第8話 金融王は幼馴染

 僕たちの泊まるホテルは、べセスダの中心街から少し離れた、海を見下ろす坂の上に建っていました。


「エル、豪華なホテルですね。お財布は大丈夫でしょうか?」


 クリオが心配そうに言います。


「本当はもっと中心街に近いところに宿泊する予定だったんですが、魔王府の資料によると、今日の会食の相手がここを指定してきたみたいです。ホテルの上客のようで、こちらの宿泊費は格安になりました」


「収賄になりませんか?」


 クリオはなおも不安げな顔をしています。


「まあ、金銭を受け取ったわけではありませんからね。それに、僕たちにはまだ、ワイロを受け取っても図れる便宜がありません」


 そんなことを言いながらエントランスに向かう僕たちを、ダークエルフの老紳士が僕たちを迎えてくれました。


「お待ちしておりました、クリオール様、バルトルディ様。当ホテルの支配人を務めております、デヴィッド・ギルモアでございます」


 老紳士の上品ながらも簡潔な身なりと同じく、ホテルの内装は意外にもシンプルで、華美な雰囲気はありません。その代わり、ラウンジの空間がとても広く感じます。


「当ホテルは、魔物の国ができる前からこの場所にありました。本日は、創業当時から変わらず魔物の国で最高のサービスを自負しております、スイート・ルームをご用意いたしました」


 その言葉に驚いて、僕は思わず声を上げてしまいました。


「スイート!? 待ってください、僕たちは大臣でもなんでもないんです。そんな予算は……」


 慌てる僕の後ろから、甲高い女性の声が響きます。


「わたくしが取ってあげましたの。文句言わないで泊まりなさい」


 聞き覚えのある声です。

 僕が振り返ると、そこにはきらびやかなドレスを身にまとい、豊かな金色の髪を縦にロールさせた、ダークエルフの少女が……

 いや、背丈から見るとどう見ても少女なのですが、この人はこれで立派な成人女性です。そして、僕のよく知っている人なのです。


「久しぶりですわね、エル。まさかあなたが魔王府の秘書官になるなんて思いませんでしたわ。魔法学院への入学はもう諦めたんですの?」


 彼女は相変わらずの高飛車な態度で僕に話しかけます。


「レミリア様、お久しぶりです……」


 僕が無難に応じようとすると、彼女は僕の頬をつまんで引っ張ります。


「なによそれ。昔みたいにレミ姉って言いなさいよ!」


「い、痛いよ、レミ姉……仕事中なんだから……」


「あら、これは失礼。こちらの方が、クリオール特務官?」


 レミ姉は僕の頬を放すと、クリオのほうに向きなおり、自己紹介を始めます。


「はじめまして。わたくし、レミリア・ギルモアと申します。ギルモア銀行の頭取を務めておりますの。エルとは幼馴染で、久しぶりに会ったものですから、ついうれしくなって、失礼をいたしました」


 クリオが慌てて頭を下げます。


「こっ、こちらこそはじめまして、クリオール・クリオールと申します……えっ、頭取? こちらのお嬢様が?」


 クリオが混乱するのも無理はありません。レミ姉は僕の八つ上ですが、見た目はどう見ても十代前半。それでいて、魔物の国で最大の規模を誇る銀行の経営を預かる頭取だというのだから、にわかには信じられないのが普通なのです。


「クリオ、紹介します。こちらはあのギルモア伯のご令嬢で、レミリア様。僕やエテルナ様とは小さいころからよくいっしょに遊んでいたのです。こう見えて彼女は数理魔術の天才で、史上最年少で魔法学院を卒業し、3年前にギルモア銀行のトップに就任されたのです」


「えっ……あのギルモア伯の?」


 クリオは声に出してからハッとして、口を手でふさぎますが、当のレミ姉は、この手の反応には慣れたものです。


「わたくしのような才気煥発な美少女が、あの辛気臭いお父様から生まれるのが不思議……というのはわかりますわ。しかし、ギルモア家は代々女のほうが才に恵まれた家系。このホテルの創業者もわたくしのお祖母様でした。当時お祖母様は、四海一の辣腕経営者と謳われたそうですわ」


