第12話 舟を漕ぐ

 我輩は本である。名前はまだないが、中身は今ミズシマ某が書いている。いや、書こうとしている。書く気はあるのだろうが、今のところプレステでゲームをしている。もうすぐ中ボスを倒すところなので、切れのいいところで我輩の執筆に戻ってくれるだろう。


 デスクには本立てがあって、めったに使われない本がいくつか並んでいる。この男が独立してフリーライターを名乗りはじめたころに、ライターたるものとかなんとか言いながら買いそろえたものだ。ライターの作法だとか編集ハンドブックの類いが並んでいるが、一番分厚いのが大語界という辞書だ。今はネットでちゃっちゃと検索してしまうので、すっかり出番は減ったが、この辞書の威容は、ミズシマ某の心の支えのひとつになっているということは、我輩には否定できない。大語界を作り上げた人々の思いを引き継いで、必死に舟を漕ぐのがこのミズシマ某のような人々である。


 我輩の1ページあたりの文字数は、類書を参考にするようにユニクロから指示があった。1項目4ページで構成される。1ページめは見出しで3行トル。残り4ページのうち1ページは図版かイラストが1ページまたは半ページ分入る。1ページのイラストでもいいが、図版が2ヶ所あるいは図版半ページとイラスト半ページの組み合わせでもいい。4ページめは四分の三ぐらいまで埋まっていればあとは余白でも許される。読者が年配ということで少し級数を大きくするので1行は40字程度だ。1ページは15行に設定された。ただ、これは増えるか減るかわからない。なので、あまりギチギチにテキストを盛りすぎないようにした方がいい。


 前後の大扉や目次などを用意するのはミズシマ某の仕事ではないので、彼はひたすら本文を書き進めればよかった。Q&Aや少し体裁の異なるページの分を引いて計算すると、1章〜5章のメイン部分はトータルで8項目になるようにすればいい。

 みっちり詰め込んで1ページあたり600文字。セリフは少ないので7割ぐらいで計算すると420文字。これが2ページ+半ページ+半ページ計算だから、1項目あたり1260字となる。1章8項目なので、10080字。5章あるから50400字となる。序章は1項目あたり6ページにした。セリフも少しあるだろう。イラストは1点入る。各2000字。2ネタなので4000字目安。6章の事例集が6000字ぐらいなので合計10000字。これで6万字となる。Q&Aはわりと隙間が多いのだが、ページ数の微調整があるので、あまり細かいところまで気にしない方がいいだろう。そもそもQは書くがAはユニクロの方で書いてしまうと思う。


 そうすると全部で7万字か8万字ということなので、書くだけなら正味3日間でもどうにかなる。しかし、実用書に関しては参考文献を吟味する必要があるし、他の仕事が割り込んでいる場合もあるので、スケジュールは少し多めに取ってある。

 デザインとレイアウトを先行させる必要があるので、まずは3つのパターンが作れるように、序章を1件と1章の2項目、QA1件までの先行原稿をミズシマ某は要求されていた。やれば数時間で済む文量ではある。基本的なところなので資料も多い。ユニクロが提示した期限は明日である。明日の何時という約束はしていない。


 どうにかこうにか中ボスを倒したところで、LINEにメッセージが入った。学生時代からつきあいのある先輩女子だ。少し毛色は違うがほぼ同業者である。そういえば先日離婚したとか噂で聞いた。LINEを開くと案の定「飲みに行こうぜ」の絶対生先輩指令だった。少し悩むが、明日提出の分は書けばすぐに終わる簡単な内容の、多くない文章量である。1軒だけつきあって2次会は他の面子に任せれば、さっさと帰ってこれるし、明日は1日開けてあるののだから余裕で書き上がる。問題ない。「行きます」と返信して、待ち合わせのゴールデン街へ向かった。


 帰って来たのは朝の9時だった。待ち合わせ場所に行ったところ、現れたのがミズシマ某だけで、サシ飲みになってしまったのだ。大人の男女なのでそれなりにそれなりのことがあり、それなりに時間がかかってそれなりの時間になった。当然、寝ていない。酒もまだ若干残っている。一旦眠るか、1パートだけでも済ますかちょっと悩む。まだテンションは高いので、書こうと思えば書けそうだ。ミズシマ某は久しぶりに女を抱いたので全面的にテンションが上がっていた。その勢いで序章のエピソードを書き上げてしまおう。


