カタナクション

閑話 剣帝の遺稿より抜粋（２）～邂逅～

　昭和十七年十一月廿一日　雨

　懐中時計の龍頭卷けば、きり／＼とゼンマイの撓む音鳴り響きけり。

　幽（かそけ）き針の音に、たゞ耳を傾くるのみ。

　肚が減つては飯を喰らひ、糞を垂れたる事のみが、此の世の縁となりつゝありける。

　大日本帝國の軍人として、醜く生き足掻かず、潔く腹を切つて死すことこそ正しき道なりけるかと、日がな自問し此の日を終ゆる。

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　昭和十七年十一月廿二日　晴レ

　突如事態の進展したること甚だし。得たる見聞の余りの量に眩暈さえ覚える始末なりける。

　とり急ぎ、本日起こりし怪事の数々を順序立てゝ書き纒めん。

　朝０８００、漸く心定まり、腹切らんとて木切れにて粗末なる三方を設へ、愛刀忠行を据ゑ置きぬ。

　思はゞ、遲すぎし決意なりけり。此の樣な異邦の地に迷ひ込み、天皇陛下よりお預かりした飛行機を損壞せしめた咎、詰腹を切るは當然（とうぜん）なり。

　小川にて身を清め、忠行の刄握りて、己が腹に突き立てんとした且に其の刹那、揚羽（アゲハ）耳元にて風鈴が如き聲（こへ）で高らかに鳴きにけり。

　驚き振り向きければ、紅毛（あかげ）の男、背後の藪（やぶ）より現われけむ。

　生身の人間を目にする事久しかりければ、言葉をかけむとすれども、喉は聲を發（はっ）さず、只唇ばかり開閉を繰り返しける。

　男、やゝ淺黑き肌と焔（ほむら）が如き紅き髮もち、粗末なる衣裝を肩腰に卷きつけたり。見知らぬ部族なりけるが、此の男、此の地に住まひし土人たりける事間違ひなし。

　矢張り此の地も生者の住まひし土地かと思ひければ、安堵に涙も零れける有樣なりけり。

　男、我に何事か云わんとて、口を開きてを二言三言發せれど、聞き覺えなき言葉にて、其の意汲み取る事能はず。　　

　此の男より、何とかして此の地の事情を聞きださんとて、男に詰め寄りければ、不意に男地に斃（たお）れ臥したり。

　見れば此の男、背（せ）なに幾条もの刀創（かたなきず）受け、壯絶なる火傷まで負ひしにけり。

　男、助けを求むるが如く手を擧げり。勇敢なる兵士の最期看取らんと、其の手しかと握り締めたれど、男、遺す言葉も無く事切れたり。

　男の手握りし刹那、世界の壁が壞れたりけるが如き奇妙な感覺、我が胸中を吹き拔けり。

　不意に、邊りに鬨（とき）の聲と砲火の音響き渡りし。此れ聞き慣れし戰場の聲なりけむと思ひ、今且に己が腹捌かんとせし愛刀握り、戰場に向かひて驅け出しけり。

　藪を掻き分け進みければ、拓けた丘上に辿り着けり。

　眼下には、壯絶なる戰場廣がりけり。我も先のノモンハン紛爭にて幾度もの戰鬪經りしども、斯程（かほど）奇妙なる戰爭、未だ見らざりけるなり。

　下方には、先の男と同じ部族と思はしき紅毛の土人の兵隊ども、戰國時代の足輕（あしがる）が如き粗末な具足を身に纏ひ、弓槍刀を振りかざし、敵を討たんと押し寄せけり。

　奇態なりきは、此の紅毛の土人の對手（あいて）たる兵隊共なり。此の兵隊共、金色の髮と彫深き面貌（かんばせ）なりければ、鬼畜米英共が仲間の西洋人かと思ひけれど、其の耳、尖りて長きこと鬼の角が如し。

　長耳共、戰場に身を置きたれども、其の手には銃の一挺、劍の一本すら携へず、ただ輝く杖一本のみ握りたりけるなり。

　手にし杖を一振りせれば、虚空に面妖なる圓陣（えんじん）輝きて、圓の裡より火焔の柱や氷の礫、次々に飛び出し、紅毛の土人共を貫きたりける。

　旋風（つむじかぜ）起こして敵を刻む者有らば、雷光（いなびかり）を降らして敵を燒き焦がす者なん有りける。

　斯くも奇怪なる兵器、見た事も聞いた事も無し。

　兵力の差は歴然たり。

　長耳の兵隊ども、童が蟲を潰すが如き薄笑みを浮かべつ、紅毛の土人共燒き拂（はら）ひにけり。

　されど、紅毛の兵隊共、勇猛果敢なる事此の上なし。

　劣勢を氣にもかけずして、劍握りて長耳の兵に肉彈戰を挑みて次々に斃れける。

　玉碎（ぎょくさい）をも厭（いと）はず敵に挑み懸（か）かりたる其の雄姿、眞に天晴（あっぱ）れなる兵隊の譽（ほま）れなり。

　卑劣なる兵器を用うる長耳共に挑み懸かりし紅毛共の姿、壓倒的（あっとうてき）物量を盾にしき米英ソ連に對し、悠久無限の精神力を以つて立ち向かひし、我が祖國日本の大和魂を感得させしむる。

