乙女よ大志を抱け!!
その日、
「ママはいないの? ここに来てるんでしょ?」
「うーん」
父が困ったような顔をする。
「来てるのは間違いないよ。でも、お仕事があるからね。映画が終わってから会えるよ。まずは映画を見ような、美晴」
「うん」
美晴はおとなしくうなずいた。母の仕事が特殊であることは5歳児なりに理解している。
美晴が母の仕事を知ったのは、今年の春、テレビアニメ『パルフェアリス』の第1話が放送された日曜の朝のことだ。自宅で両親と一緒にテレビを見ていたが、母はずっとそわそわしていた。
『パルフェアリス』は女子中学生三人が妖精の力を借りて正義の戦士パルフェアリスに変身し、人間界への侵攻をもくろむ悪の妖精たちと戦うという内容である。ごく普通の女の子たちがかわいい衣装に身を包み敵を蹴散らす姿に、美晴の胸は躍った。
番組が終わった直後、母がたずねてきた。
「美晴、面白かった?」
「うん!」
美晴は素直に答える。満足そうな顔をした母は、今度は少し緊張した面持ちで、
「じゃあ、三人の中で誰が一番好き?」
「みもりちゃん!」
パルフェアリスは三人いるが、主人公であり明るく元気なパルピクシー・
「そ、そうか。そうかぁ……」
母ががっくりと肩を落とす。脇でその様子を見ていた父が笑った。
「ははははは、残念だったねママ……痛い痛い痛い痛い! ごめんなさい!」
母は父の頬をつねり上げる手を離すと、美晴に言った。
「ねえ、美晴。もしもママがパルノームの
「……えー?」
よく意味がわからない。明菜ちゃんは明菜ちゃんではないのか、と美晴は思った。
「えーと、つまり明菜ちゃんの声をママが出しているってことよ」
「でも、明菜ちゃんの声はママと全然違うよ?」
「フフフ……それはどうかな」
不敵に笑うと、母は叫んだ。
「『果てしなき大地の緑、パルノーム!』……どう?」
つい数分前にテレビから聞こえてきた、パルノームが変身するときの名乗り口上そのままだ。美晴は興奮した。
「すごーい!」
「ママの言ってること、わかってくれた?」
「うん、なんとなく」
「じゃあ、そのうえでもう一度聞こう。……三人の中で、誰が一番好き?」
「……みもりちゃん!」
「ぶれないな、うちの子は!」
母は苦笑した。
そして『パルフェアリス』の放送開始から約半年が経過した今日は、劇場版『パルフェアリス』の公開初日だ。初めての映画館で、パルフェアリスたちが大きなスクリーンの中を動き回る。美晴はワクワクしながら父に買ってもらったジュースを飲み、上映が始まるのを待った。
長い予告編の後で、本編が始まった。物語はテレビアニメとは違い、修学旅行先である北海道が舞台になっていた。テレビアニメとの大きな違いはもう一つ、劇場版だけのキャラクターである四人目のパルフェアリス「パルコロン」が登場することだ。映画を見ていて美晴の印象に強く残ったのもやはりパルコロンだった。
パルコロン・
本編が終了すると、女性二人が歌うエンディング曲とともにスタッフロールが流れ始めた。お気に入りであるテレビアニメ版のエンディング曲とはテンポも歌声も全く違うので美晴は少し不満を覚えたが、聞いているうちにこういうゆったりした歌も悪くないな、と思うようになった。それに、この歌声はたぶんパルコロン・小波ルルのものだ。透き通るような声が美晴の心に残った。
無意識の内に、美晴はスクロールしていくキャストの名前を注意深く見ていた。まだ読めない漢字が山ほどあるが、テレビアニメと同じように表示される「
上映が終了し劇場内が明るくなった途端、周囲の子どもたちの声が騒がしくなった。
「どうだった、美晴」
隣に座る父が話しかけてきたので、
「面白かった! パルコロンがかわいそうだったけど、死んじゃわなくて良かったね」
美晴がいつものように素直な感想を言うと、父は「そうか……」とだけ呟き、目を閉じた。何かを思い出しているように見える。
しばらく経っても、客席からは誰も立ち上がらなかった。それどころか、新たに大勢の大人たちが機材を抱えて劇場に入って来る。やがて彼らは最前列の席のさらに前に陣取り、機材を準備し始めた。
「なにしてるの、あれ」
美晴の疑問に父が答えてくれる。
「舞台挨拶って言ってね、これから映画を作った人たちが舞台に上がって、お話をするんだ。ママも出てくるよ」
「ママが!?」
「ああ。あの人たちはカメラでその様子を撮影して、ニュースで流すんだ。後で美晴にも見せるよ」
「うん!」
「しかし、予想以上にカメラが多いな……。8年振りともなれば、当然かな」
父の言葉の意味は、美晴には理解できなかった。
数分後、女性司会者の進行により舞台挨拶が始まった。
「それではキャストの皆さんをお呼びしましょう。パルピクシー・鈴村みもり役の浅尾千春さん。パルシルフ・
