フレデリック・M・マーシー:The dream which a brain looks at.
どこまでも続く白いタイルの溝を、虫のように伝い這っていく水滴を眺めていた。
シャワーカーテンの向こう側にいる女のシルエットが水音と共に動いていく。タバコの焦げ跡の残る赤いソファに身を沈めながら、ノイズの引っかかるマドンナのダンスミュージックを聞いている。
右手に掴んでいたミントタブレットと、足置きにしている机の上に乗るダージリンの紅茶が香り、左腕のフォッシルの腕時計が8時を指しているのを見て、
私はようやくそうだと気付いた。
深く溜息を吐いて頭を抱える。
―――またこれだ。
私は、この夢の続きを知っている。
ミントタブレットを口に含み、ダージリンの紅茶を流しに捨てる。
ラジオのマドンナの音声を少しだけ大きくして、ベレッタM92に弾丸をセットした。行動の手際の良さにうんざりしていた。彼女も迷惑だろう、何の恨みがあってこんな事になってしまうのだろう。
「ちょっと待ってニック、もう上がるわ。」
誰だか知らない女は何も知らない無邪気な声で、聞き覚えもない名前を呼んで聞いたこともない歌の鼻歌を歌っていた。張り詰める神経を微かに鈍らせる安堵する気持ちと「早くしなければ」と焦る気持ちに揺れ動く。
―――お願いだ、覚めてくれ。
少し硬いリーバイスの革靴が、灰色のカーペットを踏みしめ、部屋の奥へと向かう。
耳鳴りが鳴った。
ぼうぼうと反響する和音の奥底で何やら声が聞こえている。幼児の泣き声のようでもあり、女の悲鳴のようでもあった。
私は耳を塞いだ。
しかしその雑音はさらに音量を増して私の耳に押し込まれていく。
私は目を閉じた。
途端に真っ暗になる視界が私が全ての物から遮断されたかのような錯覚を起こさせる。
お願いだ。覚めてくれ。
私は嘆き悲しむように跪き必死に祈る恰好をする。
私は、この夢の続きをしっている。
この後あの女がどうなるかも、自分がどうなるかも、この夢が覚める瞬間も。
「だが、夢か現実かを確かめる術は無い、そうだろう?」
いつものように男はうっすらと笑いを浮かべながら私を見下ろしそう囁く。
「これが現実なはずがあるか。お願いだ。帰してくれ。」
涙声で発せられる自分の声に情けなくなりながら、ゆっくりと立ち上がり男に向かって振り向く。
黒いスーツに帽子をかぶり黒い皮の手袋をした男は、にやにやと不愉快な口元以外は見えない。胸元から覗く赤いスカーフがスカしていて本当に気に食わない。
僕は男に向かって、いつものように銃口を向ける。神経は冷静なようでいて、いつもこの時には手が震えて、しかしながら銃口はしっかりと男に向けられていた。
「そうだな、残念ながらそろそろ帰る時間だ。」
男は胸元から―――銃を取り出した。
「待て、いつもと違うじゃあないか。」
「何を言っている。お前に未来の事が分かるわけがない、ましてやいつもお前が見ていたのは唯の夢なのだろう?」
男は私の額に銃口を押し付け、真っ黒な瞳で私の方を眺めている。
「…これは夢だ!」
まるで自分に言い聞かせるかのように私は叫んだ。
「試してみるか。」
そう、男は引き金を引いた。
――――いつもと同じように飛び起きた私は、やはりいつものように安堵のため息を吐く。
「やっぱり、唯の夢でしかないじゃあないか。」
飽きれたように鼻で笑い飛ばし、私はいつものように窓を開けた。
「試して、みるか。」
黒いスーツの男は銃口をこちらに向け、赤いスカーフをゆらしにやりと笑った。
その瞬間、私の夢は覚める事になる。
否、私の夢はそこから始まったのだった。
<プロローグ 終>
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■引用詳細
Frederick・M・March著「The dream which a brain looks at.」より抜粋。
二〇〇五年八月五日 - 発行。
■Frederick・M・March(フレデリック・M・マーシー)
アメリカのSF基礎概念を作ったSF作家。生涯で180作品を超えるSF作品を生み出したSFの第一人者。生前に評価された作品は少なく生涯は苦難に満ちた生活を送ったが、死後翌年に彼の長編小説「It is close to 0 infinite, however far from 1.(邦題:限りなく0に近く1には程遠い)」がアルフ・パブロフ監督により「Hello world」のタイトルで映画化。それを切っ掛けに「SKY FAKE」その後多くの作品が映画や漫画など様々な形で世に出されSFジャンルの発達に寄与、功績を湛え彼を記念したSF文学賞が作られた。
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