あと八十九本... 「赤い」

「あそこに、ほら、庭にいるのが見えるでしょう、緑色のパジャマの子」


 私はいつものように、お姉ちゃんの話に聞き入った。

 お姉ちゃんの入院している病院は町から少し離れた静かな場所にあって、私とお姉ちゃんが会える時は限られていた。お姉ちゃんと会えないのは寂しかったけれど……だからこそ、お姉ちゃんと会えるのを楽しみにしていた。

 それに、お姉ちゃんはこうして私に、病院内であった色々な事を話してくれた。


「これは本当のお話よ」


 そう言って話し出すお姉ちゃんは、楽しそうだった。

 私が窓から裏庭をそっと覗くと、確かに手洗い場のところに緑色のパジャマを着た男の子がいた。

 中学生くらいだと病院で売ってる大人用の入院着を着るけれど、子供用は無いからパジャマなんだそうだ。

 顔は、ここは五階(といっても四階って名前の階が存在しないから、本当は四階なんだけれど)だから、上からじゃあまりはっきりとはわからない。男の子も私が覗いている事には気付いていないみたいだった。片目に白いものが見えた。眼帯をしてるみたいだ。庭にはいるけれど、誰かと遊んだりするでもなく、なんだかぼーっとしているように見えた。


「あの子はね、ここに来てからずっと眼帯をしてるの。

 最初、私は単に目の病気なのかと思った。


 目の病気っていっても、眼科に行けば治るようなのじゃなくて、もっと大変なものね。

 手術が必要な、って言えばわかる? そういうものかと思ったの。

 けど、ある時こっそり教えてくれたの。そして眼帯の中を見せてくれたのよ。


 ……何があったのか教える前に、ちょっとあの子がしてくれた昔話をするわね。


 あの子、いじめっ子だったのよ。

 名前は……そう、本当の名前を言うのはちょっとアレだから、緑君にしましょ。


 私はいじめっ子だと思ったんだけれど、たぶん本人がどう思ってるかはわからないわね。

 でもとにかく、一人の別の男の子をターゲットにして、色々やってたみたいね。男の子だからふざけるのは当たり前だけど、殴ったりとか蹴ったりとか、ね。とにかく緑君は、その子がすごく気に食わなかったみたい。

 どこが、っていうと、なんとなくっていうのかな。はっきりとは言えないと思うし、周りから見てもわからないけれど、とにかく下に見ているっていうの。その子がもっている物はすぐに隠したり捨てたりしてオロオロするのを見るのがすごく楽しい。そういう事。反抗したり先生に言うと生意気。給食の中に虫を入れたり、牛乳をかけたり。


 本人はとにかくすごくムカつくって言ってた。


 それで、ある日こういうことを思いついた。

 その男の子の机の上に、適当に摘んできた赤い花を供えた花瓶を置いたの。そういうのってどういう意味かわかる? 死んじゃった子の机にやる事よね。

 それで、毎朝お葬式ごっこをやった。

 やる事は単純。坊主頭の子にお坊さんの役をやらせて、ムニャムニャ言わせる。それから、誰か適当な子に「どんな奴でしたか」と聞いたりする。どっちかっていうとそれは、ニュースの映像みたいだと思うんだけど……。でもとにかく、思いつく限りのお葬式っぽいことをしたの。だいたい、お花も赤かったみたいだしね。


 でも大体その子は毎日来るでしょう。そうするとものすごく怒る。

 なんで生きてるんだ、って言って突き飛ばして、蹴ったりする。

 そうかと思えばある日は、完全に無視をきめこんで、そのままお葬式ごっこを継続する。

 死んだ奴だから土に埋めようといって、外で砂をかける。


 そういうことを続けているうちに、その子は学校に来なくなった。

 緑君はとても喜んだそうよ。勝った、ってね。

 何が勝ったのかわからない?