「なにが美少女だよ、もう22歳だろ」


「うるさいわね! 見た目が美少女ならいくつになっても美少女なの!」


 しかしレミ姉が来るとは予想外でした。

 たしかにギルモア銀行はべセスダ市に本拠を置く銀行ですが、この国最大の金融グループでもあります。そのトップを呼び出すというのは、今の僕たちの身の丈とは合わないように思われます。


「ところで、クリオールさん。あなた、この世界の人間ではないんですって?」


 突然のレミ姉の発言に、クリオがたじろぎます。


「銀行家には情報がなによりも大事。そのくらいの調べはついていてよ。でも、ご心配なく。このホテルは、わたくしの実家のようなもの。ここでなら、あなたの出自についても気兼ねなくお話しできますわ。あなたとお話しするために、わたくし、今日のお相手に立候補したんですの」


 そう言って、レミ姉は返事も待たずに僕たちの手を取って、部屋へ連れていこうとします。


「さあ、部屋で着替えて、レストランにいらっしゃって。あなたの世界のお話を聞くの、とっても楽しみですわ」


 こうして、僕たちはこの国最大の銀行を指揮する経営者との会談に臨むこととなったのです。




 ホテル最上階のレストラン。港を見下ろす窓際の一席。

 広いフロアに、ほかの客は誰もいません。僕たち3人は、ゆっくりと海に沈んでいく夕日を見ていました。


「きれい……こんなに美しい夕日、初めて見ました」


 クリオが、ため息とともにそうつぶやきます。


「……この世界で最も美しい夕日ですわ。かつて祖母は、人間の国の東端にもホテルを持っていました。極東から望む朝日と、このホテルから望む夕日とは、祖母にとって最大の誇りでした。残念ながら、東の果てのホテルは、帝国との戦争によって人間側に接収されてしまいましたけれど」


 レミ姉はそう言うと、クリオのグラスにワインを注ぎます。


「今日は完全に貸切り。あなたが何を話しても、私と支配人のデヴィッド叔父様のほか、聞く人はありません」


「お気遣い、ありがとうございます。でも本当に驚きました。こんなにお若い方が、この国で最大の銀行グループを取り仕切ってらっしゃるなんて」


 クリオが改めて賛嘆すると、レミ姉は少し照れてしまいます。


「ま、まあ、わたくしは数字と格闘するくらいしか得意なことがありませんから、適材適所ですわ」


 これはあながち謙遜とも言えないのですが、クリオは納得いかないようです。


「でも、魔法学院を異例の早さで卒業されたということは、魔術についても相当な腕前をお持ちなのでは?」


 これには、レミ姉に代わって僕が答えました。


「レミ姉の専門はかなり特殊で、魔法学院の卒業論文は、数理魔法陣理論だったんです」


「数理魔法陣?」


 自分の得意分野に話が及んだことで、レミ姉が勢いづいて話し始めます。


「例えばあなた、1234京5678兆9012億3456万7890×2345京6789兆123億4567万8901の計算をするとしたら、どのくらいの時間がかかると思います?」


「とても計算する気が起きません」


 クリオの控えめな反応に、レミ姉は気をよくして、自慢げに胸を反り返らせながら言いました。


「私の魔法陣であれば、こうした20桁同士の乗算は10秒で処理できるはずですわ。理論的には、ですけど」


「計算の自動化ですか」


 クリオの相槌に、レミ姉は小さい体を大きく乗り出します。


「そう、計算の自動化。そういえば、あなたは審問会で、技術的には百年先の世界から来たとおっしゃったそうですね」


「いえ、それはお見せいただいた銃について言ったもので……」


 レミ姉が首を横に振ってクリオの言葉を遮ります。


「いいの。わたくし、偏狭なプライドで言っているのではありませんわ。それより、百年後の世界では、計算も完全に自動化されているのではなくて?」


 クリオが、その言葉にうなずきます。


「その通りです。私たちの世界では、計算は自動化され、機械によって処理されています」


「その計算機、汎用性はいかがかしら? わたくしの論文では、四則演算と平方根の計算までしか扱いませんでしたけれど、魔法陣内部に仮想的に記憶回路を組み込めば、一定の形式に整えた外部からの命令に応じて、非常に複雑な情報の処理が可能になりそうに思われたのですけれど」


 ここまでくると、もう僕には話の内容が掴めません。でも、クリオは驚いたように、その言葉に反応しました。


「ええ、まさしく。私たちの世界では、その装置をコンピュータと呼んでいます。プログラムと呼ばれる命令に従って、数字の計算に限らず、さまざまな情報を処理することができます」