　義を見てせざるは勇無きなり。　　

　大日本帝國軍人、切畠義太郎（きりはたよしたろう）、助太刀致すと名乘りを上げつ、刄を拔きて長耳共に斬り懸かりけり。

　此方（こちら）を振り向きし一人目の長耳の喉笛、眞一文字に掻き切れば、長耳ども一齊（いっせい）に此方を振り向き、輝きける杖先の狙ひを我に定めたり。

　宙空に幾多の圓陣（えんじん）の輝きしこと、眞夏（まなつ）の夜の花火が如し。

　漸（ようや）く我が死に場所得たりと思ひしが、長耳共の放ちし火柱や旋風、我が眼前に迫れば陽炎の如く消え失せたり。

　長耳共、何事かを叫び、我に向かいて次次と妖術が如き焔や氷柱を放てども、我が膚（はだ）に觸（ふ）れる事能わず、全て朝靄（あさもや）の如く掻き消えにけり。

　教練にて、伍長殿斯く宣（のたま）ひき。皇運無窮（こううんむきゅう）を心底より信じて突撃すれば、敵の彈丸自ずより避け、己が身傷つくる事叶はずと。

　大袈裟なる言葉と思ひしけれど、伍長殿の言葉正かりけり。

　譬（たと）い一時たりと、上官殿の言葉を疑ひし己が未熟、ただ愧（は）ぢいる許（ばか）りなりける。

　二人目の長耳を袈裟より切り下ろし、三人目は杖諸共に其の小手先を切り落としけり。

　四人目の胴を薙ぎて斬り斃しき頃には、長耳共、這（は）ふ／＼の體（てい）にて散り去りけり。

　たつた四人ばかり討たれし程度にて遁走（とんそう）を決め込まんとせしとは、何とも意氣地無き兵隊共なりけり。

　長耳共の腰拔（こしぬ）けたる事、兵器を恃（たの）みて己を鍛へざりける事の證左（しょうさ）なり。

　如何に強力なる兵器を揃へども、己が心身鍛へざりければ、兵共、忽ち烏合の衆と變（かわ）りけるなり。

　先に小手先を切り落としたる長耳、地を這ひつ泣き叫べり。

　同朋に見捨てられしこと不憫に思へども、之も戰と肚を定め、其の首刎ね落としにけり。

　紅毛の土人ども、顏見合はせつ、我の前に集ひて、一齊に地に膝をつき掌を天に向けぬ。

　此の仕草、武器を手放しきことを表す恭順の意思表示ならむ。

　我、長耳共を成敗しけれども、紅毛の土人共、虐げるつもり無きなりなし。

　一際勇ましき具足を身に纏いし、隊長と思はしき男、何事か口走りけるが、矢張り其の意汲み取る事能わず。

　土人共の言葉の響き、英語とも獨逸（ドイツ）語とも、無論支那語や露西亞（ロシア）語とも全く異なりけり。

　此れでは、我が意傳へる事叶はずと思ひしが、思はぬ通譯（つうやく）現われけり。

　揚羽（アゲハ）、我が耳元に寄りければ鈴の如き音を奏でつ、男言葉を發するに合はせて、其の蝶々の如き翅（はね）を震はせり。

　男の言葉、耳には馴染まざれど、其の言葉の意、突如として明瞭に我が腦裏（のうり）に響き亙りけり。

　其の心地、冬の曙光が昏き山河を明るく照らし出したるにも似たり。

　此の地にて幾度も驚かされしことあれど、かほど驚愕させられしこと無きなり。

　蝶の如き小人、此の地の飜譯機（ほんやくき）なりきかと甚（いた）く感心す。

　紅毛の土人共、揚羽の姿を見て驚きしこと甚（はなは）だし。

　男の言葉、揚羽の譯（やく）したるを聽（き）きければ、此の地の事情、次々と詳（つまび）らかになりけり。

　我が揚羽と名附けし、此の蝶々が如き小人、 ピクシヰ（ピクシー）なる精靈の一種なり。

　野山に棲みて、道祖神の如く地の者を見守りつ、善き者には祝福の加護を與（あた）ふる靈驗（れいげん）あらたかなる精靈ならむ。

　此の地の昔語にて、數百年に一度、常世（とこよ）の國よりマレビト訪れたると、傳（つた）へられけむ。

　マレビト此の地の言葉通じざりければ、 ピクシヰ（ピクシー）が其の耳となりて、衆生の言葉を屆（とど）けしむると傳はりきなり。

　男共、長耳共を退却せしめた事の謝意を頻（しき）りに陳（の）べ奉り、己が窮状を涙乍らに訴へけり。

　此の地、レヂコルカなる小國なりし事判明せり。

　古來より紅毛の部族住まひし地なれど、長年に亙りて、長耳共の住まふ大國スチルトンの領土の一部とせられ、課せられし重税と壓政（あっせい）により苦しみにけり。

　民族の誇りを取り戻さむとて、宗主國スチルトンに分離獨立（ぶんりどくりつ）を求めけれど、スチルトン此れを認めずして、遂には獨立戰爭（どくりつせんそう）と發展せしなり。

