第7話 英雄譚
見知らぬ異郷の地を旅するに際して、まず一番最初に必要なものは何だろうか?
現地の通貨か? 交通手段か? それとも正確な地図か?
もし仮にその地の言葉が喋れないとするなら、真っ先に必要となるのは、『通訳』だ。
そういう意味では、この国の大老であるエルフの少女――キヌ=レディコルカは、この地で俺が最も必要としている存在だった。
しかも、どういう事情か、俺の大叔父に当たる切畠義太郎の養女であると言う。
不審者として捕縛された俺にとっては、体のいい身元引き受け人という所だ。
それにしても、事情は俺の理解できる範疇を遥かに超えていた。
300年前、この地を訪れた大叔父がレディコルカを建国した?
この俺が、皇統の血筋?
軽い、
案ずるように、俺の頬をキヌ大老が見上げた。
「あの、少し御怪我をされているようですが、大事は御座いませんか? お顔の色も優れませんし……少し、御休みになりますか?」
キヌ大老は、俺の心を読んだかのように、助けの手を差し伸べてくれた。
「お言葉に甘えます。どこかで……少し、休ませて頂けると助かります」
「すぐに貴賓室に御案内致します。今暫く、御待ち下さい」
【正義親王陛下は御疲れの御様子です。貴賓室に御案内なさい】
威厳に満ちた聲で、キヌ大老は対応に戸惑っている周囲に指示を飛ばした。
日本語ならぬその言葉は、先程の如く脳内に響く。右肩を見れば、いつの間にか馴染みの妖精が俺の右肩に戻って陽気に足を揺らしていた。
親王でも何でも無いよ、と胸中で大老の言葉に突っ込みながら、
「いえ、貴賓室のような贅沢な部屋は結構です」
余計に、肩が凝りそうな扱いは固辞をして、
「それよりも、何か義太郎さんが書き遺したものはありませんか?
私でも読める、日本語の文章があれば、休憩がてらに拝読したいのですが」
キヌ大老は暫し思案し、
「義太郎様の遺された書は全て宝物庫に収められています。
中には、公にすべきでない義太郎様の私文書も多く、禁書扱いとなっているものもありますが……。
御身内の正義様なら、何の問題も御座いませんでしょう。
宝物庫に御案内致します」
そう頷いて、彼女は儚げに微笑んだ。
話によれば300年以上の年月を生きているエルフという種族という話だそうだが、その笑顔は、どう見たって、中学生そこそこ、という程度の、幼さの残る少女の微笑みだった。
◆
レディコルカには、剣帝切畠義太郎の遺した三種の神器有り。
偉大なる剣帝の足跡を今に伝えるその聖遺物とは、『舟』『刀』『書』の三種である。
世間話程度に聞き流していた説明だったが、実際にその一つ、『舟』を目前にしてみれば、膝が震えだすのが止められなかった。
本物だった。旧日本軍の戦闘機。軍事マニアでない俺には、多分ゼロ戦ではないだろう、程度の事しか判らなかったが、主翼と尾翼に大きく描かれた日の丸が、それが嘗ての戦争で空を徃き、日本の為に果敢に戦った機体であることを示している。
状態は酷いものだった。コクピットは無惨に砕け、左翼も胴体も割れ千切れたのを無理矢理繋ぎ合せただろうことが一目にして理解できた。
過去にも、博物館や戦争記念館などで、先の大戦で使用された戦闘機を見たことは幾度かあるが、それらはあくまで、記念品としての陳列だった。しかし、この戦闘機は違う。聖遺物として、蔓草の紋様が掘り込まれた純金の枠に囲まれた、ガラス張りの巨大な
切畠義太郎さんは、ノモンハン紛争にて消息を絶ったという。それが、こんなおかしな世界に迷い込んでいたなんて、信次郎爺ちゃんも夢にも思わなかっただろう。
義太郎さんの愛機は、座り込んでじっくり眺めたい程に俺の浪漫を掻き立てる一品ではあったが、今は先に進もう。俺が歩を進めると、俺の後ろに追従する衛兵達がぞろぞろと続く。護衛か、それとも監視か。どちらにしても余り心地のよいものではない。
「……すみません、ごの護衛の方々に少し下がって頂けませんか。えーっと……」
ボジョレと、俺を縄で縛ってここまで連行した数人の姿が目に入った。
「もしも護衛や監視が要るなら、彼らだけで十分ですから」
次なる三種の神器は、『刀』だった。
ほぼ常寸の、別段代わり映えのしない普通の日本刀である。
だが、その擦り切れた柄巻きと鯉口から、持ち主が辿った壮絶な戦いの遍歴を忍ばせた。
紫の袱紗に乗せられた刀をそっと手に取り、古びた鯉口を切る。予想通り、その刃紋は俺の刀と同じ、切畠の家に伝わる忠行のそれだった。
忠行の刀は、切畠の家には大刀だけで全部で5本有ったと伝え聞く。
そのうち一本は義太郎さんの出征で失われ、もう一本は父が他界した時に失われたと聞くが。
義太郎さんの刀は、俺のものと殆ど代わらない拵えだった。
