「お疲れ様でした。」

 初日の授業、……と言ってもホームルームの連続といった趣であるが、それが担任の言葉で終わり、放課後。

「白神さーん」

 声をかけてきたのは、二人組の女子生徒であった。一人は、出席番号一番の子、もう一人は背の小さな童顔の女生徒であった。

「芦田凉子さんと、沼田みうさん、でしたよね。」

「わーぁ、さっすがは秀才ぃ。記憶力抜群ーっ!」

「えっ、どういうこと?」

「合格発表、この学校、成績順に受験番号と名前が発表されるの。一番上にあったのが白神さん」

「どんな人だろぅなー、と思っていたんだけどぉ、思ったよりいぃ人でよかったですぅ」

 ……人じゃないんですけど。

「そっか、私、合格発表は見ていないから。」

 受験には来たけど、結果発表には来なくて、郵便で見ただけだから。

「二位の吉井君もこのクラス……女の子のトップとして男に負けないようにしてよ!」

「あ、うん。」

 そういってまくし立てる芦田さんの前に、相槌を打つ。

「俺が、どうしたって? ゐすゞ」

 その名前が出た当人、健が後ろに立っていた。

「あ、同じ中学の健、吉井健。」

「名前で呼び合うなんてぇ、ラブラブですねぇ」

「「いや、そうでもない」」

 みうの推論は、私たちで口を揃えて否定。仲が悪くは無いが、そんな仲ではない。

「勉強とか、教えあってるの?」

 涼子は、健の顔をのぞき込むように尋ねる。あまりにぐっと近づくので、健がのけぞる。

「ま、まぁ、そういうこともある」

 異性に覗き込まれて動揺してる? 健、私にはそんな表情、したことないよね。

「だったら、私に勉強教えてちょうだい。こう見えても、私、国公立大学目指しているんだから」

 そう、自信たっぷりに言う涼子に冷や水を指すように、みうの緩くも厳しい言葉が登場する。

「でも、りょーちゃんは、クラスの平均あるかないか、ってところですぅ」

「それは中学までの私。これからは、白神ゐすゞ、吉井健、それに次いでこのあたし、芦田涼子がこの学年トップ・スリーになるのよ!!」

 そう言って、まっすぐ指を振り上げる仕草をする涼子。背が高いだけあって天井から吊ってある蛍光灯に手が届かないばかりまで伸びたその先に彼女の未来が、なんてキャプションが付きそうなものだが

「その前に、わたくし、っていぅ存在を超えてぇ、くださいねえぇ」

 現実を突きつけられてうなだれる、涼子。

「そうだよ、そーですよ。頭、よくないんだもん」

 そう言って、私の手をがっしりと掴んで

「白神さん、マジで頭、よくなりたいんで、おねがいします」

 ……涼子の手に塗られたクリームがベトベトして気持ちわるいーっ! たぶん、朝、塗って来たのだろうけど、敏感な私にはどうにも相容れない感触。

 そんな気持ちの悪いものに気を取られているうちに、何の反応も見せない私を見てか、突然に涼子が顔を伏せる。

 土・下・座っ!

「親が私の将来に対して、すっごい不安がっているんです。成績もちょっとだけ右肩下がり。もう、頼めるような人は、白神さん、それから吉井さんしかいないんです。どうか、私、芦田涼子をお二人のような素晴らしい点数を取らせてください。神様、仏様、白神様」

「あ。あの、頭を上げてよ、芦田さん。そんな、土下座なんかされたら私、困る」

 どうにも、頭を下げられるのは苦手。

 ……。

 ……。

 芦田さんの頭、未だ上がらず。

「勉強ができるか出来ないかでそこまで頭下げることなのか?」

 健が、突然口を開く。

 芦田さんは、だまったままだった。

「じゃ、俺は体育が苦手だ」

 そういって、健は頭を下げた。ちなみに、健は人並み以上に出来るが、唯一これだけが満点ではない、というレベルだ。

「や、やめようよー。涼子も吉井さんも、頭、上げてよ」

 沼田さんの言葉もむなしく、二人とも動く気配はなかった。

 そのまま、凍り付いた時間が私を遮る。

「二人ともバカよね」

 口を開いたのは芦田さんであった。

「頭下げて言うこと聞いてもらおう、なんて前近代的な発想じゃどうにもならないなんてわかりきってるよ。それでもさ、親から責められて、友達からは馬鹿にされて生きて来てさ、なんとかしなきゃ、というのは思っているんだ。こうして、頭のいい奴探してさ、頭下げてりゃ、なんか糸口つかめるんじゃないか、って必死に考えて。でも、迷惑な話だよ。結局、相手にまで頭下げられて八方塞がりになって。本当に、私はバカだ。」

 それを受けて、健も口を開く。

「そうだ、俺だってそんな策略に嵌まったんだ。充分、バカでいいだろ」

 そういって、やっと健は頭を上げた。

「それじゃ、俺はこの街のことも、都会での暮らしも、女の子のこともよくわかっていない。だからな、芦田さん、俺にそのことを教えてくれ。一生懸命、勉強したい。学校の勉強は出来る範囲で協力させてくれ」

「吉井君……」

「おいおい、俺が先に声かけようと思ってたのに。なーんか辛気くさい感じで、話しかけづらい雰囲気にすんなよな、涼子」

 彼の名は小田隆史。健と同じくらいの背なのだが、外見上、最も異なるのは茶髪に染めた髪を逆立てていて、それでもって健と同じ高さなのである。その、染料というか糊の臭いのキツいことキツいこと。……あ、あくまで私の鼻には、ね。

「小田さん、ですよね、あ、あの、……」

 ちょーっと、その髪型と、着崩した制服のせいで怖いですけど。……とも言えないよ。そう考えながらもぞもぞしていたら、いきなり私の手を掴んできた。

「白神さん、可愛いです。付き合ってください!!」

 は?