「ああ、やっぱり! あのまま研究を続けていれば、わたくし、世界史に残る偉大な発明家になれたかもしれませんのに……」


 なんだかわからないけれど、レミ姉は心から残念そうな顔をしています。


「レミ姉、趣味の話もいいけれど、僕たち、この国の経済について話を聞きに来たんだ」


「趣味じゃないわよ! まあでも、お仕事も大事ですわね。それに、あなたがどんな政策を考えているのか、興味もあるわ」


 レミ姉は改めて、クリオをまっすぐに見て言います。クリオは少し自信がなさそうに答えました。


「まだ政策というほどのものはありませんけれど……伺いたいのは、金本位制についてです」


「あんなもの、前時代の遺物ですわ」


 レミ姉はこともなげにそう答えました。クリオは驚いて、言葉をつなぎます。


「ということは、この国でも通貨制度の見直しは可能だとお考えですか?」


 これにも、レミ姉はあっさり答えます。


「ええ、もちろん可能ですわ。周辺国の中には、すでに管理通貨制へ移行している国がいくつもあります。わが国でできない理由はひとつもありませんわ」


「レミ姉、なんで金本位制はダメなの?」


 僕が聞くと、レミ姉はまじめな顔で語り始めました。


「そもそも金本位制は、帝国に有利な通貨制度ですわ。帝国は今、世界最大の輸出国であり、それはつまり、金が最も流入する国でもあるということ。その帝国が、自国の物価上昇を嫌って金を売らずに退蔵しているため、多くの国で金が足りなくなっているのです」


 貿易赤字によって金の流出が増えているという話は、よく耳にする話です。

 でも、僕はそれが金本位制の弊害と繋がる話としては認識していませんでした。


「金が足りない国では、通貨が十分に発行できなくなりますから、物流が滞り、不況が生まれます。でも、金本位制を続ける限り、帝国以外の国々は自由に貨幣を発行して金融政策を行うことはできません。そうして泥沼の不況に陥っているんですの。こんなバカげた制度に、いつまでも付き合う必要はありませんわ」


 金と通貨の交換を保証すると、金の保有量によって通貨の発行可能な量が制限される……なるほど、レミ姉の言うことには筋が通っているように思えます。でも、ひとつ気になることがありました。


「人間の国とは戦争をしているのに、帝国の金の量が魔物の国にも影響するの?」


「戦争によって直接の貿易を停止している現在、影響は小さくなっていますけれど、そんなのに頼っているとしたら、いつまでも戦争を終わらせられないでしょう?」


「なるほど、それもそうだね」


 僕がうなずくと、レミ姉はクリオのほうを見て言います。


「さて、ここが大事なところですわ。クリオール・クリオールさん。戦争が終わっても、例えば貿易を再開せず、あるいは非常に強い関税を設けて、帝国は帝国の経済圏、魔物の国は魔物の国の経済圏と、それぞれ閉じたブロックを形成すればよいという考え方もあります。あなたはこの考え方を、どう思われます?」


 クリオはこの問いに、確信をもった言葉で答えました。


「絶対に避けるべきです。それは金本位制とはまったく規模の違う、最悪の結果を招きます」


 それから一呼吸置くと、クリオは言葉を続けます。


「私のもといた世界では、列強諸国によるブロック経済圏の形成が実際に行われました。その結果起こったのは、独自の経済圏をもたない国による、他国への侵略です。そして、世界史上最大の戦争……この戦争は、単なる国境線争いや王族の継承権争いでなく、まさしく国家の死活を賭して行われたために、世界中で数千万人もの死者を出したのです」


 レミ姉は、その言葉を聞いて、少し考えてから言いました。


「……なるほど。もう一つの世界、もう一つの歴史……」


 そう言いいながら、レミ姉は、懐から一枚のカードを取り出します。


「あなたに、これを預けておきます。私の執務室直通の魔力回線を開くカードですわ。わたくしの力が必要になったら、いつでも連絡をください。ギルモア銀行があなたを全面的に支援いたします。それと、私からひとつアドバイスを差し上げましょう」


 そのカードを渡しながらレミ姉が言ったことは、僕たちのこれからの運命を大きく動かすものでした。


「中央銀行をおつくりなさい。それが、魔王に献策すべき最大の政策ですわ」

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