だが、決定的に違うものが一つ。鈨や切羽に染み付いた赤黒い染み、刀を抜いた瞬間、つんと香った鉄臭さ。
この刀は、幾度と無く戦場で振るわれ、その刀身を紅に染めた血吸いの刀だった。
◆
そして、書庫。
三種の神器でも、一品ものである『舟』や『刀』とは違い、『書』は義太郎さんが生涯を通じて書き綴った大量の書物全部を指すものであるという。
即ち、この書庫全部が、三種の神器の一つであると言って過言ではないだろう。
書庫の隣には、専用の翻訳室が設けられていた。剣術や軍略、道徳などの、ありとあらゆる著作はこの部屋でキヌ大老がレディコルカの言葉に翻訳し、伝え広めたという。
日本語は、『神聖言語』と呼ばれ、みだりに読み書きすることは重罪とされていた。この国でも、読んで理解できるのは、ごく一握りの限られた人間である。そして、音声資料を残す文化の無いこの国では、聞いて理解できるのは、このキヌ大老ただ一人である――そんな話を、キヌ大老は訥々と語った。
姿形の幼いこの少女が、大老などという重職に就いている理由が、今更ながら理解できた。彼女は、この国の創立以来、全ての歴史を見つめてきた生き証人であり、この国の経典とも呼べる文章を読み書きできる翻訳者でもあるのだ。
過去にも俺のようなマレビト騙りの人間が幾人も現れたが(厳密に言えば、俺はマレビトを騙ったつもりは無いのだが)、日本語――神聖言語を読み書きできたのは、俺が初めてであり、それだけでも、俺が本物のマレビトであるというのは疑いようも無い、と嬉しげにキヌ大老は語った。
翻訳部屋は、翻訳の為の机や資料だけではなく、幾脚もの椅子と、天蓋付きの豪奢なベッドまでが設えられていた。彼女は、時には幾日もこの部屋で過ごすこともあるという。
「どうぞ、こちらが、義太郎様がこの地に天降られて、最初に御記しになった御手記で御座います」
黄変した手記には、ノモンハンの戦場での生活がつらつらと綴られていた。
黴臭い紙の香りは、どこか実家を思い出させる。
だが、昭和17年10月24日、その内容は一変する。
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昭和十七年十月廿四日 晴レ
尋常ならざる
胸の動悸は治まらず。
半刻ほど默想を行ひ心落ち着け、此れまでの顛末を筋道立てて書き記さむと思ひ立ちぬ。
我が身に降り
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心臓が飛び跳ねた。妖精との邂逅、当て所の無い不安、異邦の地への興味。
大叔父の日記の内容は、まるで自分の心境をなぞっているかのようだった。
古びた手記の
気付けば、俺は無我夢中になって義太郎さんの日記を読み漁っていた。
「……あの、正義様、宜しければ、こちらに御掛けになって御読み下さい」
キヌ大老が困ったような声を上げた。
彼女のことも、この日記に書かれているのだろうか?
「良ければ、御一人で御読みになりますか……?」
俺を慮る大老の言葉に、俺は小さく頷いた。
「幾つかお聞きしたいこともありますので。大老、良ければ貴女だけは、この部屋に居て頂けませんか?」
そう告げると、彼女は顔を輝かせて、護衛達に退出を命じた。
「わざわざ、お手数をお掛けして申し訳御座いません、大老」
姿形は幼くとも、この国で重責を担う高官である。礼を尽くした態度をとらなければ。
そう思っていた所だが、彼女は寂しげな瞳で首を振った。
「そんなっ! 正義様、私如きに敬語など使わず、どうぞ『キヌ』と御呼び捨てになって下さいっ!」
「いや、そういう訳には……」
「どうぞ、御願い申し上げますっ!」
深々と頭を下げる彼女の顔を見るうちに、大まかな事情は飲み込めてきた。
俺と出合った瞬間の、彼女の涙。不安げに揺れる、大粒の
あの瞳は、交番で幾度も目にしたことがある。親と再会した瞬間の、迷子の子供の瞳にそっくりだった。
俺は、今読んでいる手記を閉じた。丁度、義太郎さんがレディコルカへの加勢を決意した部分であり、丁度区切りも良い。
何より、俺が一番知りたかった文言が、そこには記されていた。
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昨日レヂコルカの民の話を聞きて、此の地、我の居りし世とは異なる世界なりける事確信す。
此の地の
レヂコルカの民共、我をマレビトと呼びしが、此の地こそ、マレビトの住まひし
如何なる理由で此の地に迷ひ込みしか判じかねれど、我再び祖國の地を
