第22話 孔雀の羽根、虎の皮、獅子の衣

 我輩は本である。監修者は税理士である。


 来月の刊行リストを見ていた我輩の版元であるビー社の水虫に悩む営業部長は、我輩の項目を見て手を止め、タレメの営業課長を呼んだ。


「この監修誰?」

「ああ、税理士さんですね」

「有名?」

「特に有名ってことはないみたいですが」

「他に本は?」

「ないですよ」

「えー? ダメだろそんなの。ちょっと編集呼んでよ」

 タレメ課長はメンドクセーと思いながらも、これ以上の情報はないので編集部の中年スニーカーを呼んだ。


「なにか?」

「あのさ、この監修って大丈夫なの?」

「遺言書のセミナーを定期的にやってますし、知識と経験は豊富だそうですが」

「いや、そういうことじゃなくてさ」

 そんなの当たり前だろうと、水虫部長は前置きして、

「知らん人の本買うか?」

 タレメ課長と中年スニーカーはまたかよと思ったが特に反論はしなかった。この部長は看板主義なのだ。過去タレント本をいくつか成功させた経験が、人は知名度で本を買うと錯覚してしまっている。そういう看板を大事する一族の一人だった。この世代には特に多い。バブル期のタレント本ブームで育ったので、それが常識だと思っている。そしていくつかの輝く成功例が、無数にある失敗を暗がりにおいやり、見えなくしているのだった。


 看板で売れる本も確かにある。著者や監修者の知名度で売り上げが伸びることも皆無とは言わない。だが、知名度に関係なく売れない本の方が多い。そしてそこにがその看板代が無駄に浪費されている。ましてや我輩は短納期であり、日に日にデッドラインが迫っている状況で、新たに監修者を立てるリスクは計り知れなかった。そもそも我輩は刊行点数の帳尻合わせのピンチヒッターであるので、売れようが売れまいがそんなことは関係なく、監修など誰でもよかったのである。


 しかし水虫部長にしてみれば、全ての本は売れてくれないと困る。売れなくていい本など存在しないのだ。結果的に売れないものは仕方がないが、売れなくていいということとは違うのである。売れなければ売れないなりのリスクはあり、それはボディブローのようにじわじわを会社を蝕んでいくのだ。水虫部長はトータルで採算を合わせるいう考え方には否定的で、1点1点それぞれが黒字で終わってくれないと困るのである。全点が重版なしでも黒字、重版すれば確実に利益に結びつくべきであると考えていた。出版はギャンブルではないというのが水虫部長の矜持であった。そういう意味ではギャンブラー体質の社長とは水は合わないが、全員がギャンブラーな会社もいろいろヤバいので、水虫部長のような堅実な人材がいて、どうにかバランスを保っているのかもしれない。


 ただ、水虫部長は水虫部長でかなりのドリーマーであり、決してリアリストではなかったので、話がややこしくなる。全点黒字という理想は掲げても、その打開策がショボイ。結局著者・監修者を少しでも知名度のある人間を起用するというのが彼の絶対的な出版ドクトリンであった。


 この点においてはタレメ課長も中年スニーカーも否定的で、過去無数の事例において実用書分野では著者の知名度が売り上げに貢献した手応えはまったくなかった。比較対象がないので調査のしようがないのだが(同じ本を監修者を変えて出版するなどの実験が不可能なので)、監修者の知名度に返本数が左右されたという傾向は、あまり感じられなかった。著者がテレビで有名なタレントで、その人物ならではの内容が書かれているならば多少はそういう傾向にあると思うが(例えば我輩の代わりに出るはずだったAV女優のセックス指南書)、フラットな内容なのに看板だけで売り上げが倍増するなんてことは実際にはない。ないのだが、調査もしていないのですべては印象での手探りである。書店にしてみればそんなまるで根拠のない商品ばかりが毎日ドカドカと送り込まれてくるわけで、俯瞰してみれば迷惑な話ではあるが、そういう業界なので仕方がない。


「いまからテレビで見かけるような有名弁護士を立てろとは言わないが、すくなくとも監修を弁護士にしてくれ」

「ですが、類書でも税理士さんのものはありますよ」

「だったら差別化になるだろ」

 ああ、まあとタレメ課長は黙ってしまった。ここで言うことを聞かない場合、売れないときには必ず突っ込まれる。無名税理士だから売れなかったんだ、と。弁護士だったら売れていたはずだ、と。どっちにしても思うようには売れないのだが、理由があればそこに責任を転嫁するのが世の常である。アンフェアな要求にタレメ課長は屈した。そもそもその弁護士を捜すのは自分ではない。


