第1章 魔物の国の迷い人

第1話 魔物の国の朝

 皆さん、はじめまして。

 僕はエルンスト・フェリックス・バルトルディ。この物語の語り部を務めさせていただく前に、少しだけ、自己紹介をいたしましょう。


 僕はエルフとダークエルフの混血として生まれ、生後半年で里から追放されてしまいました。しかし偶然にも、魔物の国の大臣である高位のダークエルフ、バルトルディ候の養子となり、もうすぐ16歳の誕生日を迎えようとしています。


 魔物の国では、満16歳を迎えたあらゆる国民に、高等教育機関への受験が認められます。

 中でもその最高峰とされるのが、王立魔法学院。

 その日、僕は魔王城の図書館で、魔法学院入学のための入試論文の準備を進めていたのでした。


「魔法学校中等部一級学生エルンスト・フェリックス・バルトルディ。至急登城し、魔王執務室まで伺候しなさい。繰り返す―――」


 論文の作成にいそしむ僕を、ぶしつけにも呼びつける館内放送が聞こえます。

 僕はしぶしぶ本を片づけると、城に向かいました。




 その日、魔王城は物々しい雰囲気に包まれていました。

 夜明けに城壁周辺をパトロールしていたオーク兵が、倒れている人間を発見したからです。


 魔物の国は、人間の国々と戦争状態にありますから、人間が魔物の国の本拠地である魔王城近くで発見されることなど、あり得ないはずでした。

 どこかの国のスパイか、あるいは破壊活動を行う工作員か、はたまた暗殺者か。報告が広まるにつれ、城中に緊迫した雰囲気が立ちこめてきました。


 厳重な警備の中、僕は魔王城を奥へ奥へと進み、ようやく魔王執務室へとたどり着きます。


「魔王様、エルンスト・バルトルディまかり越しました」


 執務室の扉はさすがに重厚です。当然、扉越しに声など届きそうにないのですが、この扉には、象嵌された宝石にほんの少し魔力を注ぐと内部に声が届くという、古典的な魔法仕掛けが施されています。

 僕の呼びかけに応じて扉は荘厳な音を立て、ゆっくりと開いていくのでした――




 扉の先には、漆黒の翼と輝く銀の髪、妖しくも艶やかな褐色の肌に、美の黄金律を極める完璧なプロポーションを備えた、高貴なる女吸血鬼が玉座に腰かけています。


 そう、この国の王、魔王様は、女性なのです。


「ああ、エル。急に呼び出してすまなかった」


 魔王がねぎらいの言葉とともに、僕を部屋の中に招きます。

 彼女こそは最高位のヴァンパイアであり、魔物の国の中で最も強大な魔力を有する魔王エテルナ。

 その魔王様の前に、僕は仏頂面で歩み出ます。


「エル、眠そうだな。また徹夜か?」


 エテルナ様は、ちょっといたずらっぽく笑い、そう言いました。

 僕はめいっぱいの不満を声に込めてお答えします。


「そうですよ。知ってるでしょ? 入試論文を書いてるんです。いや、正確にはまだ書き始めてもいないんだけど。義父上ちちうえは、首席入学以外許さないと言っていますからね。半端な論文じゃダメなんです。魔法学院の教授連中が思わずうなるようなヤツじゃなきゃ」


 こんなぞんざいな口調で僕が魔王様に話しかけるのは、異様に感じるかもしれません。もちろん、魔物の国の人々が皆こう不敬なわけではないのです。


 僕の養父となったバルトルディ候は、先代魔王と独立戦争でくつわを並べた盟友です。そうした背景もあって、バルトルディ家と魔王家はごく親しい間柄でしたから、エテルナ様と僕とは、姉弟のようにして育てられ、そのためこうして特別に親しくできるのです。


「侯も厳しいことを言う。普段のお姿からは想像もつかないな」


「義父上はいつも厳しいですよ。エテルナ様にだけです、彼が優しいのは。下手な成績なんて取ったら、勘当されちゃいますよ。そんなときに急に呼び出したりして……」


 僕が憎まれ口を叩くと、エテルナ様はヴァンパイア特有の牙をちょっと光らせて、ニヤリと笑って言います。


「それなら時間が必要だろう。論文の提出期限を延ばせる仕事があるぞ」


 突然の呼び出しを受けた時から、嫌な予感はしていました。

 このタイミングで、エテルナ様が僕に何かを頼むとしたら、思い当たることは一つです。


「……あの人間に関することですか?」


 僕の問いに、エテルナ様がうなずきます。


「そうだ。これはまだ極秘だが、どうも発見されたのは若い女らしい。武装もしていない。私はこの女性の話を聞いてみたいのだ。それも、審問会のような場でなく、この執務室で、余人を置かずに」


 僕は、ちょっと考えてからこう聞きました。


「危険では? 毒や魔術を使う暗殺者かも」


 エテルナ様は真剣な顔で言います。


「だからお前に頼むんだ。防御結界の構築に関しては、この国でお前の右に出る者はいない。この部屋に即席で封印陣を張ってくれ。毒と自爆系の魔術に関わるものだけで構わない」


「でも、精度の高い防御結界の構築には時間がかかります。効果を限定しても、少なくとも数日は……」


 僕が難色を示すと、エテルナ様は「心配ない」といった風に、言葉をつなぎます。


「言語習得魔法の準備が進んでいる。これが終わり次第、公式の審問会が開かれる予定だ。言語習得の完了まで、恐らく1週間はかかるだろう。それまでに間に合えばいい」


 言語習得魔法の実施というのは驚きです。


 その名の通り、異なる言語を即座に習得するための魔法ですが、大規模かつ複雑な魔術で、コストが大きすぎるために、超重要な亡命者などが現れたときでなければ、まず用いられることのない魔法なのです。

 ということは、魔物の国の首脳陣も、この人間を極めて重要な人物と見ているのでしょう。そこまで考えて、僕の頭にひとつの問いが浮かびました。


「もしかして、発見された人間は、異世界の人だと考えているのですか?」


 エテルナ様は少し難しい顔で答えました。


「少なくとも、その可能性があると、私は考えている」

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