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ああ、やっぱりか。もう、殆ど覚悟はしていたことだった。
ここは、異世界だ。外国や秘境なんてチャチなものじゃない、真に隔絶された異界。
理性では理解していた筈だが、俺の中のどこかが、頑なに認めることを拒んでいた。
だが、義太郎さんの手記を読んで、理解できた、というよりも、諦めがついた。
結局、義太郎も最期まで帰ることは叶わなかったのだから。
今、俺のすべきこと。
それは己の境遇を悔やむことではなく、この先どうやってこの世界を行き抜いていくかを思案する事だ。
幸いなことに、この世界のロゼッタストーンとも呼べる書物を義太郎さんは遺してくれた。
これを読み進めて行きさえすれば、この世界の大概のことは理解できるだろう。
そして、もう一つ。
義太郎さんの遺した、眼前の少女。
この子と親交を深めることこそが、俺がこの地で生きるための、第一歩だ。
「それじゃあ、……キヌ、君が、義太郎さんに出会ったのは、何日の事だったかな?」
キヌ、と名前を読んだ瞬間、白い頬が上気した。
「昭和歴23年、9月3日の事に御座います!」
「じゃあ、その日からの日記を持ってきて貰えるかな?」
「はい!」
キヌと出会ってからの義太郎さんの手記の内容は、人知れぬ悩みの独白から、段々と親馬鹿日記と変わっていった。
捕虜として虐待を受けていたキヌが、義太郎さんと暮らしていくうちに、少しづつ心を開き、打ち解けて行く様子を、義太郎さんは毎日楽しげ書き綴っていた。
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烈しき戰續きし中、我が心安らけしは、キヌと過ごしつる時のみなり。
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異世界で孤独に苛まれる中で、きっとキヌの成長を見守ることが一番の楽しみだったのだろう。
子煩悩だった義太郎さんを、キヌがどれだけ敬愛し、懐いていたかは想像に難くない。
だがしかし、大老という言葉は、道中での会話で語られる度に、まるでタブーでも口にするような重々しい緊張を振り撒いていた。
周囲の家臣の、彼女を見る目付き。その表情には、次元の違う存在に対する畏怖の感情が張り付いていた。
『お待ちしておりました。ずっと、ずっと――お待ちしておりました……っ』
彼女の泣き声が蘇る。彼女は、義太郎さんが沒してからの二百何十年かを、一体どのように過ごしてきたのだろうか?
無作法だとは思ったが、ベッドに腰を下ろし、ここに座って、と、隣をぽんぽんと叩いた。
「じゃあ、キヌ、少し、君の話を聞かせて貰ってもいいか?」
「わ、私の話ですか?」
キヌは、少し緊張した面持ちで俺の隣に腰を下ろした。
「御気遣い頂き、ありがとうございます」
「……?」
微妙な、違和感。彼女は、常に俺の思考を先読みしているように受け答えが早い。
「ええっと、まずは君たちエルフについて聞きたい。成長が遅く、成人してからは不老不死となる。それから、一度覚えたものは全部忘れない、だっけ?」
「はい、仰る通りです。成人したエルフは、殺されない限り基本的には不老不死の身です。普段は人と交わることを嫌い、森などに潜み棲みますが、私のように、稀に人と関わりを持つものや、子を設けるものも存在します。人とエルフの合いの子であるハーフエルフは、外見は瞳の色以外はエルフ同様ですが、エルフ特有の不老不死の特性や記憶力を一切持ちえません。人より優れた魔力を持つ彼らが集って作り上げたのが、魔道師匠国スティルトンです」
「なるほど……それで、君は、人間で言うなら幾つに当たるのかな、キヌ?」
大よその見当はついていたが、興味があった。人間で言うと中学生程度だろう。それにしても、女性に齢を尋ねるのは失礼だったろうか?
「……およそ、16歳程になる筈です。もう、この国でも、エルフの間でも、成人と扱われる年齢で御座います」
体型から、14、5ぐらいだと思っていたが。彼女が幼児体型なのは、どうやら個人差の範疇らしい。
そんなことを考えていたら、キヌはかあっ、と頬を染めて、恥じ入るように胸元を押えた。
「す、すまない。……そうかキヌ、君たちは、人の心が読めるんだね」
「読めるという程では御座いません。薄ぼんやりとした感情の流れが判る程度ですので、どうぞ御気になさらないで下さい……」
コールドリーディングの達人程度、ということだろうか?
しかし、完全無欠の記憶力、この国の全てを知る知識、そして読心能力。これだけの力が揃っていれば、この国を掌握してしまうことなど、この少女にとって造作も無いことだったのではないだろうか?
