No Chance in Hell

 悪の秘密結社の内部抗争の火蓋が切って落とされた。

 となれば、それに合わせてリングコスチュームも変えなければ、テコ入れにならない。これまで、鬼無里は衣装にはそれほど力を入れてこなかった。蛍光グリーンに『鬼』の文字が入ったトランクスはオーダーメイドしたものだが、それ以外のレガースやリングシューズは既製品で、両手に巻いているバンテージは消耗品だ。

 二十二歳の頃にデビューした頃は金がなかったから、というのが衣装替えをしなかった理由ではあるのだが、悪の秘密結社の一員になってからは立ち位置に変化がなかったので、コスチュームもそのままにしていた。だが、これからはそうもいかなくなる。

「……けどなぁ」

 手の込んだリングコスチュームを上から下まで作るとなると、十万円なんて簡単に吹っ飛ぶ。どうせながらガウンも新調したいけど、デザインはどうしよう。色はグリーンと黒がメインでいいだろうけど、差し色があった方が冴える。トランクスじゃなくてショートタイツにした方がいいだろうか、いっそのことロングタイツも一つぐらいは作ってしまおうか、となど考え出すときりがない。事務室から拝借してきたコピー用紙にデザインを描いてみたが、これだというものは思い付かなかった。

「今から業者に発注したところで、出来上がるのは最低でも一ヶ月後だぞ」

 思い悩む鬼無里の背に、“暴走機関車”出井吾一が声を掛けてきた。

「そこまで抗争が引っ張れたとしても、展開によっては使いようがなくなっちまうから、よーく考えてから発注するんだな」

 正規軍に所属しているベビーフェイスの一人である出井は、大柄でずんぐりした体形を生かしたファイトスタイルが売りだ。

「衣装に課金したらした分だけ、俺自身も強化されればいいんですけどねぇ」

「ソシャゲじゃねぇんだから。だが、心構えが変わるのは確かだな」

「出井さんはそのままですよね」

「そりゃあな。お前らの内輪揉めが飛び火してこない限りは」

「至るところに火の粉を飛ばすつもりですが」

「具体的には?」

「来週の王座戦でやらかしたいですね」

 鬼無里が口角を歪めると、出井は短く刈り込んだ髪を掻く。

「雷電さんと牛島の試合か……」

「何をするのかは言いませんけどね」

「程々にしておけよな」

 だが、半端なことをしては場が白けるだけだ。誰もがやりたくてもやれないことをやる、それがヒールの務めではないか。かといって、今までのやり方ではインパクトに欠ける。残忍の真似をしてもつまらない、ブラッドの真似は出来るはずもない、牛島は論外だ。自分にしか出来ないこと、鬼無里克己だからこそ出来ることは何なのだろう。道場に入ったところで、大上の背が目に留まった。

 今、思い付いた。



 いつものトレーニングの後、先輩を誘った。

 鬼無里から声を掛けると、ファルコはあっさりと応じてくれた。意外に思っていたようではあるが、断られはしなかった。だが、ファルコを相手に酒を飲むとかなりの深酒になるし、メキシコ時代の話がだらだらと長続きしてしまうので、喫茶店に行った。道場からはそれなりに離れている、純喫茶ハザマだった。

 店主がプロレス好きなので、壁には様々な団体のプロレスラーのポラロイド写真がべたべたと貼り出されていた。その中には鬼無里のものもあったが、リングの外なので気の抜け切った顔をしている。対する残忍はマスク姿でポーズを決めている。マスクマンとしての矜持を貫いているからだ。

「で、俺が相手ってぇことは、シノブちゃん絡みか?」

 マスクを脱いだファルコ、もとい、羽山準一はやまじゅんいちは興味深げに鬼無里を覗き込んできた。日本人にしては顔が濃い上に日焼けしていて、おまけに体の至るところにタトゥーが入っているので、遠目に見るとメキシコ人のようである。おまけに服の趣味もラテン系なので、原色だらけで目に痛い。

「お察しの通りです」

 鬼無里はクリームソーダを頼み、ファルコはアイスコーヒーを頼んでいた。

「お前、ほんっとにアレだなぁ」

 メロンソーダに浮かぶアイスクリームをつつく鬼無里を見、羽山は頬を引きつらせる。

「自分でもさすがにガキ臭いなーとは思いますけど、体質の都合でもあるんですよ。代謝が良すぎるらしくて、食っても食っても脂肪があんまり付かないんです。今のところは、ですけど」

