第2話



「は?」


 思わず声が出た。こんなことを言っては失礼だが、拍子抜けしてしまったのだ。どんな「与謝さん」が出てくるかなど具体的に想像もしていなかったものの、ある程度身構える必要のある、つまりは大人が出てくると思い込んでいたからだ。


 彼女は前髪を眉の上で切りそろえたおかっぱ頭だった。ちょっと太くて、短い眉が印象的な子だ。目尻がちょっと上がり気味で、なんとなく印象的な顔立ちをしていた。小学生らしくひょろりと細い手足をしていたが、なんとなくその言葉使いはらしくない。それに、アルミくんとは?聞き逃せない謎のワードだ。


「あ、あの~」

「なーに?」

「アルミくん、って?」

「あなたのことだよ。それより、突然人の家に訪問してきたんだからまずは名乗ったら?」


そう言われてみればそうだ。いくら相手が子どもといえど、失礼にも程がある。


「あ、はい。突然訪問してすみません。この同じアパートの5階に住んでます、鯨井と言います」

「思ったより変わった苗字だったんだね、アルミくん」

「あの、それでそのアルミくんというのは――」

のへやの人。だからアルミくん」


部屋の前の少し黄色っぽい蛍光灯が、ちかりと点滅した。それと同時に、僕の心臓は小さく、でも確かにとくとくと早鐘を打った。ただのアルミサッシの部屋。確かに僕は、そのなんの個性もない窓辺が、むしろ唯一ともいえる僕の部屋の個性だと思っていた。しかし他の住人が僕の部屋をそのように見ていたとも、僕と同じ考えをしていたとも、思わなかったのだ。物思いに耽った内容を、言い当てられたような気がした。


「ところでアルミくんは、うちに何か用?」

「あ、いや」


思わず視線を下げて、目を反らしてしまった。彼女の白いふわふわとしたスリッパを履いた足が見える。どうしよう。インターホンを押してしまったのもいわゆる事故のようなものだし、何を話すかなんてまだ原稿はまとまっていない。既に遅し、今の僕は小学生の女の子の前でもじもじと醜態をさらしているだけだ。


「「菜の花の根が」?」


僕が小声で呟いた言葉は、面白くて堪らないといった響きの少女の声でかき消された。


「――え、と、どうして」

「だってそれしかないじゃない? 私はあなたがくるって思ってたのよ」


わけがわからない。なぜ? どうして? どうしようもなく、頭の中はまとまらず散り散りだ。そもそも、この女の子は大人びた物言いをするがまさか一人で住んでいるわけではないだろう。保護者がきっといるはずだ。あまりにも僕が想像していた展開でないから忘れていた。(再度言うが、僕は白い眼で見られてすごすごと帰宅する自分を想像していた) その保護者がいないままで会話を進めるのはいかがなものか。暗くなってから訪ねてきた男を不審者だと思っても仕方がない。そうなる前に話を切り上げてすごすごと帰ろう。そうすれば何も問題なし、この子が出てきてくれたことは大人が出てきたよりはましだったと思おう。


「えっと、よくわからないけど、ごめんね部屋を間違えてベルを鳴らしちゃったんだ。でもすぐにいなくなったんじゃただの迷惑だし、一言謝ってから行こうとおもって」

「いいわ。とりあえず上がって。こんなところで立ち話もなんでしょ」

「いや、だから」

「咄嗟に思いついた嘘にしては上出来だけど、ここまで会話をしてから言う台詞ではなかったわね。とりあえず混乱してこの場から逃げようって考えが丸わかり。ほら、思わず来たんだから、今日は来るべき日だったのよ。上がって」


こう言われては、もう何も言葉は出ない。ただ余計に忙しくなった心臓に気付くだけだ。上がって。その言葉に、ただ僕は従った。


「お邪魔します」


まさに何もわからないまま、僕は与謝家の敷居を跨いでいた。

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黄色を抜いたら 藤原あすま @yasai-juice

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