そう訊ねると、
「この国は、義太郎様の国で御座いますから。私はレディコルカの
そう言って、彼女は薄く笑った。エルフは元来人と関わるのを好まない種族だという。吟遊詩人のような形で各地を放浪するエルフもいると聞いたが、彼女としても、こんな大老の椅子に縛りつけれられているのは本意ではないだろう。
しかし彼女は、胸を張って誇らしげに告げた。
「私は、この城で生涯を終えることに、何の不満も覚えておりません。ここから未来永劫レディコルカを見守り、義太郎様の御威光を伝えることこそ、私の人生の全てです」
彼女に、心許せる友人も家族も居ないのは、間違いなかった。
いや、義太郎さんの日記に拠れば、過去には民衆に親しまれ、慕われていた時代もあったのだろう。だが、彼らはエルフの時間について行くことは出来なかった。皆、キヌを置き去りにして死に絶えたのだ。後には、国の偶像としての、彼女だけが残った。
「暗殺未遂事件、というのは一体何だったんだ?」
「少し昔は――と言っても、30年程ぐらいでしょうか? その頃には、もう少し私も自由が効きまして、休日には城下を散歩するぐらいのことは、認められていたのです。城下町で子供達と遊ぶのが、私の数少ない楽しみで御座いました。
ある日、皇統の御血筋と同じ、黒髪の少年が郊外で発見されたのです。幼きマレビト様が天降られたのかと、城下は色めき立ちました。丁度休日と重なったこともあり、私は城下でその子と御会いすることになりました。……結果は、無惨でしたけどね」
キヌは、そっと腹部を押えた。その挙措だけで、何があったのかは凡その察しがついた。
「スティルトンが、姿形が御皇統のお血筋と似ているエメンタールの赤子を買い取って、幼い頃から養育していたそうです。殺意の欠片も感じ取らせることなく、機械のように私に刃物を突き立てる為の養育を。私を殺めて、レディコルカの威信を貶める為だけに。
その子は、直に処刑されてしまったそうです。あの子には、何の罪も無かったというのに……」
外出を控えるよう注進があったのは、その後の話だという。当然、キヌにはそれを無視するだけの権力はあったのだろうが、彼女は粛々とそれに従った。その子のような、無用な犠牲者を出さないように。
「この国は、王と雖も法に従わなければなりません。罪を犯せば罰せられる、それは、民も、王も、私も一緒です。この国を法治の国とする――義太郎様の定められた、偉大なる方針です」
つまり、この国は、不完全ながらも、立憲君主制国家ということなのだろうか?
「私は、義太郎様の御威光を伝える生き証人です。国と民がそう望むのなら、
悲愴なまでの、彼女の決意。
それを、赦すことが出来るのは、きっと義太郎さんだけなのだろう。
あるいは。俺にも、彼女の責の一端だけでも、赦すことが、出来るのだろうか?
考えるより先に、腕が動いた。
彼女の頭を撫で、その細い金髪をそっと指で梳り、腕に抱く。
「お疲れ様。今まで――よく、頑張ったな」
キヌは、人の心が読めると言った。しかし、彼女の表情だって判り易過ぎる程、彼女の心情を伝えてくれる。彼女が、その幼い心身に重責を背負い、折れそうになりながらも、義太郎さんへの敬意だけで懸命に耐えているのは、一目瞭然だった。
「……っ、うぁ、うぁぁぁぁぁっ……」
彼女は、小さな頭を俺の胸に押し付け、声を押し殺すようにして泣いた。
少しだけ、罪悪感を覚える。俺は、彼女の気高い決意を挫いてしまったのではないか……否、きっと、キヌのことを誰よりも愛していた義太郎さんは、彼女の現状を喜びはしないだろうから。これは、正しいことだ、そう自分に言い聞かせながら、彼女の頭を抱きしめた。
「済まない。君が、俺に義太郎さんを重ねて見ていることは判る。
でも、俺は義太郎さんにはなれないんだ」
「存じております……」
キヌは、俺の胸に顔を埋めたまま、鼻声で答えた。彼女が喋る度に、金髪の間から覗く長い耳が震えるように動く。
「そんなこと、誰より、私が存じております。
でも、そっくりでいらっしゃるから――正義様は、御姿も、御心も、義太郎様の生き写しのようにそっくりでいらっしゃるから……もう少しだけ、こうさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「ああ。好きなだけ――」
答えて、キヌを抱きしめたまま、ぐらりと寝台に倒れ込んだ。――どうやら、疲労が限界のようだ。
奇妙な気分だった。きっと、義太郎さんも、こうして泣きじゃくるキヌをあやしながら眠りに就いた夜があったに違いない。そう考えながら、俺の意識は泥に沈むように睡魔に刈り取られていった。不思議と、夢は見なかった。
◆
「御目覚めでございますか、正義様」
柔らかい声にくすぐられるように目蓋を開けると、翠の瞳が俺の
「キヌ、か……」
するり、とその名が出た。寝起きの胡乱な頭に、自分の置かれている奇妙な状況と、数々の懸案事項が雪崩れ込んでくる。
「御荷物は全てこちらに。御目覚めに、お茶はいかがでしょうか?」
キヌが淹れてくれたお茶は、日本の緑茶とは風味は異なっていたが、俺に考えを整理させるには充分な時間を与えてくれた。
「……これから、大臣とかに謁見しなきゃならないんだよな」
「はい! 一同、新たなる剣帝陛下に御目通りする光栄に息を飲んでおります」
