第2章 魔物の国を巡察します

第6話 初めてのお出かけ

 審問会翌日、さっそく辞令が交付され、僕はめでたくクリオール・クリオール氏の秘書官として正式に任用されたのでした。


 クリオと僕に与えられた最初の任務は、都市および農村部の視察です。

 クリオにとっては初めての城外となるため、出発の前日から、僕は質問責めに遭いました。


「エル、明日は港町でしょう? 市場もあるそうですね。私、楽しみです! どんなものが売っているの?」


 嬉々として聞くクリオに、僕は困りながらも答えます。


「僕たちが向かう港湾都市ベセスダは、この国でも最大の港です。ここ魔王城は、大陸からやや離れた諸島の中心に位置しており、グラム大王以前のこの国は、もともと小さな海洋国家でした。今は領土の拡大にともなって流通量も大幅に増え、ベセスダにはこの国のあらゆる産品が集まっています。まあつまり、なんでもありますよ、あの港には」


 僕の説明を興味深げに聞きながら、クリオがさらに問います。


「人間もいますか?」


「いえ、人間はいません。直接戦争をしている帝国以外でも、人間の国とはすべて国交断絶状態ですから、人間の船は港に入れません。とはいえもちろん、中立的な立場を取っている一部の部族――ドワーフやホビットを中継して、人間側の文物は入って来ますよ」


「中継貿易ですか。そういえばまだ聞いていませんでしたが、この国では、お金はどのように使われているのですか? 通貨はありますか?」


 クリオはノートに一生懸命なにかを書きつけながら、矢継ぎ早に質問を繰り出してきます。


「もちろん通貨くらいありますよ、原始生活をしてるわけじゃないんだから。この国の通貨はモルド。初めて港を開いたといわれる神の名を取ってつけられています」


「なるほど。例えば、魔王城に一般職員用の食堂がありましたが、あそこで昼食を食べたら、一食何モルドくらいかかりますか?」


「セットで500モルドです。魔法学院の食堂はもう少し安くて350モルドから。上級官僚用の食堂は1000モルドくらいのメニューが揃っています」


「ありがとう、エル。明日は一緒に市場を回りましょう」


 クリオはそう言って、嬉しそうに荷造りを始めました。


「さて、そろそろ僕も荷造りをしなくちゃ。クリオも早めに休んでください。明日は早いです」


「ええ、ありがとう、エル。おやすみなさい」


 僕はクリオに手を振って、居室に戻ります。明日からは、いよいよ執務が始まるのです。




 そうして翌日、クリオに変装魔術を施して吸血鬼に偽装してから、僕たちは公用の馬車に乗り、ベセスダへと向かいました。クリオは馬車も珍しいらしく、やたらと上機嫌です。


「エル、港町まで、馬車でどのくらいかかりますか?」


「魔王城は険阻な山と断崖に囲まれた、天然の要塞です。ここから外へ出るには、ニクロム隧道と呼ばれる長いトンネルを抜けなくてはなりません。人間たちからはネクロヘルドの洞窟と言われているそうですが、かつては徒歩で抜けようとすれば、3日以上かかる難所でした。今は魔力路で馬車道が舗装されているので、およそ3時間程度で抜けられます」


「魔力路?」


 クリオはそう言いながら、地面を眺めて聞きます。


「路面に微弱な魔力が常に流れており、馬車の車輪がレールから常に少しだけ浮いているのです。これにより、馬は車の重さをほとんど感じずに走ることができます」


「すごい発明ですね。この世界ではどこにでもあるの?」


「いえ、重要な拠点同士を結ぶ路線だけですね。魔力を一定量常に供給する必要がありますから、魔術師の常駐する大都市同士しか結べません」


 クリオはクイッと眼鏡の位置を直すと、メモ帳とペンを取り出して質問を続けます。


「魔術師は一日中ずっと魔力を流し続けるのですか?」


「魔力自体は宝石などに保存して流すことができるのですが、一定量を長時間流し続けるには、魔術師による制御が必要なのです。魔力路が動くのは午前5時から午後11時までの間で、その間、魔術師は交代しながら短い儀式や詠唱を行い、魔力を流します。より短く、より効率的で簡易な魔術が常に研究されていますが、魔力路の維持には、現状で複数名の高位魔術師が常駐する必要がある状態です」


 僕の説明を受けて、クリオが聞きなれない言葉をつぶやきました。


「なるほど、エンジニアのようなものですね」


「エンジニア? あなたの世界の魔術師ですか?」


「そうですね、魔術師。でも、もしかしたら……」


「もしかしたら?」


「いえ、それよりも、この国の歴史についてもっと知りたいです。教えてください、エル」


 こうして、僕たちはこの国の成り立ちについて話しながら、長く続く隧道を、港湾都市ベセスダに向かって走りました。




 長い隧道を抜けると、窓の外には海が広がっていました。

 時刻は午後2時。夏の日差しを受けて、水面は白く輝いています。


「美しい海……砂浜まであるんですね」


 クリオが馬車の窓から身を乗り出して、感嘆の声を上げます。


「あの砂浜は、この島で唯一のなだらかな海岸です。あの海岸のほか、外部からこの島に入れるのは、ベセスダの港だけです」


 馬車道は海岸線に沿って大きく弧を描きながら、細い山道を下り、市街地へと入って行きます。

 べセスダの中心街は、大きなレンガ造りの建物が立ち並び、この国の金融、貿易の中心地となっています。


「立派な消防署に警察署……すごいです。こんなに街並みが整っているとは思いませんでした」


 馬車が目抜き通りに入ると、クリオは左右を見回しながら、再び驚きます。

 僕は改めて、今日のスケジュールを確認します。


「えーと、今日の予定は、まず市場の調査。それから、銀行関係者への聞き取り調査が19時から予定されています。銀行の人は、逗留先のホテルまで来てくれるみたいですね。一度ホテルにチェックインしますか?」


 僕がそう聞くと、クリオはやる気十分と言った表情で答えます。


「いいえ、早速市場調査に向かいましょう!」


 そうして僕たちは、休む間もなく、ベセスダの市場に繰り出したのです。

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