 エピソードの内容は、孫に遺産を相続させるために遺言書を書いた老婆の話だ。金額は3000万円だとある。20歳かそこらでいきなりそんな遺産がもらえたら絶対孫は仕事しねえ、為にならねえと思いながら筆を進めた。ふと、日付を見て気がついた。ケータイの料金の支払いを忘れていた。見栄を張ってホテル代を出したので、財布はスッカラカンだが、確か今日は額は小さいながらも入金があるはずだ。


 裸足にクロックスでワンルームを飛び出し、コンビニへダッシュしてATMで残高を確かめた。674円。アウトだ! いや、まだ時間が早いのか。先月のメールを確認すると確かに今日が振込日になっている。忘れているのか、どうなのか。確認するのかどうするのか。約束の日は今日だから、今日の15時までなら問題ないし、15時過ぎても今日のうちに支払った場合は、今日のうちには払ったと強弁されてしまえば返す言葉はない。しかし今日のうちにケータイの支払いを済ませないと、それはそれでしちめんどくさいことになる。たかだが数千円なのだが、フリーランスであれば、無いときは無い。


 とりあえず自宅に戻り、口座を監視しながら15時を待とう。14時ぐらいに一度連絡するぐらいは許されるだろうか。もし忘れていたとかであれば、その時点であれば間に合うかもしれない。数千円のことで頭を悩ませてるというのに、エピソードの孫はタナボタで3000万円ゲットしてやがる。腹が立って続きが書けなくなった。


 しょうがないので、他のパートを先に書くことにした。しかしどこを見ても金の話ばかりだ。くっそどいつもこいつも。金金金かよ。遺言てのは金の話しかねえのか。俺も誰か遺言書遺してくれねえかなと思って、それはあまりに不謹慎だと気づき、頭の中で削除した。金のことが気になって一向に筆が進まなくなった。日が高くなるにつれて室温も上昇して来た。眠気が襲う。ミズシマ某はうとうとしてこっくりこっくりと体が揺れた。少し横になるか。


 気がついたら15時過ぎるところだった。慌てて口座を見ると674円のままだった。まずい。あわてて依頼主に電話をすると、今日は経理が急な休みで金を動かせていなかったらしい。お詫びをされたが、それはまずい。明日の入金を約束してもらって、ケータイはギリギリまで棚上げすることにした。経験上、1日2日でいきなり止まることはない。明日すぐに支払いを済ませばそれで済むのだ。大丈夫。ミズシマ某は自分に言い聞かせて、続きの執筆に着手した。


 項目1つは書き終えたが、2つ目がまたなかなか進まなかった。気分転換にゲームの続きを始める。中ボスを倒したばかりだったのでストーリーがどんどん進む。なかなか切れ目がないので中断できない。時計を見ると18時を過ぎるところだった。いい加減決着して原稿を送らねばまずい。ようやく途中で止められるところまで進んだのでゲームは辞めて、原稿の仕上げに入ることにした。


 1章の2項目はどうにか書けた。イラストのラフも用意した。図版も。序章の話はちょっと締めがぬるい気はしたが、一応の完結は見えたのでそろそろ送ろうかと、ユニクロからのメールを開いた。そこで気づいた。QAのQがまだだ。おっとしまった。急いで書こうと思うが、Qってなんだろう。何を質問するんだ? 類書、と思ったがまだ届いていなかった。もらっている参考資料にはQAのコーナーは含まれていない。そして、まったく何も浮かんでこない。


 ユニクロの会社に電話をしてみたら、今日は立ち寄りで直帰とのことだった。であれば、メールチェックは明日の朝。今慌てることはない。寝る前に送れば怒られることはない。ゆっくり考えよう。ミズシマ某がけしからん決断をしたとき、LINEにまた呼び出しがあった。元先輩の今はただならぬ仲の女からだった。飲もうぜというので、金無いっす、原稿締め切りっすと返すと、じゃあ差し入れ持って行くというので住所を教えた。女が来るので部屋を片付けて掃除機をかけた。呼び鈴がなる頃にようやく片付いた。


 目が覚めたら朝の6時だった。原稿はできていない。まずい。まずいぞ。とブツブツ言いながらデスクに向かうと、女もゴソゴソと起きだしてパンツを吐きながら「原稿?」と聞いて来たので、そう、遺言書のQ&AのQが思いつかんと言うと、ネットで検索すれば? と言われた。ミズシマ某は30分後に無事一次原稿を送ることができた。その女はそれきりこの家に居着くことになるが、それは我輩には関係がない。


 我輩は本である。縁結びの機能はない。


つづく

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