第5話 あなたの秘書官
臨時審問会は、魔王城の中央に位置する小議場で開かれます。
かつて魔物の国の統一戦争が行われていたころ、先代魔王グラムとその側近たちが、戦略についての激論を交わした場所。簡素ながらも歴史の重みを感じさせる、厳かな議場です。
魔王グラムの在世時は、会議でどれだけ意見が偏ろうと、最終的には魔王の独断により結論の覆ることもあったと聞きますが、現在はエテルナ様が若年ということもあり、そうはいきません。グラム大王不在時の議決法を引き継ぎ、参加者が1人1票ずつを持った多数決が行われています。
議席には、エテルナ様と4名の大臣、魔法学院の学長、そしてクリオに、その通訳補助として僕が座ります。
直前になって僕が通訳として指名されたのは、エテルナ様の指示なのか、それともバルトルディ侯の指示なのか、よくわかりませんが、ここで僕ができることはほとんどありません。成り行きを見守るしかないでしょう。
予定の時刻を知らせる鐘が鳴り終えると、議長を務めるリヒテル老学長が、大きな咳払いとともに、口を開きました。
「諸君、本日は周知の通り、わが国に突如出現した人間、クリオール氏の処遇について、その方針を
学長の開会宣言の後、ギルモア伯が枯れ枝のような細い腕で挙手しました。まるで死に神が手招きをしているようですが、これでも美貌の一人娘レミリア嬢を溺愛する子煩悩だというから、魔物もなかなか見た目で判断できません。
「あー、資料には、ここに来る前の職業が『家事手伝い』と書かれているが、具体的にはどんな家業を手伝われていたのかな? パン屋とか、靴屋とか……」
クリオは「は、はい!」と返事をしたまま、黙っています。僕はクリオを肘で小突いて、耳打ちします。
「質問の意図、通じましたか? わからなければ、僕に聞いてください」
クリオはうなずくと、ゆっくり立ち上がり、こう答えました。
「……あの、家業を手伝っていたのではなく、その、たまにご飯を作ったり、掃除をしたり……」
ギルモア伯はその答えを途中でさえぎり、質問を続けます。
「なるほど、失礼しました。家事も立派なお仕事です。ご結婚はされていないということですが、なにか職歴はありますか?」
「……ありません」
「はい。私からは以上です」
ギルモア伯はあっさりと質問を打ち切ります。口にこそ出さないものの、その態度には、クリオの能力を疑問視していることがありありと表れていました。
続いてゴリテア侯が挙手し、手元の銃を示しながら、野太い声で話し始めました。
「ここにあるのは、わが魔王軍が制式採用しておる火薬銃だ。この世界ではこれまで、銃と言えば魔力を込めた弾丸を撃ち出す魔弾銃が主流であったのだが、現在では魔力を使わず火薬によって鉛の弾を撃ち出す、この単純な兵器が取って代わりつつある。魔力を一切介さないため、従来の魔法陣などによる防御が無効となるうえ、魔力をほとんどもたない一般兵を集めた、恐るべき人海戦術が可能となったのだ。この銃を見て、改良すべき点を述べてほしい」
ゴリテア侯の部下が、その銃をこちらに運んできます。昨年度から制式化された新式の銃で、人間側から奪った銃を模倣して作られているものです。
「これは……私の住んでいた世界で、百年ほど前の時代に使われていた銃に近いものだと思います。ただ、ここから何を改良すればよいのか、私は専門家ではないので、わかりかねます……」
「ふむ、よろしい。では、こちらの映像をご覧いただきたい」
ゴリテア侯がそう言うと、彼の部下達は慌ただしく動き回り、議場に魔術による映写儀式を整えます。
映写が始まると、議場に張られた白い幕に、戦争の様子が映し出されました。銃をもったオークが、突撃を繰り返しては、敵の陣地から放たれる砲弾に倒れていきます。
「この映像は、今年、戦地で記録されたわが軍の戦闘状況だ。正直に言って、火薬式の銃を撃ち合う戦に、わが軍はまだ慣れていない。敵軍の動きを見て、その真似をしている状態だ。敵の火力に対抗するためには、魔法陣の代わりに塹壕というものを築くのだというのも、最近ようやく軍制に導入したばかりだ。見ての通り、この戦い方はあまりにも犠牲が多すぎる。これを見て、改良の余地が浮かぶかね?」
「いえ……悲痛な映像だと思いますが……どうすればこれを打開できるのか、私にはわかりません」
「そうか……。いや、この場ではこれくらいにしておこう。私からは以上だ」
ゴリテア候はそう言って席に着くと、沈鬱な表情で黙り込んでしまいました。
次に、この議場では唯一のオーク族であるボンディ伯が手を挙げました。
「農商務省を管轄しております、ボブ・ボンディと申します。資料によれば、家事手伝いに入る前は、大学で経済を学ばれていたとありますが、具体的にはどのような内容を学ばれていたのでしょう?」
「専門は、マクロ経済です。ニューディール政策における州別の施策差と、その効果の違いを研究していました」
議場に困惑の雰囲気が広がります。僕はクリオの袖を引っ張り、もう一度耳打ちします。
「それでは伝わりません、あなたの世界の制度や歴史を、私たちは共有していないんです。もっと噛み砕いて説明しないと……あなたの命がかかってるんですよ!」
