[14]

 午後10時。

 韮崎はひとり刑事部屋で、暗い窓の外をにらんでいた。振り返ると、机の上に小型のスピーカーが置かれていた。それは今まで白瀬の取調室の様子を中継していたが、すでにスイッチは切ってあった。聞く必要も無い。自分は勝ったのだ。

 思えば日陰を歩んできたような、警官人生だった。そこに降って沸いたような本庁への異動。このミスが露見されれば、異動の取り消しだって起こりうる。しかし、選任の弁護士に自分の甥をつけるのが限度だった。

 韮崎は廊下を歩きながら、苦笑を浮かべた。白瀬が本当に柏木祐也を殺したかどうかは分からないが、韮崎が驚くほどに白瀬は自分のアドバイスを受け入れ、何も話さなかった。

 取調室の前まで来ると、椅子がひっくり返ったような大きな音が響いた。

 韮崎は急いでドアを開けた。白瀬が床にくずれて静かに泣いていた。左の頬が少し赤くなっている。その傍に、真壁が立っていた。その背後から小野寺がおさえていた。

「何があった?」

「真壁が殴ったんですよ。全部、吐いちまったもんだから・・・」

 韮崎は耳を疑った。

「なんだって?」

「だから、吐いたんですよ。柏木の親父も子どもも、自分が殺ったって・・・」

 韮崎は真壁を一瞥した。真壁ははりつめた表情を浮かべたまま、立ち尽くしていた。取調室に入り、韮崎は白瀬のそばに膝をついた。

「白瀬さん、どういうことですか?」

「知らなかったんだ!あの子が、あの子が、娘の同級生だったなんて・・・」

「子どもを殺したんですか?」

「間違いありません・・・私は、私は・・・」

 白瀬は慟哭を上げた。

「仕方なかったんだ!課長は、課長は、まるでゴミみたいに、たった2、3秒で、私の何十年を否定したんだ!高いクラブに入ってツケまでして接待したのも、会社のためだった・・・!それなのに、なのに・・・!」

 あとはもう言葉にならなかった。白瀬は崩壊してしまった。

 韮崎は小野寺に白瀬をまかせ、真壁を廊下へ追い出した。

「物証はあるのか?」韮崎は低い声を出した。「子どもの殺害を認めたのはいいが、何の証拠も無いぞ」

「柏木達三の殺害については、物証があります」

「あれは心臓発作による自然死だ」

 その時、階段を駆け上がる音がした。韮崎は顔を向けると、廊下を鑑識の長谷が歩いてきた。封筒を手にしている。

「結果が出ました」

「早かったですね」真壁が言った。

「冷蔵庫に付着していた指紋とは、まだ照合していませんが・・・ライターからはバッチリと採取できました」

「か、かせ!」

 韮崎は長谷から封筒を奪い取った。指紋の鑑定書を取り出し、文面を追った。

「特徴点が12か所以上あります」長谷が言った。「同一人物で間違いないです」

 韮崎は思わず声が震えた。

「ライターっていうのはなんだ!?」

 真壁が封筒の中から、ビニール袋を取り出した。着火部品が欠けた使い捨てライターのプラスチックの容器が入っていた。

「白瀬は柏木に水をかけて、このライターから着火部品を取り外して、左胸に当てて感電死させたんですよ。5000ボルトもの電流なら、弱っていた心臓ならイチコロです」

 韮崎は眼の前が暗くなるのを覚え、吐き気がこみ上げてきた。どうにか吐き気を抑え込むと、ふらふらと廊下を歩き出し、廊下の奥に姿を消した。

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