 わからない方がいいよ。たぶん理解はできても、それでもわからないだろうから。

 けど、再会は案外すぐにやってきたの。

 学校の外で、二人はばったり出会った。


 緑君はその子だとわかると、声をかける代わりに走り寄って殴っていこうとしたんだって。

 だけど変な事にきがついた。その子は花束を持っていたの。学校を休んで何をやっているのか、まったくわからなかった。緑君はその子が持っていた花束を奪い取って、それで延々と殴りつけて、踏みつけた。道路に花びらが舞って、とても面白かったそうよ。

 でも、その時はいつもと違った。その子は大きな声をあげながら、花を返せと喚き散らしたみたいよ。泣きながらだったから余計にからかったみたいだけど、それでも何度も殴り返してきた。その剣幕に、さすがに驚いたみたい。最終的に、まぁ結構な暴言も吐いたみたい。近所の人が何事かと思って出てくる事態になって、結局面白くなくなって、そのまま家に帰ってしまった。

 だけど、緑君にとってはそれって、その子に負けた事になったみたいね。すごく機嫌は悪かったみたい。帰ってから、もし明日学校に来たらぶっ殺してやるって思ったようね。


 後から聞いた話だと、先生は伏せていたけれど、その子の妹さんが亡くなったみたい。

 棺に入れるために、好きだった花を買いに行った帰りだった。それは、赤い花だったの。

 緑君はそれをふーんって感じで聞いていたけれど、……その時からかな、片目に痛みが走るようになった。痛いからゴシゴシとこするから、余計目が赤くなって、目医者さんに行っても原因がわからない。

 とにかく治療を施して、あまり触らないようにって言われて帰された。


 ところがその日から夢の中で、会った事もない女の子がシクシク泣きながら、「あたしのお花、かえして」って訴えたんだそうよ。

 花なんか知らない、って緑君は言った。当然よね。


 けど、何度も何度も、何日も何日も、「あたしのお花、かえして」って夢の中に出てくる。

 おまけに、目の赤みは引かない。

 そんな時にようやく、担任の先生が、いじめていた子がどうして最近来ないのかを説明した。妹さんが事故で亡くなられたって、ね。赤い花が好きだった事もその時聞いた。そして、緑君はすごく気持ちが悪くなった。


 ……緑君の目に赤い花が咲いたのは、それからすぐだった。

 といっても目の色がどうにかなったとか、ヒユとかじゃなく、本当に赤い花が咲いてしまった。


 あなたにこの話をするまでに、緑君に聞いておかなかったのが残念。

 その花は緑君の右目のド真ん中から顔を出したらしいの。眼球から、赤い花が、まぶたを通り越して生えていた。


 緑君、怯えきって鏡の前で絶叫したみたい。

 その声でお母さんがすっ飛んできて、連れてきたのがここ。


 ……え?

 まさか。本当に赤い花が咲くわけないじゃない。

 緑君の目はね、普通の病気よ。汚い手で触って、何度もこすったりするのが原因。本当に赤い花が咲いているわけじゃない。でも、緑君自身はそう思っているから、赤い花が成長しているみたいに思ってるんでしょうね。ひょっとしたら、本当に赤い花が生えているって思ってるのかも。だから未だにああして入院しているの。自分のせいじゃないって思いながらね。

 だって、言ってたもの。


 『これ、あいつの呪いだ』って」


 お姉ちゃんはそれだけ言うと、黙ってしまった。たぶんちょっと、疲れたんだろう。

 お姉ちゃんは、時々こんな風にして、本当なのかよくわからない話をする。

 誰かに聞いてみたいけれど、絶対に面白い作り話にされるか、変な事を言うのはやめなさいって言われるにきまってる。

 でも、お姉ちゃんのお話は面白いから、どちらでもいいかなって最近思い始めている。

 そういえばお姉ちゃんは眼帯の中を見せてもらったって言ってたけど、結局どんな病気だったんだろう。


 下を覗き込むと、まだ緑色のパジャマの「緑君」がいた。

 看護婦さんに言われて、病院の中に戻るところだった。

 たぶんあの頭のところに見えた赤い花のようなものは、私の見間違いだったと思いたい。

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