#15 真実の場所
連絡通路を抜けて、古沢は教室まで全力で――駆けようと、した。
だがその道を塞ぐようにして、教室の手前の廊下に、傷だらけの少女が倒れていた。
今頃待田と「ガールズトーク」をしていたはずの魔法少女、府中微睡だった。
「…………何やってんだ」
「………………痛くない」
彼女は仰向けに寝転がったまま、そう呻く。
その征服には埃一つついていなかったが、顔面や手足のあちこちに巻かれた脱脂綿と包帯は、見ているだけでも痛々しい有様だった。これで痛くないはずもない。
怪我の原因は、問うまでもなかった――全て、待田がやったのだろう。
そしてこの手当ても、待田がしたのだろうか。
ということは冷静さは取り戻しているらしいが、園庭であれほど冷静に情報を引き出していた待田を――これほどまでに、激昂させたのは何か。妙な胸騒ぎがしたが、とにかく話を聞いてみるしかない。古沢は改めて教室に向かおうとして、府中がまだ転がっていることに気付いた。
どく気配がない。
ただその虚ろな双眸で、牽制するように古沢を見つめてくるだけだった。
仕方がないので跨いで行こうとするが、そうすると府中はやにわにその足を掴んでくる。
「……何のつもりだ」
古沢はその手を振り払おうとしつつ、脅すような声色でそう言った。しかしどこに力が残っているのか、いっこうに離れてくれない。それどころか、その目に理知の光まで含んで、
「行っちゃだめ。行かないであげて」
真剣極まりない様子で告げてくる。
「どうしてだ。全部終わったんだろう」
「終わって、ない…………待田さんが、机を片付けてるから。だから、行っちゃだめ」
「…………そんなの『魔法』を使えば一瞬だろう」
「うん、でも結構ぐっちゃぐちゃになっちゃったから」
「そんなことはわかってる」
ぐっちゃぐちゃの度合いがどうであろうと、待田なら一発で元通りに出来るはずだ。府中の怪我を見るに、その実力は府中も身をもって体感したはずだ。そして同業者として二週間過ごしてきた古沢が、誰よりも待田の力を――
「――ん……わかってるの?」
「……わかっては、いないか」
古沢はそう答えて、府中を振り払おうとする力を解いた。
本当はすぐにでも教室へ入りたいのだが、実際古沢は、待田が戦っている場面をほとんど見たことがない。府中が嘘を吐いている様子もないし、ここで下手に入っていってもお節介になりかねない。人間というものは、何かを壊すことに比べて何かを組み立てることが大の苦手なのだ。同時に複数の対象を意図した場所へ動かすのは、至難の業なのかもしれない。単にそういう理由で時間がかかっているだけという可能性も十分ある。
と、そこで古沢は、北宮に言われたことを思い出した。
「そういえば、待田は俺については何か言ってたのか」
「言ってたも何も…………この怪我、それが原因だし」
府中は気怠げにそう言いながら、古沢の足から手を離した。古沢は黙って続きを待ったが、府中は仰向けのまま、ぼんやりと天井を見るだけだった。「それが原因」の意味が古沢にはよくわからなかったが、府中はそれ以上喋る気はないようだった。
二人が黙り込むと、教室の中からギィ……と、机を動かす音が聞こえた。理由はともあれ、本当に手で机を戻しているらしい。教室にある机と椅子はそれぞれ四十程度だが、机を引きずる音のペースは、それが途方もない数に思えるほどだった。
青の少女と打ち合いをしていた時に、教室の方から、まるで建設途中のビルを思い切り崩したかのような轟音が聞こえていた。府中の酷い怪我は、ほぼその時に負ったとみていい。あの時は「大きな下手は踏むまい」と思っていたが――古沢は改めて、ぐったりして両腕で顔を覆う府中と、その全身に巻かれた包帯を見渡した。
状況が整理できてくると共に、その禍々しさは際立った。
冷静沈着な待田が、ある瞬間につい激昂した。それだけでは到底説明できないほど、この状況は「大きな下手」ではないだろうか?
