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 事故当日、青いジャンパーを着た人物が目撃されている。中肉中背で、眼鏡を掛けていた男。それはおそらく、真壁の頭の中では、単純明快に星野寿和だった。それ以外に捜査線上に上がった人物がいないということから、自然と眼が行ったのだ。ここ数日、真壁は消えた約七千万の保険金の行方を追っていたが、大した成果は挙げられずにいた。元従業員なら、金の保管場所を知っていて当然だろう。

 真壁は適当な理由をつけて柏木の工場の検証令状の請求書を書いて判事のハンコを貰い、鑑識課の部屋に入った。部屋には、ほんの数人しかいなかった。

 主任の長谷敏司に、令状を見せた。

「関係者指紋採取?工場の広さは」

「調べるのは、机2つと冷蔵庫、出入り口」

「立会人は」

「工場の地主に連絡済みです」真壁は声を低くした。「それと・・・今夜中に照合してもらいたい指紋を届けますから、作業は明日の朝一番でお願いします」

 真壁は普段なら持たないショルダーバックに、簡易指紋採取セットと指紋原紙数枚を詰めると、上野南署を出た。

 この日は、柏木自動車工場の周辺で聞き込みに回った。総合病院の近くに住む老人からこんな証言が得られた。

「最近、自動車工場かその近くで何か変わったことはありませんでしたか?」

「3日前だったかな・・・」

「3月16日ですか?」

「ええ。自販機でタバコを買いにいった時ですよ。男の人がね、工場の脇から出てきたんですよ」

「人数はひとり?」

 老人はうなずいた。

「服装とか、顔とか、背格好とかはどうです?」

「あの辺は外灯が少ないからね。よく見えなかった」

「何時ごろ、その男を見ました?」

「夜の11時ぐらいかな」

 真壁はその足で、京成立石駅の近くの星野のアパートまで出向いた。消耗する日だ。しかし、何かが《当たる》まで掘り続けなければならない。陽が傾いてきた頃、アパートの呼び鈴を押すと、小柄な女性がドアを開けた。星野の妻だろう。

「どちら様?」

 真壁が「旦那さんはいますか?」と言った傍から、星野が廊下の奥から出てきた。まだ6時にもなっていないのに、すでに晩酌を始めていたらしい。頬がほんのり赤い。

「3月16日の午後11時ごろ、どこで何をしてましたか?」

 すると、星野は青ざめた顔になり、「すいません・・・!」と三和土の上で土下座した。

「柏木祐也を殺したのか?」真壁は低い声で言った。

「それは違います」

 星野は涙まじりのひどい声で答えた。16日の深夜に柏木の工場に忍び込んだことは認めた。未払いの給料が欲しい一心だった。しかし、冷蔵庫を開けたが、金は全くなかったという。最後に消え入るような声で「女房には内緒にしてほしい」と言った。

 真壁はアリバイを調査するために、指紋を採取すると星野に告げると、意外に素直に応じた。無色の指紋スタンプ台に指を当て、真壁も手伝って1本ずつ、丁寧に指紋原紙となる感熱紙に押し当てる。指紋を採取されている間、星野はぶつぶつ言った。

「殺したとしたら、柏木です。『ル・ボア』のママだって、そう言うに決まってる」

 上野南署に戻ると、真壁は鑑識の長谷に星野と柏木達三の指紋原紙を渡した。照合した結果は、翌日の朝どころか、数時間後に分かった。

「工場の冷蔵庫を調べたところ、3種類の指紋が検出されました。そのうちの2種類は、柏木と星野のもので間違いないです」

 手渡された報告書には、不鮮明ながら親指と人差し指の指紋が写っていた。

「2種類の指紋は、すべてドアの取っ手に付着していました」

「3つ目の指紋の識別は可能ですか?」

「かなり厳しいです。なにしろ一部しか採取できなかったですから」

 真壁は礼を言うと、総合病院の近くに住む老人の顔が浮かんだ。その老人は柏木達三が死んだ翌夜、柏木の工場から出てくる不審な男を目撃している。それが、3つ目の指紋の持ち主なのだろうか。

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