第3話 魔王様のお部屋

 防御魔法陣の構築も、やってみると意外に楽しいものです。特にここのところ、論文の作成に行き詰まっていたこともあり、別のことに没頭できるのはよい気分転換になりました。


 三層からなるこの魔法陣は、対毒、対魔力の中和魔法を基本とし、主にヴァンパイアに有効と見られる神経毒、及び造血障害を引き起こす毒性を非活性化します。さらに、結界領域内における魔力の過剰増幅を検知し、中和することで、基本的な自爆系魔法の機序を阻害する機能も同時に備えています。


「なるほど、この短期間でよくここまで組み込めたな。前線の基地司令官が知れば、喉から手が出るほど欲しがる人材だ」


 エテルナ様は、魔法陣の動作を確認しながら、そう言います。


「ご指示が明確でしたから。ほとんど心配ないと思いますが、物理的な攻撃には無防備ですので、お気をつけください。また、硫酸や爆薬など化学的な攻撃手段についての探査は扉で行いますが、万一検知された場合、すぐにご自身の魔法による防御をお願いします」


「お前がそのあたりの防御装置をつけていないということは、心配ないということなんだろう。実際に会ってみて、どうだった?」


 魔王様が興味津々といった様子で聞きます。

 僕は少し考えてから答えました。


「……まず、魔王を暗殺しようなんて考える人間には見えませんでした。魔法で操られてるとか、そういう雰囲気もありません。ごく普通の、ただの人間だと思います」


「そうか。ただの人間、か」


 エテルナ様が何を考えているか、僕にもわかります。しかし、僕にはあの人間が、魔物の国になにか重大な影響を及ぼすような人物だとは、とても思えませんでした。




 そうして、言語習得魔法が終了した、すぐ次の日。


 その朝、僕は早起きをして、執務室の魔法陣がすべて問題無く動作するのを確認しました。魔王様はいつもより早めに執務室に入られ、接見の準備を整えます。

 すべてが整ったころ、魔物の国の朝、行政府の始業を告げる鐘が鳴ります。


 鐘とともに、執務室に魔法学院の一団が到着しました。


「陛下、『迷い人』をお連れいたしました」


「よし、では接見人のみ入室せよ。ご苦労だった」


 エテルナ様の言葉と同時に、執務室の重厚な扉が開きます。そして、“迷い人”が顔を見せました。


 僕は以前に一度会っていますが、エテルナ様は彼女を見るのが初めてです。

 エテルナ様も彼女の美しさに少なからず驚かれたようで、しばしの間、言葉を忘れたようでした。


 僕は魔法陣の検知結果から、彼女が危険な物を所持していないことを確認し、それをエテルナ様に伝えます。

 そうしているうちに、“迷い人”が先に口を開きました。


「陛下、拝謁を賜り、光栄の至りでございます」


 少したどたどしい言葉でしたが、それでも数日前までこの国の言葉をまったく知らなかった人とは思えない出来です。

 エテルナ様はその言葉を受けて、彼女に椅子を勧めました。


「座ってくれ。それから、慣れない尊敬表現は使わなくていい。堅苦しいのは好きじゃないんだ」


「ああ、よかった。実はまだ、難しい言葉はよくわからないんです。学院の先生は、1週間ほどでだんだん身についてくるって」


 彼女は屈託なく笑って、そう答えました。

 あまりに緊張感のないその受け答えに、エテルナ様は少々肩すかしを食ったていです。


「……いくつか聞かせてもらいたい。まず、あなたはどこの国から来たのか」


 エテルナ様が、ゆっくりと話し始めます。


「私はドイツから来ました。ドイツの、ローデンバッハという街です」


「……ドイツ……すまないが、聞いたことのない国だ。この国にはどうやって?」


「すみません、私、こちらの国のことをなにも知らなくて……どうやってここまで来たのか、私にもわからないんです。気づいたら、このお城のあの部屋にいました。でも、もしかしたら、すごく突拍子もないことなんですが、ここは、私のもといた世界とは、まるで別の世界なんじゃないかと……」


