あと九十九本... 「最期」

 作家であり、同僚である木村淳一の失踪から二週間が過ぎた。


 彼はいわゆる兼業作家であり、いまだ会社勤めをしながら小説を書いていた。わたしは彼の同僚だった。佳作を取り、本となった彼の作品を本屋で購入したと報告したら、照れ臭そうにしていたのを覚えている。いかにもデビューしたてというような文体だったが、一人の男が家族再生の道を歩むストーリーが、王道ながらも鮮やかに描き出されていた。

 最近は引っ越しもしたようで、落ち着いたらまた小説を書くのだと言っていたのも記憶に新しい。彼の前途は明るかった。

 少なくともわたしの目から見た彼はそうだった。


 当時、マスコミ好みの面白い話題は何も無かった。テレビの中は人気芸人が誰それと付き合っているとか、大物女優が舞台をドタキャンしたとか、そういう類のニュースばかりが溢れていた。

 お陰でこの事件が発覚した時は、各社が揃って火のついたように報道した。単なる会社員が失踪したというよりも、新人作家が失踪したというのはインパクトがあったのだ。


 それだけではない。なによりもセンセーショナルだったのが、妻である由利子さんと一人息子の昌也くんが殺されていたという事実だった。


 木村が会社に出ていないことを不審に思い、また同様に昌也くんの幼稚園の職員が連絡を入れても繋がらないというありさまだった。当初は第一発見者の情報はまだ伏せられていたが、家を訪れた近所の主婦がそうだという雰囲気はあり、実際それは当たっていた。同様に、母子を殺したのも木村淳一だろうという雰囲気は漂っていて、其方についても大方その通りだろうという予想のもとでニュースも作られていた。

 警察は必死で捜索を続け、マスコミも連日聞き込みをしていたが、ある時を境に別の事件を並行して追い始めていた。同じ市内の別の場所でも殺人事件があったらしく、こっちは殺した方が錯乱して暴れたために余計に面白おかしく描き立てられていた。何日か南の方を襲った豪雨も話題をさらっていったし、そうかと思えばどこかの住宅街に噛みつき猿が出没して警戒されているとかまで、話題はだんだんと離れていっていた。


 話題はとってかわられたものの、わたし自身、同僚としてほっとしないわけではなかった。

 同じ部署だったせいか、しばらくはわたしの近辺もうるさかった。兼業作家だった木村はまだここで働いていた。それも、佳作とはいえ賞を取っているのだから。同じ部署の連中で、彼の本を祝った時はあんなに楽しかったのに。

 それでもわたしは――わたしは、少しだけ後悔していた。

 それは、自分の知っている事実を誰かと共有したいという欲求からだった。


 でもその事実は、おそらく現実的ではない。言ったところで奇妙な目で見られるのが関の山だろう。

 わたしはニュースを見ていて、酷く寒気を覚えた。次の日に会社を休むほどに。それでも、同僚たちもまたショックを受けていたから、わたしの欠勤は同情心を持って理解された。だが、それは他の同僚たちとは少し違ったからだ。

 彼の書いた本は、皮肉な事にこの事件によって多くの者たちに興味を持たれた。どこの本屋に行っても山積みになっていた。そして、彼が死の間際まで書いていたという怪談小説はストーリーを追って紹介され、佳作を出した出版社が近い内に本として出すのではないかと囁かれていた。

 そのストーリーは、離婚して引っ越しをしてきた母子が主人公だった。引っ越した家は古く、やがてその家に赤い服の少女の幽霊が出るようになる、というものだった。ニュースではさすがにそれほど詳しく突っ込みはしなかったのだが、わたしにとってはそれだけで脅威だった。イラストで紹介される母子や赤い服の少女を見た瞬間、何もかもが間違っていてほしいという思いに駆られた。


 木村淳一が失踪する少し前。

 その時の彼は、少し疲れている程度に見えた。わたしは新しく手に入れたスマホを子供のように見せびらかし、カメラもこんなに綺麗に撮れるのだと彼に話した。お子さんも大きくなってるでしょう、壁紙にどうですかとか、そんなような事を話した。思えばそうやってさりげなく元気づけようとしたのかもしれない。


 だがわたしはその時の光景を生涯忘れる事はできないだろう。


 戯れに映した彼の姿。

 顔は真っ青で、髭は剃っておらず、まるで生気が無かった。憔悴しきった顔で、スマートフォンの画面に釘づけになっている木村氏の顔。おそらくそれが彼の最期の顔だった。人間の顔というのはここまで別人のようになるのかと思いながらも、その時のわたしは困惑したまま、その画面を隠した。

 どうか忘却がわたしを救い出してくれますように。

 彼女が今どこにいるのかなんて考えたくもないのだから。


 画面に映った彼の肩からは、赤い服の少女が、不気味な笑顔でこちらを覗き込んでいたのだった。

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