キヌの顔をじっと見つめる。俺の不審の気配を感じとったのか。キヌは気まずそうに目を伏せた。本当に、表情の判り易い子だ。
「成る程、どいつもこいつも、降って湧いた本物のマレビトにどう接していいか判らずに、右往左往してるって感じだな。当たりだろ?」
「……面目、次第も御座いません……」
しゅん、と小さくなるキヌの肩を叩いた。彼らの感覚で言うなら、突如ホワイトハウスの前にUFOが舞い降りて、宇宙人が外交を求めてきた、というぐらいの大事なのだろう。きっと、黒船来航どころの問題では無い筈だ。
彼らの方針が固まるまで、このキヌの読書室で義太郎さんの手記を読み耽るのも
「例えば、の話だが、俺にはこの国で多少の権限は与えて貰えるのかな? その、旨い飯喰いたい、とか、観光に出て周りたい、とか言ったら叶えられる程度には」
「当然で御座います!」
キヌは、身を乗り出し、小さな拳を握って力説した。
「最早この国は、義太郎様の御血族であらせられる、正義様のものと言っても過言では御座いません! 御望みなら、国中の美味珍味を取り寄せて御覧にいれましょう!」
「……いや、そういうノリはいいから……。俺が頼みたいのは、人捜しだ」
「人捜し、で御座いますか?」
「ああ、俺の
絹世さんの名前を挙げた時、キヌの顔が僅かに翳った気がした。自分の名前の
友枝も、この世界に居るのだろうか。俺と、同じように。返却された持ち物の、義足にそっと視線を走らせる。俺の左足が戻ったような奇跡が、友枝にも訪れてくれていれば……。
「それは――すぐに、国中に触れを出して探させましょう。レディコルカの一大事です」
「……それから、もう一人、これは切畠の血族でも何でも無いんだが……」
とりあえず、海辺良太の事も伝えておく。友枝がもしこの地に居るのなら、木の根を齧ってでも生き延びているだろう。手塩にかけて鍛え上げた教え子だ。魚釣りや焚き火などについては、俺と同程度のことが出来るはずだ。だが……あの男、引き篭りだった海辺にサバイバルが出来るとは到底思えない。それでも、放置しておくのも夢見が悪かった。
朝食と一緒に、包帯と湿布のようなものが運ばれてきた。
毒見役を伴った、なんとも居心地の悪い食事を終えると、キヌは俺の顔を案じた。先日、バルベーラという少女に踏みにじられた摩り傷が、僅かに頬には残っている。
「矢張り、少し御手当てをしておいた方が良いでしょう。
「……少し気になったんだが、やっぱり、俺を縛ったボジョレや、俺の顔を踏んだバルベーラは何か罪に問われることになるのか」
キヌの小さな掌中から、萩焼のような趣な湯呑が転がり落ちて畳を濡らした。白い頬が、顔色を失い青褪めている。俺はまたしても己が失言を漏らしたことを悔いた。
「その御顔の傷、まさかバルベーラが粗相を……」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、処罰だとかそういう大袈裟な話は勘弁してくれよ!」
「レディコルカの国法に照らし合わせれば、マレビトに御怪我を負わせた不届き者は車裂きの刑が科せられます。最も、この250年、そんな口にするのもおぞましいような不届き者は一度も現われませんでしたが……」
途轍もなく、不穏な言葉を聞いてしまった。
「待て待て、出会った時には多少の諍いがあったが、向こうも俺がマレビトとは知らずにやったことだ。俺はどう見ても単なる不審者だったし、武器も持ってた、あちらも正当防衛が成立するだろう――」
我ながら滅茶苦茶な理屈だったが、この程度であの益荒男達に累が及ぶことはあってはならない。
「仰る通り、憲兵隊の職務には治安を乱そうとする不審者を捕縛する責務があります――ですが、正義様が正真正銘のマレビトであらせられる以上、彼らが罪に問われることは避けられないでしょう」
俺の内心の動揺を読んだのか、すぐに言い訳するように続けた。
「勿論、私としてもそれは本意ではありません。ボジョレもバルベーラも――セギュール家は、義太郎様の代からこの国の軍務に携わってきた名門の家系です。第三憲兵隊は、特に武に秀で人格高潔な者達を選りすぐった部隊です。彼らに責を負わすのは酷だと私も考えているのですが……」
余談だが。俺は余りテレビは見ない方だった。子供の頃から、同年代が見るようなバラエティーやアニメの類は全く見らず、時折祖父と一緒に相撲や時代劇を見るばかりだった。
特に、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など、お忍びで町に出た貴人が、最後に身分を明かして円満解決、という単純明快な筋書きな時代劇を好んで見ていたのを覚えている。
しかしながら、いざ印籠を明かす立場になってみれば、しがらみだらけで全く以って不自由だ。
「とりあえず、その第三憲兵隊の面々と、その上司の偉い人を呼んで来てくれないか?」
「正義様から御口添え頂ければ、彼らも救われます」
大岡裁きとまでは行かないが、できるところまではやってみよう。
◆
立場は立場だ。流石にジャージは不味いと思い、風呂敷に包んで居合着に着替えてみた。キヌに聞けば、袴は義太郎さんの代に再現が試みられたが、結局類似品しか作られなかったという。その類似品の袴を義太郎さんは愛用したらしく、紋付でも無い安物でも、立派に正装として通用するらしい。本当だろうか?