 その言葉を聞いて、エテルナ様の目に険しい光が宿りました。


「私は、それを知りたいのだ」


 エテルナ様の問いに、彼女は困った顔で考え込んでしまいました。


「……すまない、質問を変えよう。まだあなたの名前を聞いていなかった。私は、エテルナ。一応、この国の王ということになっている」


「あ、すみません、私ったら……私、クリオール・クリオールと申します。クリオとお呼びください」


 クリオ。ありふれた名前です。異世界の人とはとても思えない。


 ふと魔法陣の制御盤を見ると、僕は小さな異常に気づきました。自爆魔法阻害用の魔力検知器が、まったく反応していないのです。どんなに保有魔力の小さな人であっても、いや、この世界に住まうあらゆる生物において、魔力反応がゼロということはありえません。

 検知器の対象を切り替えて、陣の不調ではないことを確認すると、僕はエテルナ様に声をかけました。


「エテルナ様、証拠が見つかりました。彼女は、この世界の住人ではありません」


 エテルナ様は、僕のゆびさした魔力検知器を見て、すぐにそのことに気づき、少し驚いたような表情で、うなずかれました。


 エテルナ様は彼女が異世界の人間だと確信すると、早速目前の問題について切り出しました。


「クリオ、率直に言って、あなたは極めて危険な状態にある。この国は魔物の国で、人間の国とは戦争のまっただ中だ。そこに正体不明の人間が、突然現れた。あなたを死刑にすべきという声もあるし、それより少し穏健な者達も、幽閉すべきと言っている。だが、私はそんなことはしたくない。そこで、あなたに協力をお願いしたい」


 クリオは少し困ったような顔をします。


「エテルナ様、あの、怒らないでくださいね?」


 彼女はそう前置きして、話し始めました。


「魔法学院の先生が教えてくれたんです。数年前、人間の国でも、私と同じように、別の世界から来た人がいたって。その人が新しい銃や戦術を作ってから、戦線は膠着状態だということもお聞きしました。でも、私、銃のことも戦いのこともわからないんです……お役に立てないのではないかと……」


 エテルナ様は小さくため息を吐いてから、僕のほうを見て言います。


「まったく……魔法学院の教授連中は、国家機密をなんだと思っているんだ。何をしても私が怒らないとでも思っているのか?」


「僕に言わないでくださいよ」


 僕の言葉にエテルナ様は諦めたように首を振って、クリオに向かって言いました。


「ともかく、クリオ。私が求めているのは、銃の知識や新戦術ではない。こことはまったく違う世界から来たあなたに、私の国を見てほしいんだ。そうして、率直な意見を聞かせてほしい。私はこの国のためになにができるのか。私は善き為政者なのか、それとも悪しき為政者なのか。それが知りたい。そして、もし私が悪政を敷いているのなら、すぐに改めたい」


 クリオは驚いたようにズレた眼鏡を直し、しばらくエテルナ様の顔を見つめていました。

 エテルナ様は言葉を続けます。


「……もちろん、あなたの安全は私が保証する。というよりも、正直に言えば、あなたを客人として扱うことが国益に適うという口実でもないと、明日の審問会を乗り切れそうにないんだ。王として情けない限りだが、私の力は弱い。すまない」


 そう言って、エテルナ様は悲しそうにうつむきます。

 すると、クリオは椅子から立ち上がり、エテルナ様のそばに寄り膝を突いて、その手を取り、まるで童女のように無邪気な微笑みを浮かべて言うのです。


「あなたは魔王様なのに、優しい人なんですね」


 それを聞いたとたん、エテルナ様は顔を赤らめてしまいました。なにかを言おうとしているのに言葉が出てこない様子です。

 代わりに僕が、クリオにことの重大さを伝えます。


「クリオールさん、さきほどエテルナ様もおっしゃいましたが、あなたは明日、審問会にかけられます。そこで議会があなたを危険と判断すれば、あなたは死刑になるかもしれない。この状況がわかっていますか?」


 クリオが、今度は僕の方を向いて、にっこりと微笑みます。


「あなたも、優しい人です。私がまだ、言葉をしゃべれないとき、あなたは私に一生懸命話しかけてくれましたね。あの時、どんなに心強かったか……」


 そう言って、彼女はあの時のことを思い返すように目を閉じました。僕としては、なんとなく決まりが悪いような、妙な気分です。それから、クリオは目を開くと、こう言いました。


「この国は、魔物の国といっても、優しい人たちがたくさんいる国です。私がどんなお役に立てるかわかりませんけれど、この国のためになることなら、喜んでお受けいたします」

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