第17話 実用書のQA

 我輩は本である。そろそろ真面目に本づくりをしていかないと、あとが恐いのである。


 ということで、今回はQA(品質保証)の話をしようかと思う。ちなみにユニクロ氏は、初校戻しで燃え尽きて力付きて帰宅した。

 QAと言ってもQ&Aではない。Quality Assuranceである。簡単に言うとその本が工業製品として正しく機能するように作られているかどうか、である。


 創作的な内容で終始する文芸書は「この作品はフィクションである」を免罪符として、品質の保証に関しては「面白いかどうか」で決められる。面白さは個人差があるので、誰にでも面白いものである必要はない。人文書は、著者の思想を表現できていればいいので、その内容自体が正しいかどうかは担保されていなくてよい。著者の意見が理路整然と述べられていれば、その役目は果たせるのである。その他、本はそのジャンルによって求められる性能が異なり、保証すべき品質もそれぞれである。


 実用書に求められる品質は、当然「実用的」であるかどうかである。実際の用に足りなければ、無用の長物でしかない。実用にあたって正しく記述されていることは非常に重要なのである。実用書は本のジャンルの中でも特に幅広く、さまざまなものがあるので、一概には言えないが、我輩の場合は遺言書の本であるので、我輩を読んで書かれた遺言書が、実効性を持つということが第一である。我輩の言いなりに書いたところ、意味のない紙切れになってしまったのではまったくの役立たずである。すくなくとも、法的にあるいは慣習的に正当な手法で遺言書が書け、子孫に財産を残せなければならない。本の全編において、その点が担保されているかは、非常に重い課題である。


 今回はまず制作段階で3つのレイヤーにおいて実用性が担保されることになる。まずはライターのレイヤー。レイヤーといってもコスプレイヤーのことではない。層、というような使い方である。三層構造とでもいうべきか。ライターは想像では書かない。参考文献の内容を読み、理解して、噛み砕いて説明する。必要ならば複数の文献をまとめ、相互に補完しつつ新たな文脈を得るのである。ここに創造性は必要がない。ライターの期待や希望などの入り込む余地はないのである。ここで独自研究などが混ざり込むと、あとが大変だ。ミズシマ某は類書の内容に近すぎて若干イエロー気味ではあったが、根拠のないことは書かなかったので、ひとまず大きな問題を内包せずには済んでいた。


 2つめのレイヤーは、監修者のレイヤーだ。前にも言ってあるが、監修者は著者ではない。つまり自分で文章を書く立場ではないということだ。監修者は、ライターが書き上げた文章が正しいかどうか確認するのが主な仕事である。我輩の場合、ピンクネクタイはミズシマ某によって我輩に書かれた内容について、すべて正しく機能しえるかどうかをジャッジする立場だ。専門家が見て、正しいと言えるかどうかを判定していく。今回は一部で文言の解釈のズレによって少々修正が必要ではあったが、幸い致命傷となるような問題はなかった。監修者のチェックが妥当であれば、我輩は実用性のある実用書として担保されるわけである。


 3つめのレイヤーは編集者のレイヤーである。この場合は制作編集者、つまりユニクロである。彼は本としての性能を担保しなければならない。それは、正しく、読みやすく、美しいという性能である。正しいかどうかは、ミズシマ某の挙げた参考文献を確認しながら、理屈として正しいかどうかの確認をする。また、一般的にも同様に言われているかも確認しながら進めていく。読みやすさは文章のこなれや、レイアウトの見やすさなどで変わってくる。これを最後まで微調整していくもの制作編集者の仕事の1つである。そして美しいかどうかも実用性に大きく関わってくる。美しくない本は、実用的ではないのだ。そして、美しい実用書は、おしなべて実用性が高い。そういうものである。


 そして制作編集者にはもう一つ重要な課題がある、独自性の担保である。実用書は多くの参考文献を抱えている。それらの情報を整理し、まとめ、融合させ、さらなる新しい実用性を創造するのが実用書である。そしてそれは、盗作という危険と背中合わせでもある。もちろん引用ルールを逸脱しての剽窃はNGである。表現をちょこちょこ変えても語順が同一であれば盗作に該当することもある。そのまま拝借していいのは、法律や公的な文書だけである。すべて、一旦脳内に消化してから改めて吐き出さなければならないのだ。今回はイエローカード的な箇所がいくつか散見された。これらはあとでユニクロが丁寧に整理して、そもそも異なる表現に書き直した。結果的にこの作業でその文章のわかりやすさは向上し、美しさも増した。やはり、正しくてわかりやすいものは、美しいのである。


 このあと、校正と版元の方での校閲が入る予定である。校正では文章としての品質を保証する。誤字脱字、用字統一など本の基本的な性能の向上を試みる。校閲はそれに加えて、文章のロジックが正しいかどうかのジャッジを行なう。

 そして、我輩に関しては、第6のQAとして、リーガルチェックが入ることになった。これは版元の営業サイドと校閲の要望から出た話ではあるが、今回は監修者が税理士であるため、法的に正しいことを第三者の厳しい目で弁護士に確認させることが必要と判断されたからである。これに関しては別途予算が編成され、ピンクネクタイ氏が懇意にしている遺言書案件に強い弁護士氏が推薦されて、依頼することになった。ただし、この時間をこじ開けるために、制作の現場はさらなる混乱を来すことになる。が、それはまだ先の工程である。


 さて、ユニクロ氏がほとんど早退のような状況で帰宅し、バタンキューで寝床に潜り込んだ頃、デザイン事務所ストレイシープの迷える子羊夫妻は、赤い赤い校正氏を真っ白にすべく奮闘していた。彼らにとってのQAは、修正漏れのない世界を構築することである。修正を終えた赤字には蛍光イエローのマーカーでチェックを入れた。修正指定のない箇所はいじらないのも鉄則だ。ただひらすら赤い文字を追い、黒くする。あるいは白くする。全ての止血を終えたとき、ついに校正は生まれ変わる。より完璧に近い存在として。


 我輩は本である。再校正がそろそろ上がってくるようだ。


つづく

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