袴姿の上に、義太郎さんの遺品の羽織を纏い、刀を差してみれば、我ながら、一人前のサムライにでもなったような気がしてくる。現金なものである。これも一種のコスプレだろうか?
「失礼致します」
一方、入室してきた憲兵隊の面々は、全員切腹でもするかのような、白装束を身に纏い、全員が一斉に床に平伏して頭を下げた。俺と目を合わせるような無作法を行わないよう、一心に地を見据えるその姿は、俺に心胆寒からしめるには余りあるものだった。
時代劇のような陽気で平和な世界ではない。彼らは、死をも覚悟して、いや、己が死せることを当然と受け入れ、この場に平伏している。
俺とは、違い過ぎる覚悟。
「キヌ、通訳を頼む」
そんな彼らを相手に、大岡越前を気取った猿芝居を行う。緊張で、背筋が震えた。
「全員、顔を上げてくれ」
恐る恐る、彼らの頭が上を向く。しかし、誰一人俺を目を合わそうともせず、視線を下げて次の言葉を待っている。バルベーラだけが、頭を上げることすら出来ずに震えていた。
「この国の礼法に反することかもしれないが――俺の目を見て話を聞いてくれないか? バルベーラも」
名を呼ばれて、癖のある紅毛の頭がびくりと震えた。奇麗なハシバミ色の瞳が、泣き濡れて赤く充血していた。
「君達が私を襲った事情は大老から聞かされている。
確かに、幾許かの手荒な扱いは受けたが、それは全て職務遂行のためのやむを得ない仕儀だったと理解している。私が君達に、これまでの経緯について、一切責を問われることの無きよう、便宜を取り計らうつもりだ。
それから、ボジョレ=セギュール、バルベーラ=セギュール、この二名とは不本意ながらも、刃を交えることになったが――、その見事な剣技には実に感激した! 君達の剣は技倆優秀にて、日頃の錬度の高さも伺える! 職務遂行に対する熱意は先の一件でも折り紙付きだ! 切畠の名に於いて、君達第三憲兵隊を我が背中を預けるに相応しい剣士と認め、是非とも私の身辺警護を任せたいと思っているのだが、構わないだろうか?」
歯の浮くような台詞だが、嘘は言っていなかった筈だ。
普通なら、こういった言葉はもっと格式ばった伝え方がある筈だが、それらは、通訳のキヌに任せている。
キヌしか心通じる相手が居ないこの状況で、ボジョレとバルベーラ、この兄妹を身近な場所に置いて、理解者となって欲しいと思っていたのも本当だ。剣を合わせただけの短い付き合いだが、彼らとは仲良くなれそうな予感がする。城中、どこへ行くにも追従の衛兵がいるこの状況、信の置ける相手に身近な所に居て欲しいというのも正直な本音だった。
彼らは、俺の言葉に返事も無く硬直していた。
「あー、君達も仕事の都合があると思うから、無理はしなくていいよ。返事は後で聞かせてくれればいいから」
重苦しい空気に耐え切れず、適当に彼らに退出を促し、羽織を脱いで大きく一息。
お代官様をやるのは、本当に疲れる。細かい部分は全部キヌに投げっ放しにしてしまったが、彼女は上手く言附けてくれただろうか。
待つこと数分、扉の向こうで話がついたらしく、キヌが上機嫌な顔で戻ってきた。
「正義様、彼らに御厚情賜り、感謝の言葉も御座いません。軍務大臣、第三憲兵隊の面々、頂戴した勿体無き御言葉の数々に、皆光栄の余り感涙に咽いで――」
「ああ、そういう喋り方はもういいよ。キヌ。俺は君の言う通り、敬語なんて使わずに普段通りに接するから、君も、俺にもっと楽に接してくれていい。君が義太郎さんの娘なら、俺にとっては叔母のようなものだから」
「はい、ありがとうございます、正義様」
一朝一夕で何とかなるとは思わないが、俺を雲上人扱いせずに接してくれる仲間が欲しかった。
「ちょっと、あの兄妹を呼んできてくれるか? ボジョレとバルベーラを」
程なくして入室してきたバルベーラの頬には、まだ涙の跡が残っていたが、対照的にボジョレは少しだけ楽しげに、口の端を緩めているようにも見えた。
緊張でカチコチに固まっているバルベーラの肩を叩き、「中々良い剣だったよ、君は強くなる素質がある」と告げると、
【は、はひ、ありがとうございまふ】
と、彼女は呂律の回らない声で頭を下げた。
「ボジョレ、あんたの妹面白いな」
【不肖の妹です。この度は大変失礼を致しました。万死に値する我らの無礼を御寛恕頂き、恐悦至極に存じます】
慇懃に頭を下げるボジョレの瞳は、俺の思惑を完全に見抜いているようでもあった。
