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3月18日。
北風が強く吹き寄せる肌寒い日だった。真壁は少し体を震わせ、町屋から隅田川の方に向かって歩いた。ある解体工場を目指していた。
岡島医師によって柏木裕也の他殺が決定的になると、真壁は塗装工の松井と会い、柏木達三がギャンブル仲間からどのくらいの借金をしていたかを聞き出した。その結果、柏木は消費者金融からの借金を含めると、約900万近い負債を抱え、金を借りた人数の総勢は十数名に上った。
真壁は柏木に金を貸した人間に当たり、柏木達三が裕也の事故死後、急に羽振りが良くなり、借金を返して来たことや負債のほとんどを清算したことを突き止めた。そして、今日は柏木の工場で最後に働いていた元従業員、星野寿和を聴取する予定だった。
解体工場に入ると、プレス機が大きな騒音を立てていた。真壁は耳を手で抑え、近くにいた作業員に声を張り上げた。
「星野寿和っていう従業員は!?星野だ!」
男は鉄くずの山の向こうにある倉庫を指した。
真壁は倉庫の中に入った。青いジャンバーを着た男が、錆びついた廃車のボンネットに上体を屈めていた。エンジンを解体しているようだった。
「星野さんですか?」
男が振り向いた。中肉中背で、眼鏡を掛けていた。青いジャンバーの下は、灰色のつなぎを着ていた。
「そうですか、何か?」
先日、パレス南上野の七階で聞き込みを行った際、事故当日の午後2時ごろ、青いジャンパーを着た男が目撃されていた。中肉中背で、眼鏡を掛けていたという。近くの通りでも、午後2時半ごろ、同じ風采をした男を近所の主婦が目撃していた。
真壁は興奮を抑えて、手帳を見せた。
「上野南署の真壁という者です。柏木達三について聞きたいことが」
「柏木がどうしたっていうんですか?」
「柏木さんに、金を貸してたそうですね。どれくらいの金額を貸してたんですか?」
「だいぶ貸しましたよ。未払い分の給料を含めて・・・30万ぐらいでしょうかね」
「未払い?」
「この不況ですし・・・なにしろ、柏木は仕事してなかったんですから」
そう言いながら、星野は工具でエンジンをいじっていた。真壁の脳裏に、柏木の工場が浮かんだ。工具はどれも埃をかぶっていた。
「柏木さんの子どもは知ってますか?」
「事故で亡くなったと聞きましたけど」
「2月25日の午後2時ごろ、どこで何をしていました?」
「後楽園の馬券売り場に」
「証明できる人物は?」
「柏木と・・・松井っていう友人も一緒でした」
星野は続けた。
「たしか、午後の3時半を過ぎたころでした。柏木の携帯が鳴って・・・話し終えると、慌てて売り場を出て行ったんですよ。後で聞いたら、子どもが事故に遭ったって」
真壁は注意深く星野の表情を観察していたが、変わったところは見られなかった。
「柏木は子どもを殺したいって言ってたそうですが、聞いたことは?」
「それはしょっちゅうでしたよ。おれが工場を辞める時にも言われましたし」
「いつのことです?」
「2月の、20日だったかな。柏木と御徒町で飲んでたんですが、酔ってたとは思うんですけど、その席でも言ってました。もっともママには怒られましたけども」
「御徒町のどこ?」
「『ル・ボア』ってバーです」
真壁はそれを手帳に書き留めると、星野がぶつぶつと言った。
「柏木の子どもは事故じゃなかったんですか・・・」
「柏木は金をどうやって管理していました?」
保険会社に問い合わせたところ、柏木裕也に掛けられていた保険金は約8000万円。柏木が抱えていた負債を差し引いても、約7000万は残る計算だった。柏木の銀行口座は残金が数万程度しかなく、貸金庫を借りているような形跡もなかった。
「工場じゃないですか?」
星野の答えに、真壁は驚いた。
「冷蔵庫ですよ。柏木は工場の売り上げを冷蔵庫に入れて保管してたんですよ。『ここなら、泥棒にもバレないだろ』って、柏木が得意そうに言ってたのを覚えてます」
その日の夜、真壁は柏木の工場にいた。冷蔵庫は、柏木が倒れていた机のそばに立っていた。扉を開けると、ひんやりとした冷気の代わりに、ゴキブリが飛び出してきた。中をあらかた浚うと、ビールの空き缶やら腐ったコンビニの惣菜しか出てこなかった。
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