第16話 誰も寝てはならぬ

 我輩は本である。当面の危機は乗り越えたようだが、まだまだ苦難は続く。納期は迫る。


 終電を逃したユニクロはとりあえず肚を決めて今夜は泊まり込みをすることにした。こんなときのためにロッカーには着替えも洗顔キットもある。とにかく眠くなるまで作業を進めて、眠くなったら仮眠を取ることにした。そして目が覚めたら続きを進めて、どうにか明日の午前中には7章までストレイシープに送り込もうと思っていた。


 午前3時。起きているのか寝ているのかよくわからなくなったユニクロは、ここであきらめて眠ることにした。デスクの下に押し込んであったダンボール引き出して床に敷き、大語界を枕にした。横になって10秒でユニクロは眠りについた。


 編プロやデザイン事務所では職場への泊まり込みは平常運転である。下手に帰宅すると10時間から12時間は作業が滞る。そんなんでは終わる仕事も終わらない。しかし、かといって夜通し作業し続けられるほど簡単な業務内容ではない。高度にクリエイティブな作業を200ページ以上も継続しなければならないのだから、睡魔に憑依されたような状態では話にならないのである。なので、どこかで見切りをつけて、3時間ほど仮眠を取るのがよい。


 泊まり込み初級者は、まずはイスで眠ろうとする。しかし、IT企業と違って、出版業界で使われるイスはあまり程度のよいものではない。リクライニングしてぐっすり休むなどということは望めない。ギリギリまでお尻を前に出し、背もたれの摩擦で上半身を支え、隣人のイスに足を上げてとりあえず眠る。本当に眠いときはこんなんでも十分に眠ることができる。打ち合わせブースに長椅子なんかあるばあいは幸運と言っていい。実に快適な睡眠が得られるだろう。


 少しステージが上がると、床で体を伸ばして眠れるようになる。最初はイスから転がり落ちてそのまま寝ていることから始まるのだが、人間慣れてしまえば屋内の床など座敷と変わらない。イスで無理な姿勢で寝るよりもずっと楽であることに気づく。床で眠れるようになった者が最初に考えるのは、何か敷くことだ。布団が敷ければいいのだが、布団はあれでなかなか収納スペースが必要で、事務所に常備するのは難しい。その点、ダンボールは入手も簡単で、畳んでしまえば相当にコンパクトである。


 上級者になると、寝袋やコット(簡易ベッド)を持ち込むような者もでてくる。これならロッカーに潜ませることもできるし、休日にキャンプに使うこともできる。出版関係者に妙にアウトドア指向の者が多いのはこのためである。もし、あなたがデザイン事務所に行ったとき、事務所の片隅にキャンプ道具が置いてあった場合、それは彼らの趣味の道具ではなく、昨夜泊まり込んだときに使用したものである。そこに就職した場合には、いずれ使うことになることを覚悟しておこう。


 泊まり込みも何日も続くと、困ることがある。風呂問題である。1泊や2泊であれば我慢もできるが、3泊めともなると自分も辛いし、周囲もキツい状態になっていく。もう泊まり込み確定だとわかっていれば、少し早めに中断して銭湯にいくなんてことも可能ではあるのだが、終電ギリギリまで粘った挙げ句あきらめたような場合は、すでに銭湯は閉まっている時間になっている可能性が高い。だいたい23時から0時には閉店である。間に合わない。朝から開いているところが近所にあれば幸運ではあるがめったにないし、一般サラリーマンが出勤していくなかを逆行して風呂桶を抱えてフラフラ歩くのはあまり格好のいいものではないのでできれば避けたい。


 普通の銭湯よりも値は張るが、スーパー銭湯とよばれるものは朝まで営業していることが多いので、それを利用するのは手だ。水道橋や巣鴨にはサウナもある。サウナには仮眠室もあるので、十分に鋭気を養って早朝戻ってきてもいいだろう。小遣いに余裕があればマッサージを受けるのもいい。後楽園のラクーアは利用料が少し高くなるが、朝まで快適に過ごせるし、アカスリなんかもいい。年に1回ぐらいはリフレッシュに利用してもいいのではないだろうか。


 業界のツワモノの中には、この深夜のリフレッシュのために風俗店を利用する者もいるとかいないとか。水道橋界隈には若干だが風俗店などがあり、シャワーをあびたりマッサージを受けたりできることがある。この場合、延長しなければ制限時間があるので、寝坊することなく事務所に戻れて安心である。という話を聞いたことがある。実際どうかは知らないので、自己責任でお試しいただきたい。

 またレジェンドクラスになるとタクシーでパーッと出ていって、パーッと特殊な感じで入浴を済ませてついでにスッキリするという離れ業を行うものもいるが、この場合は日の出を待ってからの行動になる。大塚あたりまで行ってゴニョゴニョしたりという話を聞いたこともあるが、最近はいろいろ難しくなったとかいうことも聞き及んでいるが、あくまでうわさ話である。

 まあ、都会の夜はいろいろな妖怪が跳梁跋扈するので、いろいろなことが起こっているのである。


 ユニクロが目覚めるとすでに日は高く、8時を過ぎていた。慌てて寝床を片付け、顔を洗い、歯を磨き、コンビニに朝食を買いに行き、コーヒーを飲みながらネットをチェックし、作業を再開した。2日めの靴下と下着を替えたかったが、7章まで送り込んだら何か理由をつけて出かけて直帰にして帰宅する気だったので我慢した。


 我輩は本である。枕にするのはよせ。


つづく


 

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