クリオが慌てて言い直します。
「し、失礼しました。私の研究というのは、その、例えば、大きな国が不況時に大規模な金融緩和と財政出動……つまり、国がお金をたくさん発行したり、公共事業に投資を行ったりする場合、より小単位の自治組織では、自治体の首長の方針により、その施策にばらつきが生まれますね? 過去に行われたそうした政策について、その地域差を詳細に調べることで、ある政策を行わなかった場合と、行われた場合の差が、ある程度見えてくるのです。そこから政策を再評価するのです」
このクリオの説明は、どれだけ聴衆に伝わったものか、僕には測りかねました。少なくとも、僕にはまったく理解のできない内容です。議場にしばし沈黙が生まれた後、ギルモア伯がつぶやきます。
「……限定的な内容だ」
ボンディ伯は、律儀にメモを取りながら、少し考えて、次の質問を切り出しました。
「質問を変えましょう。あなたはさきほど、わが国の銃を見て、百年前のものだとおっしゃいました。もしかすると、経済状況もそのくらい昔の状態かもしれません。いえ、その銃は恐らく異界の技術を持ち込んで作られたものですから、経済についてはもっと古いかもしれません。そうした場合、あなたの知識でもって、わが国の経済状況を改善することが可能ですか?」
クリオは真剣な表情で答えます。
「それは……可能かもしれません。魔法があるという大きな違いがありますが、お見せいただいた映像や、建物、食事、その他の生活様式など、私の暮らしていた世界とこちらの世界には、共通する部分も多くあります。もし、この国の直面する課題が、かつて私たちの世界で乗り越えられた課題と共通するものなら、その解決策が提示できるかもしれません」
これにギルモア伯が反発の声を上げました。
「しかし、そのためには多くの情報が必要だろう。穀物生産高ひとつ取っても、戦時にあっては国家の重大機密だ。人間に教えるわけには……しかも、実務経験もない者に国家の重大事を任せるなど、ありえん話だ」
ギルモア伯の言葉に、ボンディ伯が穏やかな口調で答えます。
「ごもっともなご意見ですな。しかし、農政を預かる身として、いまだ“16年前の災禍”のような事態に対処するなんらの術も持たず、このまま帝国との戦線を維持していくことは、薄氷を踏むような思いであります。実務経験については、我が国の優秀な官僚が補佐することで、補い得るでしょう。私は、エテルナ様のお考えに賛同いたします。彼女の力を、内政にお役立てくださいますよう」
ボンディ伯は穏やかな笑顔でそう結びました。
続いて、バルトルディ侯が、静かに話し始めます。
「先ほどギルモア侯より、わが国の経済状況について彼女が提案を行うためには、情報が必要との見方が示されたが……」
侯の言葉に、議場の緊張が高まるのがわかります。
「農商務省、および財務省の作成する資料にいくら目を通したとしても、それは我々の視点からの資料であって、そこから導かれる結論も、我々のものと大差ないのではないかと危惧する。それよりも、彼女の特質はその視点である。我々とまったく異なる視座から、この国の営みを見たうえで、国政に意見を具申願いたい。内地を巡察させ、経済政策および税制について、改善提案を行わせるのだ。私も、魔王の意見に賛同する」
ギルモア伯が慌てて反論を述べます。
「し、しかし、それではもし逃亡され、人間側に亡命でもされたらどうなります!」
「もっともな危惧だ。それについては、私の愚息を使っていただこう。エルンスト・フェリックス・バルトルディを、彼女の秘書官として任用し、常時監視および補佐を行うものとする。万一彼女が逃亡した場合には、息子の首を刎ねていただいてかまわない」
義父がとんでもないことを言い出しました。突っ込みどころしかないような発言ですが、議場はしばしざわついたのち、ギルモア伯がさらに反論を試みようとしたところで、それをゴリテア候が押しとどめたように見えました。
頃合いと見たのか、リヒテル学長が口を開きます。
「それでは、議決を取る。バルトルディ侯の案に反対の者は挙手を」
ギルモア伯がこれに応じて挙手したものの、予想に反して、ゴリテア侯が沈黙しています。
「賛成者は挙手を」
ゴリテア侯はこれにも挙手をしませんでしたが、議決には十分な差がつきました。
「それでは、反対1、賛成3、棄権1にて、本件はバルトルディ侯の方針に従い、魔王エテルナの所管とする。なお、エルンスト・フェリックス・バルトルディの臨時任官は別途辞令を発行する」
こうして、僕の意見は特に聞かれないまま、審問会は終了しました。クリオがきょとんとした表情で僕に聞きます。
「あの、途中からよくわからなくなってしまったんですが、結局どうなったのでしょうか?」
「概ね予定通りですよ。僕があなたの秘書官になったことを除けばね」
僕がうんざりとした表情でそう言うと、クリオはにっこりと笑い、こう言いました。
「それはよかったです!」
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