あと九十本... 「首」
「お姉ちゃん」
私はいつものように、面会時間ちょうどに姉の部屋へとやってきた。
真っ白な部屋はいつも綺麗で清潔にされていて、荷物なども出されていない。とても落ち着いていて、早くお姉ちゃんの病気が治ればいいのに、と思っていた。
でも私は我慢強くお姉ちゃんが病気と闘っているのを見守るつもりだ。それはお母さんやお父さんも同じだし、一人部屋だからって私は騒がない。それに、お姉ちゃんがこっそり教えてくれる患者さんや看護婦さんたちの裏話も大好きだ。
小児病棟の子供たちがゲームを巡って喧嘩になったとか。どこそこの患者さんが突然喋れなくなったと思って看護婦さんが大騒ぎしてたら、実は入れ歯をどこかに置き忘れてしまっただけだったとか。
でも、私がお姉ちゃんの話を楽しみにしているのは、それだけじゃない。
お姉ちゃんは本当の事を私に教えてくれる。
「これはね、少し前にあった本当の話」
お姉ちゃんはそう前置きしてから話し出した。
「小児病棟の子たちのお話をしたでしょう。
あの子たち、症状の軽い子たちはみんな元気でね。
動くことのできない子も当然いるけれど、そうじゃない子とか、治りかけの子たちっていうのはすごく元気でね。うらやましいくらい。
用事があって階段で下の方に行くと、たまに笑い声とかも聞こえてくるの。階段っていっても非常階段のことよ、たいてい人は通らないけれど。
それでね、ある時誰かがボールを部屋に持ち込んだの。
たぶん、遊戯室とかに置いてあったものだと思うんだけどね。
バレーボールくらいの大きさだけど、そんなに硬くなくて、柔らかい素材でできたボール。
それをついつい、遊戯室の延長で持ってきちゃったのね、部屋に。
そうなるとどうなると思う?
……はい時間切れ。
そんなものがあると楽しくて、つい投げちゃうわよね。部屋の中で投げあって、それを看護婦さんに見つかっちゃったのよ。他の関係なかった子の物が倒れたりして泣いてたりもしたから。
おかげでみんな看護婦さんにこってり絞られた。こっそり見に行ったけど、でも子供って、怒られるとやりたくなるのよね。今度は見つからない場所で…って思ったんでしょうね。
今度はもっと、面白い場所で、見つからないように。
どこだと思う?
そう、よくわかったね。
非常階段。
あそこでね、上から下にボールを投げるって遊びを思いついた。だから、やった。仕方ないよね。
今度はそうそう見つからなかったみたいで、時折ボールを投げる音が聞こえてきた。それでも、見つかる時は見つかるんだよ。非常階段って、あんまり人は通らないけど、動ける入院患者さんとか、お見舞いの人が時々使ってたから。
小児科の看護婦さんが乗り込んだ時、やばいって思ったんだろうね。そのまま上に逃げようとして……、知ってると思うけど、あそこ螺旋状になってるでしょう。ジグザグというか…。
絶対に捕まらないと思ったんでしょうね。真ん中の小さな吹き抜けになってるところから身を乗り出して、バーカとか、捕まえてみろ、とかそういう事を叫んだんだけど。
そのまま落ちてしまった。
そんな隙間みたいなところに落ちるなんて誰も思いつかなかった。小さな子供だったからそうなってしまったとしか言えない事故よ。
もうね、病院中騒ぎになってしまった。
今は落ち着いているけどね。私もドキドキして、とにかく部屋から出ないようにしてくださいって言われてそれっきり。
なんでも、首の骨を折ってそのまま即死だったみたい。
……それのどこが怖いのかって?
お話はここから。……それからね、聞こえるの。
あの階段。あの子の落ちた時間、真昼なのに、一人で通ってるときに限って、隅にボールが転がってる事があるの。突然、ぽーん、とね。いったいなんだろうこんなところにって通り過ぎると、そのボールは転々と転がっていってしまう。
そして、びっくりして振り返ると。
その男の子の首が、転がりながら笑っているの。
……私は見たのかって?
ううん、小児科に入院している子に聞いたのよ。私にこっそり教えてくれたわ。私も怖くなって、それ以来お昼にあの階段は使わないようにしてる。使うとしたら、誰かと一緒に降りるようにしているの。
あそこ、登っているときに上が見えないじゃない。
だからもし、踊場に上がった時に、隅にボールがあったらと思うと……。
ね、わかるでしょう。これが私の知ってる本当の話。面白かった?
え? あの階段で登ってきたのに、帰りづらい?
……ふふふ。だって私だけ怖いのなんて、ちょっと不公平じゃない。だからおあいこ。
今日のところは許してよ。帰る時は、みんなが使ってる大階段を使えばいいから。ね」
お姉ちゃんは、時折いじわるだ。
だけれど、お姉ちゃんは本当の事を私に教えてくれる。
だから多分私は、休みのたびに面会に来てしまうんだ……。
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