「だから、甘いものを喰いまくれとトレーナーに言われたってぇのか?」

「それもありますけど、単純においしいからでもあります」

 ストローでメロンソーダを啜ってから、鬼無里は目を上げた。

「羽山さん、スパーの相手をしてもらえませんか」

「アギラじゃダメなのか」

「あの人のファイトスタイルって、先輩とは違うんですよ」

「あー、そりゃあ言えているな。あいつぁ長いこと柔道をやっていたから、そのクセがどうしても直せなかったみたいで、身のこなしがルチャのそれじゃねぇ時があるんだよなぁ」

「なので、羽山さんがいいかなぁと」

「なるほど、そりゃ道理だぁなぁ。抗争が始まったからには、あいつらとは敵同士だもんなぁ」

「羽山さんも俺達の抗争に一枚噛みますか?」

「いや、今回は遠慮しておく」

「アギラさんとの抗争で忙しいからですか」

「それもあるが、俺も超日から離れようかと思っていてよ。だから、そういうことをおっ始めると引っ込みづらくなるだろ?」

「え」

 鬼無里が面食らうと、羽山はアイスコーヒーを啜る。

「俺ぁよ、お前らとは違って生え抜きのレスラーじゃねぇ」

「メヒコの団体に入る前は、超日とは別物のインディーズ団体に所属していたんでしたっけ」

「おうよ。だが、その団体も俺が離脱してしばらくしたら、メジャー団体に取り込まれちまったんだがな。だから、名前も残っちゃいねぇよ。その頃の仲間も、散り散りになっちまってよぉ。他の団体との交流戦で会えたりすることもあるが、現役から退いて裏方に回っている奴ばっかりだ。まあ、生きてリングを下りられたのなら御の字ではあるんだけどよぉ」

「で、メヒコで十何年……」

「俺がデビューしたのは二十一の時で、メヒコに行ったのは二十五の時で、メヒコから戻ってきたのは三十六の時だから、十何年ってほど長くはねぇよ。十一年と少しだ」

「背中の古傷はその時のアレですか」

「……うん、まあ、うん」

 羽山はちょっと気まずげに、背中をさする。鬼無里はアイスクリームを少し食べてから、話を続ける。

「で、日本に戻ってきてからは超日に」

「超日に入団したのは三十八の時だ。二年弱はフリーでふらふらしていたんだが、武藏原さんに声を掛けられてな。で、超日に入るかどうか悩んでいた頃合いに、アギラとのカードが組まれたのよ」

「あ、それ、覚えています。秋の大会のノンタイトルマッチで、ダニー・ファイネンがまだ超日に所属していた頃で」

「そうよ、それよ。対戦相手を浮かせるほどのタックルが出せるからってんで社長が付けた二つ名が“念力使い”だった、あのダニーよ。ダニーもいい奴だったが、アメリカに戻ってから少ししたら首を痛めて引退しちまってよ……」

 背もたれに体重を預け、羽山は眩しげに目を細める。

「で、あの頃はよぉ、アギラはメヒコ帰りでギラッギラしていやがった。超日の連中は手練れだが、ルチャの受け身はイマイチだったもんだから、ルチャが通じる俺が相手をしてやると水を得た魚ってやつだった。びょんびょん跳ねるし、びゃんびゃん飛んでくるし、ばんばん場外にラ・ケブラーダやらトペ・スイシーダやらを出しまくる。で、俺もメヒコ時代に戻ったみたいで楽しかったもんだから、やっぱり飛ぶわけよ。飛んで飛んで跳ねて回って、旋回式のラナやフランケンシュタイナーを決め合う。相性がいいんだよ、俺とアギラはよ」

「だったら、どうしてヒールターンしたんですか」

 鬼無里が問うと、羽山の語り口が陰る。

「俺は四十三になる。若ぇ頃とは、体の勝手が違ってきたんだよ」

「そうは見えませんけど」

「そう見えねぇようにしているだけさ。リングに上がると、全神経がビリッとして目が冴えて頭もシャキッとするが、いざ下りると膝も腰も痛くて痛くて仕方ねぇ。あと、目がな」

「視力、落ちたんですか?」

「というか、動体視力が鈍ってきた。神経が衰えてきたんだな。どんなアスリートも、目がダメになると全部がダメになっちまう。それぐらい、鬼無里も知っているだろ?」

「ええ、まあ」

「武藏原さんは別格よ。左目がほとんど見えねぇのに、感覚と経験でカバーしていやがる。だが、俺はそこまでは出来ねぇ」

「だから、どちらかって言えば受け身のヒールに戻ったと」

「受け身ってぇわけじゃあねぇが……ベビーでやるべきことはやりきった、ってぇ思っちまったんだなぁ。アギラの若さと才能が埋もれるのが、こう、悔しくて惜しくてよ。でもって、あいつはあがり症で口下手だろ? だから、アピールが下手くそで見ちゃいられなかった。ラプターズを組んだのも、そういうアレがあったからでもある。けど、もうその必要もなくなっちまったからなぁ。それに、今はシノブちゃんがいる。シノブちゃんは、俺以上にアギラの技を受け切れる」