客席から拍手が起きたので、美晴もよくわからないままに拍手した。やがて舞台には母を含め三人の女性が姿を現した。美晴は母以外の二人の顔にも見覚えがあった。母に連れられて一緒に食事をしたことがあるからだ。名前は覚えていないが、「みもりちゃんの人」「泉水ちゃんの人」と認識していた。三人とも、それぞれの演じるキャラクターのイメージカラーに合わせた衣装を着ているようだ。パルピクシーはピンク、パルシルフは青、そして母が演じるパルノームは緑。緑のワンピースを着た母は、なぜか元気が無さそうに見えた。
舞台挨拶は明るい雰囲気で進み、三人目である母の順番が回ってきた。母はマイクを手にすると、
「パルノーム・里見明菜役の羽後なお美です。みなさん今日はお越しいただき、ありがとうございます。えー……。今回の映画では、ゲストキャラクターのパルコロン役として、西村日菜子さんに……」
観客も共演者も、母の次の言葉を待っている。しかし、
「えー……。えー……」
下を向いたまま、言葉に詰まっている。客席に美晴と父がいることは知っているはずだが、こちらを見ようともしない。明らかに様子がおかしい。客席からざわめきが起き始める。
「すい、すいません……」
母が泣いていた。よく笑いよく怒る母だが、泣くところを美晴は初めて見る。共演者の二人が母に駆け寄る。カメラのフラッシュが激しく焚かれる。
美晴はもう我慢できなかった。
「ママがんばってぇぇぇぇーっ!」
力の限り叫んだ。母を含む劇場内の視線が全て自分に集まるのを感じる。一瞬の沈黙の後、母が恥ずかしそうに言った。
「ごめんなさい。今の、うちの娘です……」
劇場から笑い声が起きた。なぜか拍手まで聞こえてくる。美晴は父を見た。父は苦笑して、
「美晴は大物になるよ」
とだけ言った。舞台上の母は調子を取り戻したようで、表情は明るくなっていた。
「ああー、今ので力が抜けました。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。そう、西村日菜子ちゃん! ひなこちゃんのことがあったから、感極まってしまったんです。申し訳ございません。ありがたいことに、親しいお付き合いをさせていただいていましたからね。彼女がどんな苦労をしてこの仕事をできるまでになったか、間近で見てきましたから……」
母がそこまで話したところで、舞台後方に長い黒髪の女性がひょっこり現れた。母の背後に立ち、客席にいたずらっぽい笑顔を向ける。わずかに子どもたちから声があがったが、女性が人差し指を立てて口に当てるジェスチャーを見せたため、すぐに静かになった。大人たちからは、不自然なほど反応が無かった。
「誰なの、あれ?」
美晴が父に小声でたずねると、父が答えた。
「そのうち言ってくれるよ」
「みんな知ってるの?」
「ああ、ママ以外の大人はみんなあの子が来ることを知ってるんだ。ママには内緒にしておくこともね」
父はニコニコしている。
舞台上の母は背後に立つ女性に全く気が付かず、話を続けていた。
「彼女の8年ぶりの活動で共演することができて、心から嬉しく思います。いまや女優として大活躍されている東出咲月ちゃんにも、エンディングテーマで1曲限りの復活をしてもらって……感謝のしようがありません。……本当はひなこちゃんと一緒にアフレコができれば最高だったんですけどね、まだ体調が優れないということで、別々に収録ということになりまして。それだけが残念でした」
母の背後の女性は神妙な顔をしていたが、
「せめて今日の舞台挨拶には来てもらえたら、と思ったのですが、それも難しいということで……」
という続きを聞き、口を手で押さえて笑いをこらえていた。客席からも笑い声が漏れ始める。
「ん?」
母が不審げな顔をする。さすがに周囲の様子に気が付いたようだ。左右に視線を向けた後、背後を見た。そしてすぐ後方に立つ人物の姿を確認すると、崩れ落ちるようにしてその場に膝をついてしまった。
「どうも! パルコロン・小波ルル役の西村日菜子です! なお美さん、お久しぶりです!」
長い黒髪の女性がマイクを手にして明るく言う。カメラのフラッシュがこれまで以上に焚かれた。
「……もう、なんだよ。なんだよ、それぇぇぇぇ! みんな知ってたのっ? もぉぉぉ!」
泣き、笑い、怒りがごっちゃになった叫び声とともに母は立ち上がり、自分より背の高い女性に抱き着いた。
客席の美晴はしばらくポカンと口を開けて舞台を眺めていたが、
「あの人がパルコロンの人なの?」
と、父にたずねた。が、返事が無い。父を見ると、顔をくしゃくしゃにして泣いており、美晴の声に気が付いていないようだ。ダメだこりゃ、と美晴は思った。
舞台上ではまだ二人が抱き合って泣いていた。きっと美晴の知らない、いろんなことが二人の間にあったのだろう。後でゆっくり教えてもらおう。それから、映画の感想を言ってあげよう。とても面白かったということと、母やパルコロンの人のようになりたいと思ったということを。
アイドルの中の人 平河ゆうき @doraman
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