ラブシーンは突然に

午後野 有明

ラブシーンは突然に

「ありがとうございます。」


その言葉と共に、今日も彼女は最高の笑顔を私にくれる。彼女というのは、私がいつも行くスーパーの片隅にある、フルーツジュースコーナーの店員のことだ。


年齢は私と同じく二十代前半くらいであろうか。白くて透明感のある肌、黒くて艶のあるロングヘアー、吸い込まれそうなほど大きな瞳、透き通るような美しい声。その全てが私にとっての癒しであり、彼女は世界の何物よりも輝いて見えた。


「ごちそうさま。今日も美味しいね。」


そんな台詞を私は一口分のジュースと一緒に飲み込み、紙コップごとゴミ箱に捨てた。


そう、これは単なる試飲である。


もちろん、私だって男だ。愛しい彼女が売っている商品なんて、本当は買い占めてしまいたい。しかし、私のような4畳半暮らしで毎日ギリギリの生活を送っている貧乏学生にとっては、スーパーの試飲コーナーも、空腹を紛らわせるためのファストフード店になってしまう。


そのため、私は彼女からジュースを受け取り、喉と心に潤いを取り戻すためにこのスーパーに通っている。


それに、このスーパーはあまりフルーツジュース好きの客がいないらしく、彼女はいつも多くのカップを並べた横で、寂しそうにそれを受け取ってくれる人を待っているのだ。そのような状況で試飲をしないなど、紳士の風上にもおけないであろう。


「ありがとうございます。」


ほら、今日もまた、彼女は私に最高の笑顔をくれる。


そんな日々が続いたある日、いつものように私がジュースを飲み干すと、彼女から聞きなれない言葉が発せられた。


「おめでとうございます。」


一瞬の沈黙。


「……え?」


呆気にとられている私をよそに、彼女はこれまで見たことないような飛び切りの笑顔を私に向けてくれた。その言葉の意図はわからなかったが、「あぁ、この笑顔のためなら命だって惜しくない」その時私は本気でそう思っていた。


これが、私と彼女の記念すべき初めての会話であり、最期の会話である。






「……死因は?」


「毒殺、ですね。おそらく。」


4畳半の部屋にはとても似つかわしくないであろう、真っ黒い大きな背広を着た2人組の男性が話し合う。周りでは手袋をつけた男やルーペを持った男たちが、まるで落としたコンタクトを探すかのようにその部屋をくまなく調べていた。


「しかし、部屋で何かを飲み食いした形跡もなければ、外食したような痕跡もない……一体この男はいつ毒を盛られたんだ?」


「わかりません。ただ、この男、死んでるのにどこか幸せそうな顔してますね。」


「これは恋をしてる顔だな。俺の刑事の勘がそう言ってる。」


2人組のうちの先輩らしき男が、少し得意気な顔をしてみせる。


「はぁ、そうですか。恋といえば、さっきここへ来る途中に寄ったスーパーにとびきり美人な店員がいたんですけど、ずっと俺のこと見てきたんですよ。もしかしてこれも恋ですかね!」


「それは違うな。俺の刑事の勘がそう言ってる。」


後輩らしき男が、ちぇーっといじける素振りをみせてから、また部屋の中を調べ出した。


そのコンタクト探しは、まだまだ終わりそうにない。

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ラブシーンは突然に 午後野 有明 @xxxsgm

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