[11]
午前12時11分。
上野南署の裏口から出ると、真壁は合羽橋の商店街に向かって歩き出した。
すると、急に背後から車のクラクションが鳴った。真壁が振り向くと、ピンクのビードルが近づいて停まった。
ウィンドゥが下がって、富樫の顔がのぞいた。
「お前ってヤツは、1キロ先からでも刑事だって丸分かりだぞ」富樫は助手席のドアを開けた。「乗れよ、一緒にメシ喰おう」
真壁は上体を入れ、次に脚を入れようとすると、あまりに車が小さく、膝を胸の前で抱えなければならなかった。
「なんで、こんな小さい車に乗ってんだ?」
「僕の子猫ちゃんのものさ」
「子猫ちゃん?奥さんのこと、そう呼んでいるのか?」
真壁は嘲るような口調で言った。
「どう呼ぼうが、僕の勝手だろう」
富樫は口を尖らせると、アクセルを踏んだ。二人が入ったのは、合羽橋の路地裏にある「かつ新」という小さなトンカツ屋だった。窓際のテーブルで、値段は安いが、けっこうボリュームのある定食をどうにか食べ終え、富樫がお茶をすすっていると、真壁はタバコの箱を振って一本くわえた。
「おまえは?」
「ああ、おれはもう禁煙したんだ。子どもができたのが、きっかけになったんだ」
「えらいな」
真壁は上着を探ったが、持っていたはずのライターが見つからない。
「おい、火、持ってるか?」
「持ってるはずがないだろ」
そう言いつつ、茶色のジャケットを探ると、富樫の手は胸に固い感触を得た。取り出してみると、油がほとんど切れかかっている使い捨てライターだった。
「これでガマンしろ」
「サンキュー」
真壁はタバコに火を付け、紫煙をくゆらせた。富樫はタバコの煙に咳き込み、真壁は「悪いな」と言って、右手の窓を開けた。
富樫はライターをいじりながら、呟いた。
「そう言えば、昨日、テレビでやっていたな」
「何が?」
真壁は灰皿にタバコをたたいた。
「使い捨てライターの火を付ける部分、五千ボルトくらいあるんだってさ」
「ふぅん」
「ところで、もうひとつの山の方は?」
「父親による殺人教唆。それに保険金がからんでいる」
真壁は事件の概要を話し始めた。富樫はときどき質問をはさみながら、メモ帳にペンを走らせた。
「父親の柏木達三に頼まれて、白瀬が実行したと・・・裕也君にはどのくらいの保険金がかかっていたんだ?」
「たしか8000万くらいだ。2人で山分けしたんだろうよ」
真壁は苛立たしげに呟いた。
「で、柏木は借金の帳消し・・・白瀬は家のローンの返済に使ったと。そういえば、白瀬は任意で引っ張ったんだよな?」
真壁はうなずいた。
「親父は?柏木達三は逮捕しなかったのか?」
「死んだよ」
「えっ?」
「心臓発作で亡くなってる」
「心臓発作って・・・」
「柏木の親父は身長が183センチで、体重は120キロを超えてた。それで心臓に大きく負担が掛かっていたらしく、狭心症の既往歴もあったんだ」
「いつ死んだんだ?」
「3月14日。工場で倒れてるのを民生委員が発見した」
「なるほど。となると・・・残されたのは、物言わぬ参考人のみか」
真壁はため息をつくと、脳裏に白瀬の暗い顔が浮かんだ。
「それで、どうなんだ?落ちそうなのか?」
真壁は黙ったまま1本目のタバコを灰皿に押し潰し、2本目を口にくわえ、テーブルの上に置かれた使い捨てライターを手に取った。
その時だった。真壁の脳裏を突然、焼け付くような焦燥が襲った。岩壁をよじ登っている時にも感じる、眼の奥がじりじりと焼けるような焦燥。脳の中が燃え、血液が沸騰するような感覚。
真壁は思わず額に手をやった。
「おい、大丈夫か?」
富樫が顔をのぞきこんだ。
「なぁ・・・ひとつ、頼まれてくれないか?」
どうにか、真壁はそれだけを口にした。
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