[12]
腕時計の針が眼に入る。午後2時を数分回ったところだ。向かいの席で、うなだれる白瀬の姿がある。午前中で寸分変わらぬ構図。
真壁は眼の端で壁のマジックミラーを見た。小野寺が隣の小部屋にいる。本来なら、午後は非番である小野寺は「付き合ってやる」と言い出し、取調を始める前、落ち着いてやれと肩を叩いた。
真壁はタバコに火を付けて吸い始め、しばらくしてから口を開いた。
「そうやって黙っていられるのは・・・柏木達三が死んだからではないですか?」
「・・・」
「完全犯罪ですよ。事件の当事者は、柏木とあなたしかいない」
真壁は灰皿にタバコを押しつぶした。
「柏木は心臓を患ってた。あの巨体ですし、薬は3種類も処方されていた。かなり悪かったんでしょうね」
真壁はファイルを開いた。ファイルに綴じられていた書類にひととおり眼を通すと、真壁は口を開いた。
「会社からは、1か月前にリストラを宣告されたそうですね?」
「・・・」
「家族が大事です。あなたのひとり娘はまだ小学生だし、家のローンはだいぶ残ってる。自分はどうやって家族を支えていけばいい?あなたはそうやって悩んだはずです」
その後も白瀬の口は固いままで、真壁は諭すような口調で取調を続けた。
「あなたがリストラを宣告されたのは2月19日、翌20日に御徒町の《ル・ボア》で柏木と会う。2月25日に事故。あなたの家を中心にして、パレス南上野、柏木の工場は半径700メートルの圏内に入る」
このとき、真壁は白瀬の上体が震えているのを目ざとく見つけた。白瀬はもはや観念しているのではないか。洗いざらい喋って楽になりたいと願っているし、刑に服する覚悟も決まっている。根っからの悪党ではないことは、昨日の聴取ですでに分かっている。しかし、自白をためらっている。なぜか。
脳裏に誰かの顔があるからだ。罪を認めることで深く悲しむ人間がいる。どうあってもその人にだけは、自分が「人殺し」に成り果てた現実を知られたくない―。
扉が2回ノックされる音が響き、真壁は思考を中断した。上体をひねると、扉の隙間から須藤が顔を覗かせ、手招きした。
真壁が廊下に出ると、須藤は「気になる話が・・・」と言い出し、手帳を開いた。
「住宅ローンの返済だが、2月の段階で残金が約4500万。その残金だが、今月の17日になって全額、キャッシュで支払われてる」
「柏木達三が死亡して2日目か」
「それと・・・娘の梓ちゃんは今日から学校を休むと、母親が担任に言ってたらしい」
「なんで?」
「家族旅行。大阪のテーマパークに行くという話をしたそうだ」
真壁は礼を言うと、取調室に戻った。新たなネタを持ったとして、いつ切り出すか見極めているうちに、時間は容赦なく過ぎていった。真壁は次第に暗澹とした気分になった。
裁判では、「任意の自供」のみが証拠として認められる。だが、すんなりと自供する人間は警察には来ない。自供すれば、社会的な死が待っている。それを意識して、口が重くなる参考人は多い。しかし、白瀬は「家族」の顔があるから、口をつぐんでいる。真壁は旅行の話を聞いた瞬間、そう直感した。
鉄格子ごしの空は、だいぶ薄暗くなってきていた。真壁は何本目かのタバコを灰皿に押しつぶした。
「明日、釈放されたら、どうするつもりです?」
「・・・」
「大阪へ家族旅行ですか?」
「・・・」
「会社からリストラにされたが、家族には『会社へ行く』と嘘をついて、国会図書館で時間を潰してたそうですね」
「・・・」
「奥さんには『有給を取った』と嘘をついたんですか?」
「・・・」
「テーマパークに行って家族サービスした後、どうするつもりでした?」
真壁は椅子から腰を上げ、机にかがみこんだ。
「・・・あなた、自殺する気だったんじゃないですか?」
白瀬は顔を逸らした。
廊下の奥から、革靴の硬質な響きが迫ってきていた。韮崎が扉を開いた。
「真壁、時間だ」
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