第6話 レディコルカの大老(後編)
すぐに城内に連れられるのかと思えば、勿論そんなことは無く、俺はもう一度、城外の衛士の詰め所のような場所で、再三に亘る全身の検査を受け、小さな水場に引き立てられた。
『悪いな。大老に拝謁する前に、身を清めて貰わないと。その姿では、余りにも見苦しい。本当なら自分でやって貰えると手間が省けるんだが、縄を外すわけにはいかんからな。これで勘弁してくれ』
そんなことを言って、ボジョレは俺の頭を洗って、伸び放題になった不精髭を剃刀で剃った。床屋にでも行ったような気分だったが、ボジョレは他人の顔を剃るのは初めてだったのか、その手つきは少し不慣れで、彼の操る剃刀が顎を滑る時、肉に食い込まないかと冷や冷やとした。衛兵に囲まれながら、殺しあった男に洗髪と髭剃の世話になるというのは、なんとも尻の落ち着かない奇妙な経験だった。
俺の髭を剃り終わり、頭から水を流して全身を洗い清めたボジョレは、何故か苦悩するように眉間を押さえた。見れば、周囲の衛兵達も様子がおかしく、みな冷や汗を流し、青い顔して体を震わせている者までいる。
「فکر از باقی مانده است،، وجود دارد تا این حد」
【面影がある、とは思っていたが、これ程までとは】
一体、何の話か。髭を剃った俺の顔に、何かついていたとでもいうのか。
「کسانی که می خواهند برای آماده سازی به برش مادر، ما، شکم I ممکن است خوب」
【はは、俺達、腹を切る準備をしていた方がいいかもしれないな】
「کاپیتان، آن است که یک موضوع خنده را متوقف کند」
【止めて下さい隊長、笑い事ではありません】
ボジョレが乾いた笑いを上げて憲兵隊の部下の肩を叩くと、部下の男は蒼白になった顔でその手を摑んだ。
そんな痛々しい沈黙を破るかのように、バルベーラの声が飛び込んだ。
「شستن کاپیتان حرامزاده خوک، از جعلی MAREBITO شما آیا در حال حاضر?」
【隊長、マレビト騙りの豚野郎の水洗いは済みましたか】
一斉に、その場に居た全員の怒気を孕んだ視線が、バルベーラの全身を余さず串刺しにした。
「آیا شما اتفاق افتاده است، همه?」
【ど、どうしたのですか、皆さん?】
「ب، به شما از این مسئولیت، باربرا」
【バルベーラ、お前はもうこの任から外れた方がいい】
「چو، برادر، کاپیتان، و آنچه شما در مورد جهنم صحبت کرد!?」
شستشو در آب زندگی می کنند؟?」
【ちょ、兄さ、隊長、一体何を言ってるんですか!?
もう、水洗いは済んだのでしょう?】
不満げな声を上げると、バルベーラは、乱暴に俺の髪を掴んで、ぐいと上を向かせた。
ハシバミ色の瞳が、俺の顔を捉えた。
瞬間、バルベーラの瞳孔が窄まった。その五指と腕は力を失い、撫でるように俺の顔の上を彼女の掌がずり落ちていった。
「این، آن احمق است، واقعا هیچ راهی……?」
【そんな、馬鹿な、まさか本当に……?】
バルベーラは眼に涙を浮かべると、水場の端に走って
その始終を、ボジョレは悲痛な表情で見つめていた。
◆
返却された時には、俺のジャージは奇麗に洗濯され暖炉で乾かされていた。
俺はこの異邦の地に流れ着いた時のままの姿で、城に足を踏み入れることになった。
後ろ手は縛られているものの、手荒な扱いは無く、刀槍で武装した衛士達に取り巻かれ、大名行列のような様相で城内を歩む。
毛足の長い絨毯の敷き詰められた城内の廊下は、数多の彫刻や絵画に彩られていた。
その技術とセンスの見事さたるや、俺の知る世界の美術に何ら遅れを取らない素晴らしさだった。
ふと、とある銅像の前で足を留めた。この国の王か将軍らしき、立派な身なりの男の銅像である。鞘に納められた日本刀の柄を両手で握り、