インフルにうなされていた待田を路地裏で助けてから、まだ二週間だ。魔法少女になってほしいと、謎の言葉をかけられてからも二週間だ。ただのクラスメイトにすぎなかった待田と、関わりを持ち始めてから二週間だ。たかがそれだけで、待田の何が分かる――湧き起こる疑問を抑えるために、古沢は自分に言い聞かせようとした。だが駄目だった。どう考えても、この状況は異常でしかない。
転がった府中の手前から教室を覗こうとするが、光の反射の加減で叶わなかった。ただ机や椅子を運ぶ音だけが、間隔を開けて重苦しく響いてくる。
そもそも「考えがある」と待田は言ったが、その考えに沿って進んだ結果がこれであるとは思えない。ならば、待田の計算はどこで狂ったのだろうか。あの轟音の瞬間か、はたまたそれよりもっと前か。
ついには言葉を選びに選んで、古沢は眼下の府中に尋ねた。
「……府中、俺がいない間に――待田に、何があったんだ」
府中はのそりと、顔から腕をどけて片目を出す。電気も点いていない夕暮れ時の廊下ではあるが、その程度の光量すらも今の府中にはこたえるらしく、眠たげな目をさらに細めて古沢を見つめていた。
そのまま十数分前の教室のように、二人の間に沈黙が流れる。
さすがに問い方を捻りすぎたかと古沢は思ったが、数秒の後、今度は府中が先に口を開いた。
「待田さん、というか……そもそも私が、悪いとは思うんだけど」
「お前が何かしたとして、待田がそこまで仕返すとは思えない」
「そう――それがわからないの。大したことは、言ってないのに」
「何を言ったんだ」
「古沢さん死んだかもって」
「大問題だ」
「だって左京が、殺していいとか言うから……とにかく、そう言ったら待田さんが、ふざけんなバーーカみたいに叫んで……」
そして、惨劇が起こったらしい。語られずとも、そこで府中の目が閉じられたことからそう察せた。
古沢は一つ息を吐き、帽子を押さえ直す。いつもの仕草だったが、無意識の内に深い呼吸が二つ、三つと続いた。
殺していいもふざけんなバーカも、さすがに府中がニュアンスだけで言っているにすぎないだろう。府中たちが来る前の時点ではまだ彼女たちと戦ってすらいないし、いきなり、しかもテレビ局なんかに殺されるいわれはない。そして待田はふざけんなバーカという口の利き方はしない。それはまず、間違いないはずだ。
そうでないと話が進まないし、進められない。そこの真偽は、今尋ねる気にはなれなかった。
しかし「死んだかも」という台詞を、府中がそのまま言っていたとすると問題だ。交流が短くても、仕事仲間ということを抜きにしても、知った顔が殺されたかもしれないとなれば誰だって制御を失う。だとしてもあまりにオーバーキルである気もするが、感情が爆発すれば人間、何をしでかすかわからない。魔法少女ならなおさらだ。
一時の暴走だったからこそ、待田は府中の手当てもしたのだろう。
推論の繰り返しだが、一応筋は通る。
だが、だからこそ疑問もあった――なぜ戦闘中の待田は、古沢が殺されるはずがないとわからなかったのか?
「――府中」
「……なぁに?」
古沢が声を掛けると、府中はまた薄く目を開いた。
もう一度言葉を選んで、古沢は問う。
「正確に答えてくれ。あの時お前は待田に、何を言ったんだ」
「ぅう……? よく覚えてないけど……どうして?」
「聞きたいんだ」
声に出してみて始めて、自分が存外焦っていることに気付く。府中が目を瞑って首を左右に振り、なんとか思い出そうとしている間に、古沢は天井を見上げてもう一度呼吸を整える。それでも焦りは治まらなかった。府中は「死んだかも」と言っていたが、もっと相当きつく断定されないと、条件反射的に暴走したりはしないはずだ。「考えがある」とまで言っていた待田が、そうもなるとは思えない。そうでないとすれば、残る可能性は二つだ。あまり望ましくはないが、古沢が待田の人格を見誤っていたこと。しかしこれは考えにくかった。負傷させた府中に手厚い処置を施し、荒らした教室をその手で片付けているところからしても、待田街と短絡的な激情家のイメージは結びつかない。
そして、もっと望ましくないのが――
「確か」
足元から府中の声がして、古沢は視線を戻した。温度のない二人の視線がぶつかると、府中は問いへの答えをゆっくり口にする。
「左京が殺してもいいって言うから、残りの三人が、古沢さんのことを襲ってるって……そんな感じ、だったと思う。そしたらすぐ――これでいい?」
