引っ越しから四日、荷物もなんとか片付いたこの日から、いよいよ高校生活最初の日、すなわち入学式の日の朝を迎えた。

「おはよう。今日から学校だぞ」

 健の言葉も、まだ鈍い感覚の手前、頭には入ってこない。神であっても眠いときは眠いのである。

「入学初日から遅刻、というのは避けたいものだ」

 布団の中、寝惚け眼(まなこ)の先の健は、もう起きて朝食の準備を始めていた。白飯に味噌汁、海苔、漬け物と、今時珍しいまでの普通の和食である。すでに制服に着替えた上にエプロン、という出で立ちであった。

「おはよう」

 炊飯器から出る甘い蒸気を鼻で追いながら布団から出た私は、目をこすりながら台所に近づいていく。

 包丁を持ち、豆腐を切ろうとしている健の横に立つ私なのだが、寝起きでおおきなアクビが。

 ふわぁぁーーーっ。

「やっと起きたか……制服に着替えておけよ」

 ふわぁーい、と返事なのかアクビなのかなのかよくわからない返事をして、再び布団の近くへ戻る。

「制服、どこ~?」

「机の上、準備してあるだろ」

 といって振り返った健が、ごとっ、と鈍い音を立てて包丁を落とす。

 そして、再び台所に目を落とし、顔を赤らめながら呟く。

「少しは隠せよ」

 ちょうど寝間着を胸の下のところまでまくり上げていたところだった。

 あっ、人間ならば隠すところ?

 長い間、たった一人だけで生活してきたてために、人前でどうこう、なんて気にしていなかった。

「隠せって、言われても」

「こっち、向いておくから早く着替えろ。終わったら言ってくれよ」

「わかった、終わった」

 指先で、すーっと制服に触れる。着ているものと入れ替わる。変身、みたいな。

「終わったって、早いな。振り返っていいか?」

「どうぞ」

 振り返る、健。……かわいい、とか言ってくれるかな。

「もっとちゃんと着ろよ。胸元のリボン、ずれている。あと、髪」

 そういって、私のところにやってきて、すっと手を添えて直してくれる。……触れたところから、健のぬくもりが伝わってきて、なんとなく、人間の男女みたいな……。

「あ、あの……」

「勝手に触っても……神様だから、……ちゃんとしなきゃ、な。女の子、じゃ、ないから、なんて」

「ありがと」

 互いに、人間と神というズレが、ぎこちない言葉を紡ぐ。その後、少し間を置いて、

「身体、大丈夫か。」

「う、うん」

 調子が悪く、二日間も寝込んでしまった私。その間、荷物を開梱して部屋を整理し、身の回りのことをすべてやってくれたのは健だ。それだけでなく、現状のすべてを健にゆだねている、といっても過言でない。私、今日のための準備なんてほとんど何もしてないもの。

 私が席に着くと、健は朝食を運んでくる。

 そして、私の目の前に置くなり

「マズいかと思うが、ま、食べてくれ」

「そんなことない……と思う。いただきます」

 ま、礼儀。手を合わせて、それから箸を付ける。

「おいし……」

 なんて言うのが早いか、一気に平らげる私である。健にはことあるごとにそんな姿を見せてきたわけだが、こんなの他の人に見せられないから矯正しなきゃ、と思っているのだが、なかなか、好物を食べられなければそれは余計に腹が減る訳で、そのストレスという訳でもないけど、やっぱり食べることは好きなのである。

 ま、ここだけは人でないことがうれしいのである。

「俺はな、思うんだ」

 健は、そんな私をまじまじと見ながら言う。

「ゐすゞは食べているときが幸せそうで、それを見るのが最も好きなんだ。……悪いな。たぶん、それはゐすゞ自身がはしたないところだと思っているかもしれないことを好き、とか言ったりして」

 少し、いつもよりゆっくり目に、噛みしめるように語る健に、私が恥ずかしくなって、切り上げようと、

「と、とにかく、食べ終わったんだし、学校へ行く準備しましょ」

「俺は、もうほとんど出来ているし、ゐすゞの分もできるだけのことはしておいた。ほら、弁当。忘れるなよ。」

 茶褐色の水筒と共に置かれた、淡いピンク色の包み。

 手を掲げて、中身を感じる。食材がぎっしり、しかも冷凍食品なし、添加物もできうる限り減らした手の込んだものであった。

 時間にしろ、作る腕にしろ、どうしてここまで私のために手を割いてくれるのだろうか。もちろん、力を使って彼の心を丸裸にすることなど造作も無いことであるが、故に、敢えて聞けないよね。もちろん、力は使わないが。

 登校前の準備のすべてを終えてから、髪を結わえる。細長い紙片にあらかじめ書いておいた文字……封印。それを真っ白な髪に巻き付けると、艶やかな黒髪に変わっていく。

「さ、準備できた、行こ」

 そう言って、階段を駆け下りる……というよりはその上を跳んで、浮いて、足を着けずに一気に一階へと到着する。

「あ、大家さん、おはようございます」

「あら、ゐすゞ(いすず)ちゃん。いってらっしゃい」

 ん、見られた? 肝を冷やしていたが、大家さんは言及しなかったと言うことはなんとかセーフ、ってとこかな。

 健も続いて階段を降りてくる。大家さんと頭を下げあった後、靴を履いている私の横へやってきた。

 さあ、行くよ!

 建物から、外の道路に出て高らかに宣言した。

「今日から新天地での高校生活の第一歩、ゐすゞ、出発しまーす!!」

 これから始まる、人間らしい、高校生活に胸を膨らませながら、一歩、また一歩、新しい扉の先へと歩き始めた。

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