、行き先を魔力路が読み取って、そこに降ろしてくれるんです。埠頭から倉庫へ、市場から倉庫へ、どちらからも送ることができます。この世界の技術も、なかなかのものでしょう?」


「はい、驚きました。審問会では百年以上前の技術と言いましたが、魔法を使った技術水準は、私たちの世界と直接比べることのできないものですね」


 クリオの言葉を聞いて、少し誇らしく感じる一方、僕は同時に不安も感じました。クリオの世界には魔法がないのだから、彼女のもつ知識も、この世界では役に立たないのではないかという疑念が、どうしても生まれてしまうのです。


「エル、大丈夫ですよ。これを見て、私は逆にやれるような気がしてきたのです。まだうまく言えませんけれど」


 クリオは、僕の不安を読み取ったのか、そう言って笑います。クリオがどこまでできるかはわかりませんが、僕が思っていたよりも、この人は僕のことをよく見ているのかもしれません。


「さあ、エル。さっそく市場の調査を始めましょう。まずはできるだけ多くの商店主に話を聞いて、基本的な生産物の物価を調べたいのです」


 そうして僕たちは手近な店に入りました。




 最初の店は、野菜や果物を中心とした輸入品を扱うお店です。りんごやオレンジといった、この国でも採れる品物から、南国のパパイヤやマンゴー、マンドラゴラといった希少な農産物が、所狭しと並べられています。


「エル、これはジャガイモですか? この国では、ジャガイモが普通に栽培されているのですか?」


 クリオが店に陳列されているジャガイモを手に取り、僕に聞きます。


「ジャガイモくらい栽培できますよ。それより、店主にお願いして、話を聞かせてもらいましょう」


 僕たちは、店の番頭に来意を告げます。


「お仕事、お疲れ様です。魔王府特別政務官秘書のエルンスト・バルトルディと申します。魔王府の市場調査にご協力お願いできますか?」


 その声が聞こえたのか、店の奥から、店主と思しき老商人が出てきて、僕たちを迎え入れてくれました。豊かな白髭を湛えた、ドワーフの老人です。

 ドワーフは主に南方に住む種族で、高い冶金術と工業生産力をもっていますが、中にはそうした仲間たちのネットワークを利用し、商業で成功する者も少なくないのです。青果店を営む者は僕も初めて見ましたが……


「魔王府ってことは、エテルナ様直属の組織だな。よしよし、上がりな。営業中だからそんなに時間は取れないが、できるだけ協力してやるよ」


 官僚になった魔法学院の先輩から、「魔王府の人間だとわかると多くの人が不思議なほど協力的になる」と聞いたことがあります。エテルナ様の人気が高い証拠でしょう。政府内では弱い立場にあるエテルナ様ですが、市井での支持はむしろ先代よりも高いかも知れません。


 さて、店の奥の事務所に入り、クリオが店主に話を聞きます。


「ご協力ありがとうございます。特別政務官のクリオール・クリオールと申します。今回の調査では、この国で扱われている基本的販売品目の平均的な物価を調べたいのです。また、わかる範囲でかまいませんので、ここ数年の値動きについても、教えていただけると助かります」


「おう、待ってな。帳簿を見せてやるよ」


 僕は帳簿を受け取ると、あらかじめクリオから聞いていた事項を、手元のノートに書き込んでいきます。その間、クリオは店主から話を聞くわけです。


「この仕事はどのくらい続けてらっしゃるのですか?」


 クリオの問いに、店主が自慢げに答えます。


「ああ、店をもってからはもう15年になるな。その前の30年は、船で世界中を旅しながら、貿易をやっていた。戦争が始まる前は、人間の国にも行ったぜ」


「戦争の影響は、商売にも大きいのでしょうか?」


 クリオがそう聞くと、店主はちょっと首を傾げて考えてから、また答えます。


「そうだな、始まった当初は、だいぶ影響もでかかった。だが、いったん戦線が膠着してからは、結局、中立国を介して商品も入ってくるようになったし、今は戦争の影響と言っても、それほど大きくはないかもな」