「じゃあ、そういうことで早急に頼む」

「よろしく頼む」

「はあ」

 右から左へ爆弾を渡された中年スニーカーはさらに左に渡すためにケータイを取り出した。


「というわけで、監修をもう1人頼むね」

「え?」

 急用だと呼び出されて慌ててやってきたユニクロは目を丸くしていたが、その前に目が点になっていたので、丸いのかどうなのかはよくわからなかった。

「監修が二人だと変だから税理士先生を著者ってことにして、もう1人弁護士の監修をつけてくれ。人選は任せる」

「リスケってことでいいんですよね?」

「それがねえ」

 中年スニーカーは言葉を濁した。スケジュールの変更はないということか。この分だともう一つの懸念もあまり期待できない。

「予算は……?」

「追加はないねえ」

「あー」

 やっぱり、という言葉は飲み込んだ。ユニクロはここに来る前に何が起こったのか予測をしてきてはいたが、いくつか考えたうちの最もサイテーな状況だった。一応的中はしていたのだが、驚きは隠せない。


「かなりの無茶ぶりですよね」

「まあ、そうなんだけど」

「監修者名の修正やらは間に合ったとしても、監修からの修正は色校でやることになりますよね」

「まあ、そうだよね」

「弁護士さんが何も指摘してこなきゃいいですが」

「まあ、そういうことだよね」

 思考停止している中年スニーカーと時間を潰していても仕方がないので、ユニクロは早々に退散して、電話でボータイ社長に相談した。さしあたりピンクネクタイに相談したものの、知り合いで頼めそうな弁護士はいないということでそっちのルートは断念した。ボータイ社長の知人の弁護士もいるが、企業訴訟が専門なので遺言書になるとそれほど予備知識がないということで断られた。


「アキヤマくん、ちょっといいかな?」

「なんでしょう。今日は一応時間に余裕はあります。明日からはちょっと撮影が続くので忙しくなりますが、今日であれは対応できます」

 ボータイ社長はユニクロよりも少し年長の社員を呼んだ。編プロ歴は長くないが、いろんな業界を渡りあるいてきた変わり種である。普段の進行はのんびりめではあるが、緊急時の対応力があるのでボータイ社長は彼を買っていた。鉄火場仕事を丸く収めるのが上手いので、「不時着パイロット」の二つ名を持っていた。


「チノくんの遺言書の本知ってるよね」

「ああ、ちょっと見せてもらいましたが、予算と納期の割によくできてますよね。半年あればもっとよくなるのにもったいないですねアレ。高齢化社会で終活ブームとかこれからどんどん市場が伸びますから、いいところに目をつけましたよね。社長の企画ですか? あ、ちがうんですか。そうなんですか」