「タッグ王座、誰かに奪取される前に返上しちゃうんですか? 勝ち逃げなんてズルいじゃないですか」

「鬼無里にそう言われるとはなぁ。けど、もう決めたことよ」

 心底寂しげに呟いてから、羽山は伝票を手にした。

「鬼無里のスパーの相手、喜んで受けてやらぁな。んで、シノブちゃんに勝ってみせやがれ」

 ジャッキーちゃん、お会計、と羽山は伝票をレジに持っていった。すぐさま包帯で顔を覆ったウェイトレスが飛んできて、レジを打ち始めた。別に奢られるつもりはなかったんだけどなぁ、と内心で呟きながら、鬼無里はアイスクリームが溶けて混ざったメロンソーダを飲み干した。それから、常に持ち歩いているプロテインシェーカーに氷水を入れ、充分にシェイクしてから呷った。

 ラテンの狂鳥は、翼を休めようとしている。



 チャンスがあれば喰らい付け。

 だが、チャンスがなければ地獄に堕ちるしかない。プロレスは他のスポーツとは違い、結果を出せば人気が出るというものではない。もちろん、王座を獲得したり、リーグ戦で優勝したりすれば名が売れるのだが、だからといってファンが賛同してくれるかどうかは別だ。レスラー当人がどれほど頑張っても、団体からのプッシュが足りなければ売れる機会を失うこともある。

 悪の秘密結社の内部抗争で突出するには、独断で凶行に及ぶ必要がある。その計画も立ててあるのだが、それが成功するかどうかは解らない。ヒールだからこそ許されていることも多いが、レスラーだからこそ許されないこともある。だが、しかし、より過激な展開を望むファンも数多くいる。要するに、どう転ぶかはその場の空気次第、ということだ。

 成り上がりたい気持ちはある。残忍から煽られて悔しいと思ったし、悪の秘密結社の下っ端で終わりたくないという衝動はある。だから、行動に移さなければ。そんな決意を腹の底に宿していたが、鬼無里の行動パターンはいつもと変わりはしなかった。

 超日本プロレスの道場からは三駅先にあるアニメショップに立ち寄り、事前に予約していたブルーレイを受け取りに行った。予約特典のA2サイズのポスターが欲しかったからだ。特典もブルーレイも受け取ったが、それだけで帰るのはなんだか勿体ないので、店内をぶらついた。今期はやっぱり松一色だなぁ、いや六色か、と思いつつグッズの棚を見て回っていると、絵コンテ集や設定画集が並ぶ本棚に行き着いた。

「あ」

 魔法少女ミラクルかれんの画集があった。放映当時のキービジュアルから設定画、アニメ雑誌の誌上に掲載された一枚絵、各種グッズに使われたイラストの原画、アニメ制作以前に描かれたラフ絵などが収録されていて、かなり分厚い。Amazonで予約し損ねたやつだ、と鬼無里はすぐさま手を伸ばした。

「あ」

 すると、反対側からも手が伸びてきた。

「あ……」

 すみません、と手を引っ込めかけたところで、鬼無里は気付いた。髪を下ろしていて服装も違うが、間違いない。先日、鬼無里に例の封筒と中身を投げつけて、死んで下さい、と言い放った女性――――名取すみれだった。

 どちらも硬直していたが、名取すみれは後退り、逃げ出した。その場に取り残された鬼無里は、どうしたものかと少し悩んだが、魔法少女ミラクルかれんの画集は買い、帰路を辿った。

「ベタな少女漫画みたいなシチュエーションだった……」

 但し、背景はアニメショップで色気もクソもないのだが。スマートフォンに繋げたイヤホンを耳に付け、魔法少女ミラクルかれんの主題歌とエンディングと挿入歌とサウンドトラックをひたすら聞きながら、鬼無里は大上の壮行試合で使う凶器について考えていた。

 ヒールにとってはブーイングこそが声援だ。そのことを忘れていたわけではないが、一歩先に踏み出す気合が足りなかったのだ。だが、もう躊躇いはない。鬼の名を冠するからには、それに相応しい凶行を遂げなくては。

 ただの内輪揉めを、最高に面白くしてやる。

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超日本プロレス血風録 あるてみす @artemis2010

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