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 3月16日、午前11時13分。

 西浅草二丁目のパレス南上野という10階建てマンションが、柏木達三の住まいだった。

 柏木の部屋は、7階にあった。不動産会社の管理人がドアの鍵を開けると、玄関は靴が散乱していた。廊下は、コンビニのレジ袋で包んだゴミや洗っていないと思われる衣服で覆われ、足の踏み場が無かった。

 リビングに入ると、今度は異臭が鼻をついた。台所は汚れた食器やカップ麺の容器で埋まり、テーブルの上は弁当の残飯がそのまま放置されていた。

 ハンカチで鼻を覆いながら、真壁は2LDKの部屋をすべて調べた。寝室のタンスから、薬局から処方された紙袋が出てきた。中には3種類の錠剤と説明書が入っており、どれも狭心症の薬だった。

 タンスの上に眼を向けると、埃をかぶった写真立てが倒されていた。写真を見ると、柏木達三と野球のユニフォームを着た子どもが映っていた。

 真壁は写真を管理人に見せた。

「この子どもは?」

「たしか、裕也くんです。柏木達三さんの息子さんです」

「事故で亡くなったと聞いたんですが」

 管理人がうなづく。

「どういう事故だったんですか?」

「そこのベランダから足を滑らせて、黄色い花の花壇に墜ちたんです」

 真壁はベランダに出た。広さは約1畳。高さが1メートルほどの鉄柵があり、その前に20センチの踏み台が置かれていた。

「その台の上に乗っかって、足を滑らせたんですよ」管理人が言った。

 真壁は約20メートル下の地面をのぞいた。真下は白い花の花壇。黄色い花の花壇は左隣に広がっていた。脳裏に自動的に黄色信号が点滅し出すのを感じながら、ベランダから出ようとして、真壁の眼がある男を捉えた。

 マンションの前で管理人と別れると、真壁は急いで路地を回った。ベランダから見えた道路に出ると、男はまだいた。どこか落ち着かない様子だった。

「おい!そこのお前、ちょっと・・・」

 真壁が呼びかけた瞬間、男は駆け出した。

「あっ、コラ!待て!」

 真壁は急いで角を回ると、男の姿が数十メートル先の角を右に消えた。男を絶対に逃すまいと、懸命に追いすがった。

 男に異変が起こった。肩が大きく揺れ、足元がふらつき、ついに脚を止めた。そして、家のブロック塀に寄り掛かり、地面に崩れ落ちた。

 真壁はそばに駆け寄った。

 男は顔じゅうに玉のような汗を光らせ、ぜいぜいと喘いでいた。真壁は声を掛けようとしたが、荒い息が出るばかりで、喉が焼けるように痛かった。

「・・・か、金だよ。金が欲しかったんだ」

「金!?何のことだ!」

「は、話すから・・・手をどけてくれ!息が苦しい!」

 しばらく経って、男は松井保治と名乗り、塗装工で柏木の麻雀仲間だという。松井は地べたに座ったまま、話し始めた。

「俺は柏木に金を貸していたんだ。なんでも賭け麻雀やら、競馬やら・・・とにかくあいつは負け越していたんだ」

「柏木の借金はどのくらいだったんだ?」

「知らないよ。でも、聞いたところによると、800万くらいあったらしい」

「それで?」

「柏木が最近、金を持ってるって聞いた。何人か借したヤツは金を返してもらったって話を聞いて・・・でも、俺はまだ返してもらっていなかった」

「マンションの近くにいたのは?」

「俺はあいつに20万近く貸していたんだ。最近は生活が厳しくなって・・・どうしても返して欲しかった」

「もういい、帰っていいぞ」

 松井は立ち上がり、尻を叩いて埃を払った。真壁は脳裏にある事を思い出して、松井に振り向いた。

「柏木の子どもについて、何か知らないか?」

「・・・噂だけど、柏木が最近、金を持ってるのは子どもを殺したからだって」

 真壁は眼を見開いた。

「何だって?」

「昔、居酒屋で柏木が酔った調子に言ったんだ。『最近、ガキが消えた女房にそっくりでムシャクシャする。殺してやりてぇ』って・・・」

 真壁は厳しい表情を浮かべ、その場に立ち尽くした。

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