その男の顔に既視感を覚えて覗きこめば、あろうことか、銅像の男の面相は、鏡で見知った俺の顔と全くの瓜二つであった。
銅像から始まって、絵画、彫刻――その廊下を彩る美術品の全ては、よく見れば、その男をモチーフにした作品ばかりであった。
軍馬の上で、刀を振り上げる男、浜辺のような場所をで決闘を行う男、何百という屍を踏み締め、凱歌を上げる男、男に平伏するレディコルカの民衆、男と金髪の少女、男とその肩に止まる妖精――。数多の芸術作品は、どれも極めて写実的に作られていた。絵画の中の男の頭髪は、紅毛のレディコルカの民の髪とは異なって、俺と同じ艶やかな黒髪だった。
……今に至って、何故これ程までにボジョレが俺に拘泥したのかが理解できた。
この絵に描かれた男が誰かは、俺は知らない。――いや、ボジョレとバルベーラの会話で幾度か繰り返された名が、朧げに記憶の底から浮かび上がる。
『剣帝陛下』
王か帝か、はたまた天孫か。仔細は分かないが、彼らがこの男――剣帝をマレビトと呼び、その姿を俺の向こう側に幻視していることは理解できた。
でも、それは神の悪戯が如き偶然が産んだ、他人の空似に過ぎないのだ。
幾人かの軍人や大臣らしき要人が、俺の姿を遠目に眺めて何か小声で相談していた。
本当にマレビトなのか、という旨の質問を幾度もぶつけられたが、俺は無言を貫いた。
首を振って否定できることもできたが、簡単にノーと表明する訳にはいかない。
偽者と分かれば、その場で切り捨てられるかのような、重苦しい空気が続いていた。
ボジョレが、ピクシーによって言葉は通じるが、どれだけ正確に伝わっているかの確証は無い、この地の言葉を喋ったことはない、というような簡単なフォローを繰り返し、人払いをしてくれるのが有り難かった。
衛士は、不測の事態に備えて俺に槍を向けておくのが仕事のようだが、天罰か何かが下るとでも思っているのだろうか、俺に槍を向けることすら怖がっているようだった。
俺の監視と連行は、ほぼボジョレが統括していたと言っても過言ではない。
それにしても、この状況はどうしたものか。蟻の逃げ出す隙間も無いとは、まさにこの事である。
このまま、当分はマレビトを演じた方が利口かもしれない。だが、マレビト様を真似るには一体どうすればいいのだろうか? 半ば本気でそんなことを考えていると、これまでとは赴きが明らかに違う、特別な作りの部屋に辿りついた。
豪華な調度品と装飾に彩られた部屋だが、客間などとは雰囲気が明らかに異なる。外側から閉まる厳重な鍵、部屋の各所に設けられた、鉄格子のついた覗き窓――明らかに、束縛と監視を目的とした部屋である。漣のように騷めく衛兵や要人の言葉の端々に、幾度も『大老』という単語が見え隠れした。
部屋の中央を貫く、美麗な彫り物の意匠が施された柱に、後ろ手に縛った縄が結わえられた。
そして、俺に刃を向ける数人の衛士とボジョレを残し、要人と思わしき男達は一斉に部屋から退出していった。
独り、得心する。
つまり、ここが、最終審査室というわけだ。この部屋に縛られた俺を、この部屋のあちこちに設えられた覗き窓から、大老なる貴人が観察して品評会を行い、マレビトか否を鑑定する。
ぞっとしない話だった。何をどう審査して俺がマレビトか否かを調べるのかは見当もつかないが、当分は神妙な顔をして大人しくしていた方が良さそうだ――。
諦観と共に柱に背中を預けると、ずっと俺の肩に止まっていたピクシーが、ひらりと翅を動かし俺の肩より舞い上がった。
「چه کار می کنی، در صورتی که مرد، من تعجب می کنم اگر MAREBITO واقعا، آن را یک امر جدی از دولت، آن را به یکی دیگر از راه تبدیل شده است، هیچ چاره ای جز سپردن به وجود دارد」
そうなれば、俺の耳に届くのは単なるノイズと同然だ。
ボジョレの台詞すら一片の意も汲み取ることは叶わず、急に孤独と恐怖が俺を取り巻いた。