 店主はそう言ってから、逆に質問を返してきました。


「むしろ、戦争はいつまで続くんだ? 陸軍は押されっぱなしだって聞いたぜ。政府の官僚なら、あんたたちのほうがそっちには詳しいんじゃないか?」


 クリオが困った顔をして、僕のほうを見ます。僕もそこまで軍事に明るいわけではないので、苦しいところですが、ひとまず何か言わないと怪しまれてしまうかもしれません。


「捕虜を通じて火薬銃の生産方式が伝わり、再び戦線は膠着していますが、どうでしょう、停戦の道はまだ見えていないはずです。長く続いた戦争で、民族間の対立が激しくなっています。僕たちダークエルフはエルフと、ドワーフはかつて植民都市で奴隷制を敷いた人間と、それぞれ憎しみ合っていて、簡単には調停できないでしょう。異種族間で理解し合えるなんて幻想だと言う人も多くなっています」


 僕の言葉を、老商人は黙って聞いていました。そして、ゴホンと咳ばらいをしてから、


「四つの海を旅した俺に言わせれば、だ。坊や」


そう言って僕の方を向きます。


「『理解し合えるなんて幻想』ってのは、怠け者の言うことだ。そりゃあ、底の底まで理解し合うのは、恋人とだって無理さ。俺も結婚して40年になるが、ばあさんとは今でもケンカばっかしだよ。だけどな、初めて会う異種族同士だって、そいつがどうやって稼いでるのか、何を欲しがってるかくらいは理解できるもんさ。そうして、なにより現実の商売じゃ、相手を理解してるヤツが勝つ。戦争だって同じさ。相手を理解してるほうが強いんだ。今陸軍がボロボロなのは、人間を理解しようとするのを怠けてるからなんじゃねえのか?」


 これにはクリオが代わって答えました。


「正しい考え方だと思います。私の世界……故郷では、『彼を知り己を知れば百戦殆からず』という言葉があります」


「おもしろい格言だな。俺も長いこといろんな国を回ったが、初めて聞いたぜ。それで、まずは『己を知る』ために、こうして市場調査をしてるってわけだ。がんばってくれよ!」





 こうして僕たちはひたすら市場の店を回りながら、扱う品目とその価格について聞き込みを続けたところ、ひとつの発見がありました。

 いくつかの品目で例外はありましたが、どうも物価は全体的にじわじわと下がってきているようなのです。


「クリオ、これはどういうことなんですか? なにか特定のものが安くなるというのならわかりますけど、市場のものが全体的に安くなっているというのは、不思議です」


 僕の問いに、クリオは微笑んで答えました。


「いいところに気づきましたね、エル。ものの値段が全般的に下がり続けるのは、デフレーションという貨幣現象なのです」


「貨幣現象……お金ですか?」


 僕の言葉に、クリオがうなずきました。


「そうです。商品そのものの価値が下がっているというよりは、お金の価値が上がっているから、もの全体が安くなっているように見えるのです」


「なるほど、お金の価値が上がると、ものが安くなる……」


 そう答えてから、僕の頭には再び疑問が浮かびました。


「でも、なぜお金の価値が上がるのですか? お金の価値というのは、100モルドなら100モルド、常に一定では?」


「いいえ、お金の価値は変動します。昨日読んだ資料によれば、この国では金本位制、つまりお金の額面に応じて一定量の金と交換できる制度を採用しているようですね。この制度のもとでは、金の価値が上がればお金の価値も上がります。お金の額面は同じでも、その額面でどれだけの物と交換できるかは、常に変動しているのです」


「うーん、実際のところ、どうして金の価値が上がっているんです?」


 僕の問いに、クリオは少し考えてから答えました。


「例えば、金が大量に輸出されたりして、国内の金が少なくなると、金の価格は上がりますが……次に会う人物なら、きっとその原因を答えてくれると思います」


 その言葉で、僕は次の予定を思い出しました。


「銀行経営者との会食ですね。もうそろそろ、ホテルに向かったほうがよさそうです。港で潮風をだいぶ受けましたから、軽くシャワーを浴びて、着替えてから会談に臨んだほうがいいでしょう」


 そうして、僕たちは今夜逗留する予定のホテルへと向かったのでした。

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