「はぁ……」

「隆~史~、何~を~言っている~の」                         低い声で、涼子が、涼子が迫ってくる。

「見かけた女の子に手当たり次第ナンパするな!!」

 涼子の平手が不良然とした隆史の頬を嬲る。すぐさま隆史の表皮が紅潮したかと思うと、彼はそのままその場へうずくまる。

「なにすんだよ、芦田!!」

 そんな、抗議にも聞こえる激しい口調で涼子を弾劾しようとするが、逆ににらみ返される。

「矯正、修正、思想改造……。さて、どうしましょうか?」

 しゅん、とした隆史をさらに追い詰めるように、涼子はまくし立てる。

「それに、白神さんはこの吉井くんとデキているの!! あんたが見初めるずーっと、ずーっと前から仲良くって、あんたの入る余地なんか一っつもないんだから。早くあきらめなさい」

 鼻の先端部が触れあうか、というほど顔を寄せて睨みつつ、涼子は隆史に迫って糾弾する。そのまま後ずさった隆史は、私の陰に隠れるようにしながら、姿形とは到底相容れないようなか弱い声で私に聞く。

「そんなぁ。別に、そんなこと無いでしょ」

 ま、そう言われれば、同居しようが、何だろうが

「まぁ、そんなこと、ない、よね」

と答えるしかないのですが。健のほうに目をやる。それに促されるように

「確かに、まあ、なぁ。付き合っている訳ではないな」

 その科白を耳に入れた隆史は、すかさず健の所まですすすっと近寄り、手をぎゅっと掴んで

「ありがとうな、吉井。これから俺は美女を手に入れる。そして、最っ高の人生を過ごすんだ」

 目にうっすらと涙を浮かべて、さらに強く手を握り、ぶんぶんと振り回す。

「痛いから、やめろって。ただただ事実を述べただけで、小田に有利な発言をしたわけでは無いが」

「そんなことない、ない」

 そんな、妙に浮かれていた隆史に

「そうね、でも、誰もあんたの彼女になるとは言っていないけど」

「気がー、はやいですぅーねー」

 女生徒達の冷ややかな目が、隆史の軽薄さを薄ら嗤う。

「そ、それでは白神さんの意思はどういった感じで」

 平身低頭、手を擦り合わせながら私に言われても、

「小田さんと付き合う気はございません」

 ……というしかないです、ごめんなさい。

 その言葉に、隆史の動きが固まる。

「しかし、間もなく、この俺の魅力に気づくだろう」

 人間個々人に対して好き嫌い、というのは無いのだけど……。

「この俺の魅力という魅力に」

「ま、身なりと言葉遣いで軽薄さは解ったが、それ以上に何があるんだ」

「そうよ、そうよ」

 健の言葉に涼子が援護射撃をする。

「いくら勉強が出来るといっても、バカだなぁ。カツカツのガリ勉なんかよりも、人間としての魅力、あるだろ」

「確かにぃ、何をするかわからない、ってところは、危険な魅力とも言えなくもないですぅ」

「なんか、俺、そんなに危険か?」

「間違いなく」

「危険」

「なんだよーっ!!」

そう言って、腕を振り上げて悲愴の表情を浮かべるのだが、その手がすぐに私の手を掴み、問いかける隆史。

「な、遠くから引っ越してきたんだったらここに不慣れだろ。教科書屋もわからないと思うし、この街紹介してるよ」

「いや、その本屋、学校へ来る途中にあったから、帰りにでも行こうと」

 手をわずらわせるのは悪い、と思って言ったのだが、

「隆史なんかと誰が一緒に行くと思う?」

 もはや、小田さんキラーと化した芦田さんの拳が、攻撃相手の腹に突き刺さる。拳に押し出された肉体が宙を舞い、二つ先の机の上に放物線を描きながら自由落下していった。

「ぼ、暴力はんたい……」

「取り敢えず、テストが先でしょ。隆史と違って、このインテリさんたちはちゃんと勉強してるんですよ」

 ごめんなさい、特にテスト勉強なんかはしたことないんです。今まであったことをただ覚えているだけです。特に歴史は。

「ま、すぐに暴力に訴えるのはよくないが、セクハラに等しい行為も多々あったことだし、俺たち友達だから、その友達を護るための行為と考えると、正当防衛の要件は満たしているような気もしないでもないが」

 健は、いかにも真面目くさい雰囲気の言葉を口にする。

「友達……うん、友達だよ」

「お、俺も友達だよね、白神さん!!」

 芦田さんに続いて、小田さんが必死に友達アピールをはじめる。

「えぇ、まぁ」

 曖昧な回答をする私だった。それを確認するように、健が続ける。

「ただしな、この白神ゐすゞという女は芦田さんの言う所では成績優秀と言うことだからな、法学部に入って、司法関係の職についてお前を訴える可能性も充分にあるからな、今後、行動には充分気をつけるようにな」

「わかりましたであります、吉井殿!」

「なぜ、軍隊口調?」

 私の疑問に答えたのは、沼田さんだった。

「ま、変な人ですからー、変なままでも構わないんじゃーないですかー」

「で、上官殿、ご命令は何でございますか?」

 その変な口調はエスカレートしながらまだまだ続く。

「ここで、勉強はじめるぞ。机を合わせるの、手伝え」

「えーっ!」

 あ、元に戻った。

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