あの妖精――もしかしたら、俺の最期を予見して、道連れになることを恐れて俺の肩から離れたのだろうか? 全くの無根拠の悲観的な想像が胸中から黒い泉のように湧き出して、呼吸さえ苦しいほどの緊張が俺を見舞った。
見上げると、小さな妖精が覗き窓の鉄格子を通り抜け、外に向かって羽ばたくのが見えた。
ああ、あいつだけでも逃げればいい――そう思えば、諦めもついた。
ありがとう。短い間だったが世話になった。胸中で、謝意を述べる。
ピクシーが青空の下、どこまでを羽ばたいていく姿を想像すると、少しだけ気が楽になった。
だが、妖精が鉄格子を抜けてから数分の後、
「そんな! 揚羽! 本当に揚羽なの!? 帰って来てくれたの!? まさか――」
耳を疑った。鉄格子の向こうから聞こえてきたのは、流暢な日本語による驚愕の叫びだった。
鉄格子向こう側が、俄かに騷めいた。全力で廊下を走る、軽く小さな足音。
恐らく――制止を具申するための、衛兵達の哀願の声。
扉を叩き、重い錠前を引き千切らんとするかのように
ただならぬ事態が扉の向こう側で起こっていることは理解できる。だが、響く混乱と狂騒の中、
「واحد پشتیبانی فنی لطفا بلافاصله باز کردن درب، این یک دستور است」
凛とした少女の声が一喝すると、扉の外は水を打ったように静まり返った。
威厳ある――しかし、まだ幼ない、少女の声。
錠前が落ちる重々しい音。
途端、突き飛ばすように扉が開き、小さな影が駆け出してきた。
腰まで流れる、最上級の生絹のような美しい金髪。幼くあどけない顔に輝く翠玉のような円らな瞳が、俺をじっと見つめていた――俺はこの日、比喩ではなく本当に、宝石のように輝く瞳、というものを目にした。
少女の体は細く、その背丈は俺の胸程も無い。翠玉の瞳が涙で潤み、端整なその頬を大粒の涙が伝った。
「――義太郎様っ!」
少女はそう叫ぶと、繋がれた柱が揺れるような勢いで俺に抱きつき、細い体を震わせながら泣きじゃくった。
「お待ちしておりました。ずっと、ずっと――お待ちしておりました……っ」
少女は身なりから察するに、相当に高貴な身分な人間らしく、そんな貴人が俺のような不審者に抱きついているのは実に異例の事態であることが、周囲の困惑から窺えた。
だが、彼女もこれまでの大勢と同様に、あの肖像画の人物――剣帝と俺を混同していることは間違いなく、どう誤解を解くべきか、あるいは貫く通すべきかと思案していると、彼女は思ったよりあっさりと、涙を拭って俺の体から離れた。
「大変失礼致しました。貴方様のお顔があんまりにも養父と瓜二つでしたので、つい取り乱して粗相をしてしまいました。どうぞご無礼をお許し下さい」
少女が何事かを口走ると、ボジョレが短刀で素早く俺の戒めを解いた。
「この度の非礼、お詫びの言葉も御座いません。どうぞご寛恕賜りますよう、お願い申し上げます。
ようこそ、このレディコルカにお越し下さいました。マレビト様が神の国より再びこのレディコルカの地に天降られこと、エメンタールに出向いております国王に代わり、厚く御礼申し上げます。
宜しければ、神聖なるマレビト様の御名を伺う非礼をお許し頂けますでしょうか……」
少女は、唇を噛み締める。
彼女の口にする日本語は、流麗だが、どこか古風な響きがした。
「……ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。俺は日本国から参りました切畠正義と申します。
もし良ければ、貴方のお名前と、この国のことを伺っても宜しいでしょうか?」
きりはた、まさよし、と小さく呟くと、少女はぐっと固唾を飲み込んだ。
「申し遅れました、私、この国の大老を務めております、キヌ=レディコルカと申します。
切畠、正義様、一目ご尊顔を拝見した時から、切畠の皇統の御血筋の方であると確信しておりました――」
大老? この小さな少女が? いや、大老とは単なる役職に過ぎないのだから、こんな小さな少女が務めるというのも有り得る、のか?
