第14話 どうしてこうなった

 我輩は本である。タイトルはなんとこの段階でもまだ仮である。そしてピンチである。


 さて、何から説明すればいいのか。いろいろなことが複雑に絡み合って、制作スタッフは全員が鉄火場に突入していた。簡単に言うと、考えられ得る限りのすべてのトラブルが全員の身に降り掛かったということであるが、そうなる可能性はあった。表面化しない可能性もあったが、そこはマーフィの法則が全力で展開して、すべてのトラブルが余すところなら噴出したのである。時系列、順番通りに説明しようと思ったがちょっと無理っぽいので、逆にたどっていこう。


 初校出しのタイミングが前倒しになった。理由は二つある。印刷所の都合で入稿が前倒しになったことのあおりを受けて全体のスケジュールが2日ずつ早まった。ところが途中で割り当てるはずの土日がうまく噛み合なくなったので、結果的に5日前倒しになってしまった。さらに監修者が予定外の仕事が舞い込んだ関係で、元々チェックに当てていた日程を外さなければならず、これで2日前倒しになった。これだけですっかり1週間前倒しということになる。これは厳しい。


 次に印刷が1色になった。すでに5章まで組んでしまったあとで出てきた話なので、ユニクロもボータイ社長も中年スニーカーにかなり抗議したが、営業判断と言われたらどうしようもない。これの修正作業でレイアウト作業が滞った。基本的なアイテムを元に複製する前に直せばよかったが、増やしてからの修正はただの無駄だ。さらにそういう修正を想定してのデータづくりもしていないので、ひたすら手作業で貼付けてあるアイテムを差し替えていった。レイアウトし直した方が早いのか、張り替えた方が早いのか微妙だったが、ページごとに異なるテキストを入り直すよりは、同じ作業を次々をやった方が安全だとデザイナーは判断したようだ。デザイン変更と張り替えで丸1日以上は無駄になった。デザイン事務所ストレイシープでは、夫がデザイン変更をし、妻が張り替えをするというチームワークを発揮し、どうにか乗り切った。このせいでマンションの理事会に出ることができず、あとでほかの理事らに散々嫌味を言われてしまった。


 1色への変更で一番負荷がかかったのはイラストレーターのニシカエデだった。2色のイラストということで引き受けた仕事がいきなり1色になったのだ。もともと暖色系で進めていたので、顔を薄いピンク色にしてあったのだ。これらをすべて修正することになり、結局初校段階では6章と7章の分のイラストがラフのまま残ってしまった。


 ただでさえそんな仕様変更があったのに、さらに悪いことにミズシマ某の原稿が想定より少なかった。項目数はあっているのだが、妙に文章量が少ない。仮に流し込んでみると、半ページは余白が残ってしまうのだった。ユニクロは級数上げによる文字数減を多く見積もり過ぎたのかと思ったようだが、実際はデザインで級数が上がっていなかったのと、余白が小さめになっていたからだ。ミズシマ某に差し戻す時間はないので、ユニクロの方でリライトをして文章量を水増しして対応した。ミズシマ某の原稿をミズマシ、なんつて。ゴホン。我輩は本である。


 仕様変更がこんなタイミングでどうして起こったかというとこれがまた小さな行き違いの積み重ねで、当初の企画書段階では2色としてあり、それで同意が取れていたはずだが、デザインサンプルがファックスで送られてきたのをチラッと見て我輩を1色の本だと思い込んだようだった。それで話を進めていたものだから、いろいろ都合がズレだした。さんざんモメはしたものの、短納期だし総予算も限られているので1色にするという決断がなされた。それで印刷工程は少し楽かもしれないが、その分制作チームにはしわ寄せがいってしまったというわけだ。実際これ自体は致命的な変更などではない。リカバーのしようのある変更である。1色が2色になったとしても、やってやれないことはないだろう。


 だが、そんな小さな積み重ねが積もり積もって、ユニクロは3日間会社に泊まり込んで地道な作業に取り組んでいた。午後3時に、最後の第7章の初校PDFがデザイン事務所から届いた。索引、目次、奥付はもう間に合わないので、その辺の付物は再校正からでいいということになった。7章まで全ページを4セット出力するのに午後4時までかかった。

 ユニクロはそれらを束ねてダブルクリップで止め、事務所を飛び出した。駅まで走って地下鉄に飛び乗った。版元の最寄り駅で降りてからも小走りで、どうにか4時半には、中年スニーカーの手元に校正紙を2セット届けた。中年スニーカーはざっくりと中身を見て、あとは来週またと言ってそれを受け取った。


 ユニクロはすぐに版元のビルを飛び出して、タクシーを拾い、東京駅へ向かった。タクシーを降りてから新幹線の改札まで走って、これから出張に行くというピンクネクタイへ届けた。ピンクネクタイはスーツではなくポロシャツ姿で、若干ラフだったが、おそらく出張先で着替えるのだろう。来週一杯で見て欲しいと頼んで、二人は別れた。ユニクロは知らないが、ピンクネクタイはこれからクライアントとゴルフ旅行に行くし、中年スニーカーは浮気相手と密会だし、ミズシマ某はリア充真っただ中だし、ニシカエデは親友のイラストレーターが宇都宮から上京してくるのでウキウキしていたし、ストレイシープ夫妻はひと仕事終えたのでたまには外食でもしようかと出かけたところだった。


 ユニクロはそのまま直帰という旨を事務所に伝え、東京駅から電車に乗り込んだ。近所のコンビニで缶ハイボール3本と唐揚げを買い込んで、誰もいない部屋に帰り、座卓の上に初校を広げた。ペラペラとめくったが、気分が乗らないので、畳んでカバンに仕舞い込んだ。ただまあ、このまま行けばなんとかなるような気はしていた。この時点でこんだけ出来てりゃなんとかなるだろう、と。


 我輩は本である。現時点でまだ落とし穴がいくつかあるが、人間たちはまだ気づいていない。本当の地獄はこれからなのだ。


つづく



 


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