「…………………………」
……わかった、という声は、届いたかどうかわからなかった。
古沢は唇を噛み、半ば茫然と窓を見る。いつの間にか日は傾いて、景色が赤く色づいてきていた。
府中の言葉はやはり、「古沢は死んだ」という断定からは程遠い。「今なお襲われている」と聞いたら、普通は府中のことなど放っておいて、古沢を助けに来そうなものだ。待田ならそのくらいの計算はできるだろう。にも関わらず、待田は府中を叩き潰すことを優先した。その後の展開を見るに誤解は解けたらしいが、あの一瞬、待田が「古沢は殺された」と勘違いしたのは間違いない。これが何を意味しているか。思考が繋がっては渦巻いて、古沢は帽子を強く押さえつける。考えたくはなかったが、頭は勝手に動いていた。
少なくとも待田街の中で、「古沢恭一が殺される」という可能性が、ゼロではなかったのではないか。
そしてその原因になることは、待田が隠しているか――古沢が忘れているかの、どちらかだ。
三年間ずっと待っていたと、彼女は言った。待たれていたということは助けなかったのだろうと、漠然と思っていた。しかし、もし――助けられなかったのだとしたらどうだろう。待田を助けようとして、殺されるのに近い状況に陥っていたとしたら。自分は三年前に記憶を失っているわけだし、今回の待田はその再来をとっさに恐れたのだとすれば、やはり筋は通ってしまう。
過去を知れば死にたくなると、北宮は言った。それほどの惨事が、その時に起こったということなのか。
気づけば、教室の中の音は止んでいた。古沢と府中の呼吸音だけが、暮れる廊下に吸い込まれていく。待田が「後片付け」を終えたことは察せたが、どうにもドアを開ける気にはなれなかった。
府中はくったりしていて、もう妨害する様子はない。だが今ドアを開けたらおそらく、どうしようもない闇が溢れている。
そうやってどのくらい立ち尽くしただろうか、ふと廊下の奥から、かつん――という音が響いてきた。固い廊下に、杖がぶつかる音だ。階段で聞いた時よりも速いペースで、杖の音は近づいてくる。心を落ち着けるのを邪魔するかのように、その音は廊下に何度も反響した。真っ黒なナース服の少女が頭のなかで像を結び、古沢の重い頭が、無意識のうちに音の方を向く。
そこにいたのは、予想通りの二人だった。
北宮穂香と平塚姫妃――しかし古沢は、それを見た瞬間にはっきりと違和感を覚えた。より正確には、杖をついて歩く北宮はともかく、その横を普通に歩いてくる平塚に対して。
顔に、制服にべっとりとついた血を、ろくに拭わずにすたすたと歩いてくる――「普通の高校生」に対して。
連絡通路で見た時には、何者か――おそらくはマリーに襲われて意識を失っていたはずだが……歩いてくる二人を凝視する古沢の目つきが、徐々に険しくなる。そもそもマリーと名乗っていた舞という少女は、古沢の不意を突くために平塚を利用した。しかしこうなると、平塚と舞が組んでいた可能性を排除できなくなる。左腕を踏みつけられても意識を取り戻さなかった平塚が、こうも短時間で完全復活するものか。そしてなぜ、こびりついた血を気にも留めない。あれは本当に血なのかすら怪しくなってくる。そして平塚が黒なら、その横を親しげに歩いてくる北宮もまた黒だ。ただ、それで全て筋が通るわけでもない。最初から平塚の意識があったなら、舞に踏みつけられるのも織り込み済みだったということだ。ならばそのタイミングで、平塚は多少なりとも力むはずである。しかし平塚は終始ぐったりしたままで、全く変化を見せなかった。それでも、平塚が普通に歩いていることへの違和感は拭えない。
二人の距離は近づいていた。彼女たちは何事もなかったかのように談笑しあい、ある程度近づくと足を止めて、平塚は古沢に深々と一礼し、北宮はそれと古沢を逆に不思議そうに見比べた。
そして北宮は、未だに目を離せないでいる古沢の思考を断ち切るように、学帽の奥で怪訝さを増す古沢の目を真正面から見る。一瞬の静寂の後にゆっくり首を傾げ、北宮は心底疑問だという声色で、苦笑しながら尋ねた。
「あの……二人とも、どうしたの? 特に古沢君」
古沢/オンエア!! 折見900 @orimi_san
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