『――義太郎様っ!』
俺に抱きついてきた瞬間の彼女の言葉がフラッシュバックする。
「切畠が、皇統の血筋……!?」
昭和に没落した、片田舎の庄屋の家系だ。多少の田畑は持ってはいるが、皇統と呼ばれるには程遠い庶民の家柄である。
そんなことより、何よりも。彼女の叫んだ名前。
「義太郎って……」
「義太郎様を、ご存知なのですか!?」
「……」
正しく答えるべきだろうか。
俺の顔色を見て取ったのか、少女はおずおずと口を開いた。
「切畠義太郎様は、この国の国父にあらせられます。
300年前の昭和歴17年、神国ニッポンよりこのレディコルカにマレビトとして天降られ、民族滅亡の危機にあったこのレディコルカをお救い下さいました。
義太郎様は、神国ニッポンに残されたご家族のことを何時も案じていらっしゃいました。
お父上である慶太郎様、お母上である千江様、弟君である信次郎様、妹君である絹世様。
どなたかの消息をご存知でしたら、お教え頂けますでしょうか。
義太郎様の墓前に御報告致したく存じます……」
ああ――。
間違いない。間違いようがあるものか。
『立派になったなあ、正義。本当に――義兄ちゃんの生き写しのようじゃ』
二人で相撲をとったあの夜の、祖父の言葉が蘇った。
――義太郎さん、見付けたよ、爺ちゃん。
遥か彼方の日本の地に眠っている祖父に祈ると、目頭に熱いものがこみ上げてきた。
「みんな、知っています。俺は、切畠信次郎の孫で――義太郎さんは、俺の、大叔父です」
「――――っ!」
俺がそう伝えると、少女は堪えきれず涙を零し、再び顔を押えて泣きじゃくり始めた。
一体何がどうなっているのか。破裂しそうになる頭を掻き毟って、空を仰ぐ。
「なあ、爺ちゃん、俺はどうすればいい? 俺は、何のためにここに来たんだ?」
答えがある、筈も無い。
俺は、糸が切れたように脱力して床に座り込んだ。少女は、未だ顔を押えて泣きじゃくっている。
ふと、彼女の言葉に違和感を覚えた。
『――切畠義太郎様は、この国の国父にあらせられます。
300年前の昭和歴17年、神国ニッポンよりこのレディコルカにマレビトとして天降られ――』
?
「300年前ですって? 義太郎さんがこっちで行方不明になったのは、71年前のことです」
どう考えても計算が合わない。それにこの少女、言葉の端々から察するに義太郎さんを知ってるような口ぶりだったが、義太郎さんが爺ちゃん同様、戦後長らく生き延びていたとしても、相当な老齢だったに違いない。
この少女の
信次郎爺さんが俺にそっくりだったと評した、出征時の義太郎さんを知っている筈も無い。
「キヌ……大老? 貴方は、何時義太郎さんと出会われたのですか?」
少女は、間髪入れず迷いの無い声で告げた。
「私は、昭和歴23年の9月2日、ブルソー要塞にて虜囚の身となっていた所を、義太郎様にお命を救われました。義太郎様は私を養女として引き取り、養育して下さいました。
その後、義太郎様が昭和暦77年5月19日に崩御された後、義太郎様の偉業を未来永劫讃える語り部となるべく、このレディコルカで大老の任をつき、以来239年、義太郎様の残された秘蹟をお守りしております」
少女の言葉は、俺の理解を遥かに超えていた。
「……239、年?」
「正義様は、神国より天降られたばかりで御座いましたね。申し遅れました。私、この地に古より住まいますエルフという不老長寿の種族の出に御座います。義太郎様に賜りました御寵愛……私の人生の、生涯最高の光栄と慶びに御座います」
少女は懐かしむように瞳を閉じ、もう一筋だけ涙を流した。
――その耳は、おとぎ話の絵本の妖精のように、長く尖った奇妙な形をしていた。
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