「なあ、ボジョレ、バルベーラ、なんだかマレビトだの何だのと祭り上げられているが、俺は、ただ違う世界からこの地に転がり込んだだけの、只のごく普通の男だ。手合わせをした、あんた達2人は気付いているんじゃないか? 俺は神様でも何でもない、あんた達と同じ、只の人間だって」
「正義様、何をおっしゃいます、切畠の御血筋はそれだけで――」
反論しようとするキヌを手で制し、正直な本音を彼らに続けた。
「大叔父の義太郎さんがどれだけ強かったか知らないが、俺は只の一般人だ。
俺は、これからキヌ大老にこの国の言葉を習おうと思ってる。悪いが、一緒に付き合ってくれないか?」
キヌの言葉は、恐らく最も厳密で正確なレディコルカ語なのだろう。だが、彼女の日本語から察するに、きっとフランクな日用会話からはかけ離れた喋り方に違いない。この国で彼らと交わる為に、もっと気楽で庶民的な話し方を学ぶ必要があった。
それに、彼女と二人きりで勉強、というのも堅苦しいので、誰かを巻き添えにしたい、という中学生のような発想である。
ボジョレの何か言いたげな視線。未だに緊張しきって固まっているバルベーラ。
「……ああ~、まだ頬の傷が痛むかな~」
そう言ってチラとバルベーラに視線を飛ばすと、彼女の背筋が痙攣するように跳ねた。
こういう、罪悪感で凝り固まってる手合いには、無罪放免は逆に神経に負担をかけかねない。
ぐりぐりと、バルベーラの頭を撫でながら、ボジョレに訊ねた。
「ボジョレ、お前の妹には少し酷い目に合わされたんで、当分、小間使いとしてコキ使って構わないか?」
【当然です。我らはとうにこの国にこの身を捧げておりますれば、我らの身体の全ては親王陛下のものに御座います】
ひっ、と短く悲鳴のような声を上げるバルベーラを、ボジョレは楽しげに見つめた。
【ま、正義様のお目に適い、このバルベーラ・セギュール光栄の極みに御座いましゅ、誠心誠意お仕えさせて頂きましゅので……】
混乱の極みにあるのか、視線が定まらず、呂律も回らない彼女の癖のある紅毛を、ぐりぐりと掻き混ぜる。
「そうか、じゃあ、お前は今から俺の小間使いだ。宜しく頼むぞ、バルベーラ」
【御奉仕の支度をさせます故、一旦妹を退がらせて宜しいでしょうか?】
顔中に冷や汗を流しながらバルベーラが部屋から退出すると、どこか遠くで叫び声が聞こえた。
【どどど、どーしよう! 私、陛下にお仕えする作法なんて分かんない! お茶の淹れ方なんて知らない! どうしようぅぅぅ!!】
「……真面目で、いい妹じゃないか」
ボジョレは、苦笑いを浮かべた。
【憲兵隊のじゃじゃ馬です。剣帝陛下の伝説に憧れて、女だてらに憲兵隊に入ったのはいいのですが、何かとドジで失敗続きでして。きっとご迷惑をお掛けするでしょう。不肖の妹ですが、お気遣い頂き、感謝の言葉もありません。一時は、腹を切ろうかという程に思いつめていましたので】
「ボジョレ、さっきの話の通りだ。俺は、あちらじゃお前らと同じ憲兵みたいな仕事をやっていた。いきなり王様にされても困る。気の置けない話相手が欲しいし――剣の、稽古の相手も欲しいしな」
【正義様――私も、レディコルカの男児として、剣帝陛下の伝説を寝物語に聞かされて育った身でありますが……貴方は、伝説の剣帝陛下とは、随分違うお方のようですね】
「がっかりさせて悪かったな。もっと英雄然とした奴なら、良かったのだが」
【いえ。貴方は、この国の誰もが思い浮かべる伝説のマレビトより、ずっと面白いお方のようだ】
「ありがとう。悪いが、頼りにさせてもらう」
かくして――奇妙な会話教室が、幕を開けたのだった。
◆
その後の、諸大臣らとの謁見は、予想通りに形式ばった息の詰まるものだった。
俺は、なし崩しにキヌの翻訳室を私室として用いるようになった。俺のことを畏れて扱いかねているお偉いさんにとっては、俺がキヌの翻訳室に居座って内政に干渉してこないことは、却って好都合でもあったらしい。
国王は隣国エメンタールに会談に出かけているそうだが、天孫降臨の報を聞き、大急ぎでレディコルカに引き返しているという。俺の存在は、まだ公にはなっていない。大掛かりの即位の礼を行い、全国民と諸国にその存在を知らしめるのだという。
