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 上野南署の前にタクシーが着いた頃には、15日の午前0時10分前になっていた。

 真壁が刑事部屋に入ると、奥のパーティションで仕切られた応接室から、平阪が手招きした。平阪と一緒に、刑事課長の嶋田栄作が待っていた。

「まずは、これを聞いて欲しい。通報電話の録音だ。昨日の午後8時にあった」

 3人が革張りのソファに腰を下ろすと、嶋田が机の上に置かれたICレコーダーの再生スイッチを押した。

《こちらは、上野南署です。ご用件をどうぞ》

《・・・》

《名前と住所をおっしゃって下さい》

《・・・今年の2月25日にあったマンションの墜落事故は事故じゃない》

 メモを読み上げているような硬い感じだが、声の質感は男だった。

《もう一度、ご用件をおっしゃってください》

《カシワギユウヤは殺された。聞こえたか?父親が殺した》

《切らないでください!》

 ここで、録音は終わっていた。

 平阪が説明を始めると、真壁はメモ帳を取り出した。内容を書き留めてはみたが、要約すると、通報の背景は何も分かっていないような雰囲気だった。

「通話は上野五丁目二六番の公衆電話から。御徒町派出所から警らを出して、不審者を捜索したが、当該人物は発見できず」

「カシワギユウヤについて心当たりは」

「中野のセンターにB号照会をかけたが、『両名とも家出人原票に該当者なし』という回答だった」

「だが、ウチの署の資料庫から、これが出てきた」

 嶋田はそう言って、1冊のファイルを真壁に差し出した。

 ファイルを開くと、西浅草二丁目のマンション、パレス南上野で発生した墜落事故の調書一式が収められていた。事故の発生は約2週間前の2月25日。亡くなったのは、現場の7階に住む、小学三年生。氏名は柏木裕也。

「カシワギユウヤというのは、この柏木祐也ですか?」

 嶋田と平阪がうなづく。

「しかし、これが殺人ですか・・・?」

 真壁は実況見分調書に眼を通した。

 7階のベランダの柵は高さが約1メートル。その手前に約20センチの踏み台が置かれていた。柏木裕也の身長は、約133センチ。裕也が踏み台の上に立った状態から、足を滑らせて約20メートル下の地面に墜落した。踏み台は前日の大雨で濡れており、踏み台の上に立った柏木祐也が足を滑らせて滑落したと推測されていた。

「犯人として名指しされた柏木祐也の父親の名前は、柏木達三だ」平阪が言った。「昨日の午後2時に、東上野の柏木自動車工場で倒れているところを発見された。君が処理した事案だそうだな」

「監察医の判断は?」嶋田が言った。

 真壁は訝しげに顔をしかめ、調書から顔を上げた。

「『狭心症による心臓発作で間違いない』と・・・」

「先月のマンションの事故死。今回の変死体発見」嶋田が続ける。「どちらの事件も、課長代理の韮崎が立ち会ってる」

 真壁は再び墜落事故の調書に眼を落とす。たしかに、実況見分調書の欄に、韮崎稔の名前が記されている。年齢は55歳。東上野で検視に立ち会っていたはずだが、その顔は輪郭すらおぼろげだった。

 まず現場に立った姿を見たことがない。部下が指示を仰いでも曖昧に答えてその場を濁し、課長の嶋田に指示を求める。眼の前にいる平阪でさえ、「ありゃあダメだな」と呆れる場面があったと聞いている。

「どう思う?」

 何か言葉を洩らそうにも、漏らす言葉が出てこない。そんな心境だった。

「韮崎さんには、来月に本庁への異動が出ると聞いてる。最後の花道にケチは付けたくはないというのが署長のお考えだ。タレ込みは考えたくもないが、署の内部という線も有りうる。2つの事件について、慎重に再調査してほしい」

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