 この男、いちいち言葉数が多いのが玉に瑕である。本編にはあまり出番ないし以下面倒なので省略するが、とにかくしゃべる男である。


「遺言書の本に監修をつけることになったんだよね」

 よくしゃべるアキヤマは、おどろいてよくしゃべったが、話が進まないのでボータイ社長が遮った。

「その今の監修者を著者にして、別途新しい監修者を探すんだ。版元の意向としては弁護士がいいそうだ」

 弁護士ですか、それなら友人の友人にいるので話をしてみましょうかというようなことをアキヤマは長々と言った。

「チノくんはもう動きが取れないので、この件は任せるよ。よろしくね」

 アキヤマは調子のいい感じで引き受けた。ずっとしゃべっていると他のスタッフに迷惑なので、打ち合わせ室を電話応対室にして、この日は帰るまで電話をかけまくっていた。


 アキヤマの友人に弁護士の友人を紹介してもらって事情を説明したところ、同じ弁護士事務所のイソ弁に遺言書関係に強いのがいるということで連絡先を教えてもらった。電話をしてみると超老兵的ベテラン弁護士で少し耳が遠かった。アキヤマが2時間ほど説明した挙げ句、最近体調が優れないので、対応は難しいということになった。その代わり親戚の若手弁護士で遺言書に興味がある人がいるそうでそちらを紹介してもらった。アライチヒロという名前の新人女性弁護士は仙台にいてすぐには会えなかったが、本には興味があるということで目次と1章のゲラ(校正紙)をPDFで送った。すぐに目を通してくれて、話はわかったということだったが、納期とギャラを聞かれたので、アキヤマは1週間ほどで読んでもらって、2%の印税が報酬になると勝手に伝えた。手元で計算してだいたいの金額を伝えたが、そんなに安いのかとびっくりしていた。この辺が相場ですというと、大変ですねえと呆れていた。弁護士の報酬からしたらそもそもの相場が安過ぎるのだろう。アキヤマは断られると思っていたのだが、アライチヒロの方は恩師でもあるベテラン弁護士の紹介の時点で断る気はなかったそうで、結局引き受けてくれることになった。ただ、1週間では厳しいので、もう少し時間が欲しいということだった。ちなみに数年後このアライチヒロは上京して終活ブームに便乗して一躍脚光を浴び、テレビにもよく出るようになったのだが、我輩の監修をやったことについてはWikipediaにも乗っていない。黒歴史にされてしまったようだ。これについては我輩をきっかけに知り合いになったアライチヒロにピンクネクタイがやたらとしつこく言い寄って嫌われたというだけであるが、アライチヒロが上京して最初に事務所を置いたのはピンクネクタイの事務所に間借りをする形だったので、どっちもどっちではある。が、そんな後日談は我輩には関係ない。


 とにかく弁護士が決まったので、アキヤマはボータイ社長とユニクロに報告した。2%印税についてはボータイ社長はウググとなったが、それが条件ですとアキヤマに言われたので諦めた。スケジュールについては3日間もらえないかユニクロが掛け合うことでなんとかすることになった。我輩の件についてはまだ一度もリスケが起こってないので、調整は可能なレベルだろう。ただし、色校段階なので、印刷屋の判断次第ではある。どこかの土日をカウントできればどうにかなるのだが……。


 ユニクロからの報告を受けて、中年スニーカーはアライチヒロ弁護士のプロフィールを水虫部長に提出した。

「え、こんなに若くて大丈夫なの?」

「若くて弁護士なら優秀なんでしょう」

「経験とかさ、どうなの」

「どうですかね」

 そこにふらっとビー社社長が顔を出して、なになに、と寄って来た。水虫部長は社長に見えないように苦虫を噛み潰したような顔をしたが、社長とはウマの合う中年スニーカーは渡りに船という心持ちだった。


「ああ、なんだっけ遺書のやつ?」

「いえ、遺言書です」

「ああ、そうだっけ。これが著者さん?」

「いえ、監修の弁護士さんです」

「へえ、若いし美人だし、いいじゃないの。人気出るよ」

「経験はそんなになさそうなんですが」

「弁護士になってる時点でみんな弁護士だからいいんじゃない?」

 中年スニーカーはですよね〜と太鼓を持ち、水虫部長もこれ以上考えても仕方がないと諦めた。

「まあ、社長がおっしゃるなら」

 ということで、我輩の新監修者はアライチヒロになり、ピンクネクタイは著者になり、ミズシマ某は名実共にゴーストライターになった。アライチヒロの分の印税2%は、ミズシマ某が受け取る予定だった2%を付け替えることになったのだが、ミズシマ某にはまだギャランティが明示されていなかったので、水面下で丸く収まった。彼には制作費としての報酬が支払われたが、それはまた別の機会に詳しく説明しよう。


 アライヒチロが監修になったことで、他にもいくつか変更が発生している。他に機会がないのでここで説明しておくが、表紙カバーに刷り込むはずだった帯を、あとになって別立てにすることになったのだ。まず、営業の意向で帯にアライチヒロの写真を入れることになったのだが、その撮影タイミングが確保できず、別スケジュールで追いかけることになった。しかし、カバー全体がそのスケジュールだとまずいということで、急遽表紙カバーから帯要素を外し、帯をあとから合流させるということになったのである。これは表紙のニス加工と乾燥時間の兼ね合いからどうにも動かせないという問題が発生したことへの苦肉の策ではあるが、デザインの須藤レイコにとっては受難であった。帯を外すと下に何も用意していないので間延びしてしまっているのだ。時間もないので特に対策をすることもなく(ニシカエデのイラスト使用版が決定稿であったので描き足しも難しかった)、そのままで入稿した。後日子供たちと行った図書館で我輩を見かけたときには、あまりのダサさにレイコは気が遠くなりそうになった。帯がなかったからだ。我輩もパンツをはぎ取られたような気分でいたたまれなかったが、まあそれはまだまだ先の話である。


 我輩は本である。監修者は無名の美人弁護士に変更になった。ぶっちゃけ売れ行きに影響はなかった。


つづく

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