　スチルトンは魔道士と稱（しょう）する妖術使ひ擁（よう）すこと數（かず）多く、レヂコルカの地を燒盡（しょうじん）せしめむと猛攻をしかけにけり。レヂコルカの民、再びスチルトンの軍門に下りて隸屬（れいぞく）の暮らし強ひられる事善しとせず、名譽ある玉碎を求めて粗末なる武器にて立ち向かひけりしが、先の戰の發端（ほったん）なり。

　されど、如何に高き志あれど、儼然（げんぜん）たる戰力の差覆すこと能はず、レヂコルカ軍潰滅を待つ許りの悲慘なる有樣なり。

　レヂコルカの魔道士軍はスチルトンが精鋭魔道士軍に挑みて玉碎し、戰線は後退の一路を辿るのみ。

　若しスチルトン此の地を蹂躪（じゅうりん）せれば、男は殺され女は犯され、殘る子供は一生奴隸として扱はるる末路の待つ許（ばか）りなりける。

　本日、レヂコルカの手練れの男共により、スチルトン魔道士軍の先遣隊に奇襲を試みしが、無慘なまでに敗北しけり、最早此れまでと思ひし其の時に、我、此の戰場を訪れけるなり。

　レヂコルカの民語りて曰く、マレビトは、此の地の者に比類無き力持ちける者なり。如何なる力を持ちしかは千差萬別なれど、いづれも強大な抗魔力（こうまりょく）なる破邪の加護を身に纏いたりけむ。

　スチルトン軍の主力部隊は先の魔道士軍なりければ、あるひは抗魔力持つマレビトによつて戰況を覆すこと能（あた）はしめむかと。

　ピクシヰ（ピクシー）連れければ、我善きマレビトに違ひなし、どうかレヂコルカの民に助力賜（たま）はらむことを願ふと、隊長畏（かしこ）み／＼乞ひ願ひけれ。

　我、レヂコルカの民の話を聞きて、大いに義憤せれど、我は大日本帝國臣民。

　既に此の身は血の一滴まで天皇陛下に奉げにけり。

　一旦、九七式戰の麓まで戻りて、頭を冷やして一晩考へむと欲す。

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　昭和十七年十一月廿三日　晴レ

　一睡も出來ぬまま夜が明けぬ。

　朝ぼらけの山際に、お天道樣の緩々（ゆるゆる）と昇りつるを見て、漸（ようや）く肚（はら）定まりけり。

　昨日レヂコルカの民の話を聞きて、此の地、我の居りし世とは異なる世界なりける事確信す。

　此の地の何處（どこ）に徃けども、祖國日本は在らざるなり。

　亞米利加（アメリカ）もソ連も獨逸（ドイツ）も支那（シナ）も滿州（まんしゅう）も無き、文字通りの異郷の地なり。

　レヂコルカの民共、我をマレビトと呼びしが、此の地こそ、マレビトの住まひし常世（とこよ）の國なり。

　如何なる理由で此の地に迷ひ込みしか判じかねれど、我再び祖國の地を踐（ふ）むこと能（あた）はざらむは確かなりけり。

　死して祖國に歸（かえ）らむかとも考へしが、此の朝日見て思ひ留まりぬ。

　我が父、戒めて曰く、お天道樣に背くことなく生くるべし、と。

　我が師、戒めて曰く、天知る、地知る、我知る、人知る、と。

　此の地には、我の知己（ちき）、只の一人として無き。されど、お天道樣、變（かは）らずして在りき。大地、變らずして在りき、我、變らずして在りき。

　ならば、我、只爲すべきことを爲（な）す許（ばか）りなり。

　祖國日本の戰爭は、歐米列強（おうべいれっきょう）の彈壓（だんあつ）に屈する事なく、普（あまね）く四海同胞（しかいどうほう）を纒め上げ、大東亞共榮圈を設立し、一致團結（いっちだんけつ）して此れに抗（あらが）はむとする聖戰なりける。

　されば、此の地レヂコルカもまた祖國日本の同胞なり。

　大日本帝國男子、切畠義太郎（きりはたよしたろう）此處（ここ）に誓はむ。

　八紘一宇（はっこういちう）の名の下に、必ずや此の地に神風を吹かせてみせむことを。