俺が本物のマレビトであるという事実は、キヌによって半ば公認されたようなものらしいが、『試しの儀』という大掛かりな認定式を行い、その瞬間から俺は正式にマレビトとしての権力を揮うことができるという、聞いただけで肩のこるような説明を繰り返し受けた。
【正義様、お茶の淹れ具合はどのように致しましょうか?】
「普通で~」
あれから数日、まだ堅い所はあるが、バルベーラは概ね俺に打ち解けてくれたように思う。
白いエプロンを纏い、俺の身の回りの世話を焼いてくれるのは有り難いが、その手つきは不器用で危なっかしい。
なんだかメイドさんでも雇っているような気分になったが、思い返せば、俺がバルベーラに告げた言葉は、当分俺の専属メイドとして働け! という意味に他ならず、ボジョレ曰く、セギュール家の初代が義太郎さんに仕えて以来の光栄だ、と彼女も喜んでいるらしい。
少し、軽率なことをしたかも知れない、と頭を掻く。
俺がレディコルカの言葉を学ぶのと平行して、バルベーラとボジョレは進んで日本語を勉強してくれている。
驚かされたのは、教師役のキヌである。彼女は、義太郎さんの言葉をただ聞いて教わっただけの筈なのに、彼女は、文法や語法、時制といった全てのものを、習わずとも完璧に論理立てて理解していた。その上で、意思を伝えるのに必要な言葉、会話上で頻出する単語など、俺がこのレディコルカで暮らしていく上で実用的に役立つ部分を常に最優先で教えてくれる。
また、俺の喋り方と義太郎さんの喋り方にはかなりの世代差が存在したが、キヌはそれらを理解し咀嚼し、次々に俺から現代日本語の語彙を吸収していった。彼女の教師としての腕前に、俺は舌を巻くばかりだった。
彼女の名教師ぶりは、日本語を学ぶバルベーラらにも存分に発揮され、彼女は日本語での簡単な受け答えなら理解してくれるほどになっていた。勿論、この世界での異物は俺の方なのだから、幾ら彼女が日本語を学んでくれると言っても、それに甘えてはいけないのだが。
「キヌ、友枝はまだ見つからないのか?」
「はい、現在、レディコルカの全土を捜索中ですが、未だ発見の報無く。申し訳ございません」
キヌも、喋り方が少し柔らかくなってきただろうか?
彼女は、特に理由が無い時も俺と一緒に翻訳室で過ごすことを好んだ。打ち解けてくると、彼女はころころと良く笑い、表情の変化が豊富で、その感情の動きは手取るように見て取れた。
俺は、エルフという種族を彼女しか知らない。だが、本当に可憐な少女だった。大粒の宝石のような翠の瞳、その名の元になった絹のような美しい金髪、壊れ物のような華奢な体躯。義太郎さんが彼女を溺愛したのも、よく理解できる。
……そんなことをぼんやり考えながらキヌの横顔を見つめていると、彼女の頬が朱に染まった。エルフの読心力というのは、記憶や思考を読み取るような強いものではない。ぼんやりとした感情が判る程度の弱いものだが、今の俺のイメージは彼女に筒抜けだったらしい。
何となく気まずくなって、視線を逸らした。
【正義様!】
焦ったような顔で、バルベーラが部屋の扉を叩いた。
「火急の用件のようだな」
【予定を先倒して、国王が帰還致しました。
是非とも正義様にお目通り願いたいと申し上げております】
「正義さま」
キヌが、頷いた。また、堅苦しい謁見が始まるのだろう。
【謁見の後、正義様には、隣国エメンタールへと向かって頂きます。
早急に『
【正義さまは、紛れもなく本物の剣帝陛下のご血族です。
私が大老として申し上げても、『
【そればかりは、教典に記されたマレビト認定の儀式で御座いますから……】
「『
そう訊ねると、二人の顔が一斉に曇った。
泣き出しそうなキヌの瞳を見るに、禄でも無いことなのは間違い無さそうだ。
しかしまあ、別に指を詰められたり刺青を入れられたりする訳ではないだろう。
「行くよ。絶対に済ませなきゃならない通過儀礼の一種なんだろ?」
毒を喰らえば、皿まで。
マレビトとして偉そうな振る舞いを行うのにも、馴れてしまった。
いつまでも国賓としてぬくぬくと暮らすもの気分が悪い。ここらで、何か帳尻が合うような出来事に遭うのも筋というものだろう。
俺は、もう半ば、この国で剣帝の末裔としての生きることへの順応を始めていた。
それが、どんな恐ろしい、血塗られた道へと繋がっているのかも知らぬままに。
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