第11話 取材のセオリー

 我輩は本である。短納期ながら奇跡的に好スタートを切れた。この時点では関係者全員がなんとかなりそうだと思っていた。だがしかしそれは楽観論に基づく希望的観測にすぎない。この時点でいくつかの不確定要素は存在しているし、工程上未確定のことが相当多い。そして、内包する課題のすべてはいずれ確実に表面化する。この草原に埋まっている地雷は全部時限式なのだ。


 ユニクロとライターのミズシマ某は税理士事務所のビルの下で待ち合わせた。以前は最寄り駅の改札で待ち合わせたものだが、スマホの普及で簡単に目的地がわかるので、お互い直接目的地に向かった方が手っ取り早いのでこのようなことが増えている。改札での待ち合わせの落とし穴は、改札を間違えるということ。改札が一つだったり、北口と南口ぐらいならまだ大丈夫だが、四方八方にあったり地下鉄のように地上出口が多いと待ち合わせ場所を間違えるリスクが肥大化する。極まれではあるが、遅刻をごまかすために待ち合わせ場所を間違えたとうそぶく輩もいるというから、人間とはいうものが業の深い生き物である。


 今回は滞りなく定刻前に待ち合わせができた。面識があったのも幸いした。ただこの時点での遅れは、発刊スケジュールには影響しない。せいぜい監修者への印象がどうなるかという程度のことだ。今のところ良好な関係を築けているようなので大丈夫だろうユニクロは思っていた。


「資料読めました?」ユニクロが切り出した。昨夜のうちに類書の要所をスキャンしてPDFでミズシマに送っていたのだ。併せて台割案も送ってあった。ミズシマはそれをiPadで読みながらここまで来ていたのだ。

「ああ、来る途中ですけどだいたい目は通せました。遺言書って自殺のときに書くあれだと思ってましたよ」

「あ、それわたしもです」

 ということはミズシマ某はこの仕事を引き受けたときは「遺書の書き方」だと思っていたことになるが、ユニクロはそれには気づかなかった。ちなみに今回の仕事を断った者は全員正しく遺言書の書き方だとわかっていたが、引き受けた者は全員「遺書の書き方」だと思っていた。この時点で我輩はイヤな予感しかしないが、まあ表面化するのはまだ先の話である。


「じゃあそろそろ行きますか」

「ですね」

 ユニクロがビルへの侵入を開始した。ミズシマは某がそれに続く。


 ノックをして中に入ったとき、ピンクネクタイ税理士はちょっと不機嫌だった。一昨日の温厚な雰囲気とは明らかに違う。午前中のテンションはこんなものなのだろうか。それとも何か失礼でもあっただろうか。ユニクロは少し緊張した。ピンクネクタイが何やら紙の束をもって応接テーブルにやってきた。


「こちらライターのミズシマさんです」

「よろしくお願いします」

 ピンクネクタイも自己紹介をして、少し和やかな雰囲気になった。


「というわけで、先生には正式にご依頼をするということで、版元の同意も得られました。よろしくお願いします。正式な書面はまた後日お届けします」

「ああ、はい、わかりました」

 正式な書面は、監修に関する印税やその他契約内容を書いたものであるが、ミズシマ某が同席しているのでここでは出さない。なんの書面かも言葉を濁した。ピンクネクタイもなんの書面かよくわかっていなかったが、そこは相手に合わせた。ミズシマ某はなんの書面かピンときていたが、いつものことなので気にしていなかった。おそらく2%ぐらいの提示があるだろうと思っていたし、それはご明察である。


 さてじゃあそろそろ本題というところでピンクネクタイが切り出した。

「それで、申し訳ないのですが、急な仕事が入ってしまって、1時間ぐらいしか時間取れないんですよ。いいですか?」

 ユニクロは、うっと言葉に詰まった。さすがに1時間では厳しいかもしれない。ミズシマ某次第ではあるが、とミズシマ某を見ると、なんとかしますという顔をしていた。なんだか今日は頼もしいなミズシマ君。

「わかりました。では巻いていきましょう」

 巻く、とは押しているときに、段取りを手短にしていこうという業界用語であるが、あちこちの業界で使われているので、何業界の用語かは知らない。押す、とは進行が遅れているという意味の業界用語である。巻くの対義語は知らない。使ったことが無い。


「このような構成でいこうかと思っていまして」

と、ユニクロは構成案の台割表を取り出した。ほうほう、とピンクネクタイは手に取って目を通した。うんうんとうなずきながら項目を確認していく。

「なるほど、基本はこれでいいと思います」

「ありがとうございます。それで、今日は時間があまりないということでとくに事例紹介のあたりをお聞きできればと思うのですが、よろしいですか?」

 基礎知識と実践のあたりは、参考文献からまとめればどうにかなる。事例紹介は流用をするとモロパクリになるので、そこだけはピンクネクタイの持ってるネタを引き出す必要があった。序章に2件、後半で5件ほどあればどうにか体裁は整うだろう。本当は十数件挙げてもらってから選びたいところだが、無駄なことをしている時間がないし、ページ構成がはっきりしている以上余計なことはしないのが吉だ。


「すみません、ちょっと録音させていただきますね」

「ああ、どうぞどうぞ」

 ミズシマ某はICレコーダーを取り出してテーブルの中央に置いた。若いながらも場数を踏んでいるので言い方が上手い。ここで「録音してもいいですか?」などと聞くのは愚作だ。相手に余計な判断を委ねてはいけない。「はい」か「YES」のどちらかの回答を求めるのがいい。かといって何も断らずいきなりバッグから機械が飛び出してガシャガシャとやるのは無駄に警戒心を与えてしまうのでよろしくない。1つエクスキューズを入れてからそっと出すのがよいのである。あと、取材が始まるギリギリ直前というタイミングもよかった。やたらと早い段階で取り出して録音を始めてしまうと、口が鈍くなる。録音されていると思うと妙に緊張して、面白裏トークみたいなものが出にくくなる。録音前に準備運動をして滑らかにしておくと、録音が始まってからも「これはオフレコだけど」なんて注釈を入れながら結構きわどい話を引き出せたりすることもある。全然録音止めないけどね。本当にヤバい話のときは本当に止めることもまれにあるが、それは本当にヤバい話のときだ。ちなみに、どうせ先方に聞かせるわけじゃないからと取材のときに隠し録りしていると、あとで聞かせる必要がでたときものすごくめんどくさい感じになるので、録音はオープンでやった方がいい。


「事例と言えば、わたしのセミナーのときによく言う話がありましてね」

 とピンクネクタイが切り出して、非常にわかりやすい遺言書の有無による失敗例と成功例が示された。セミナーで繰り返してこなれているせいか、非常に洗練されていたので、これはそのまま序章に入れられそうだ。その後は、遺言書がある前提の失敗例がいくつかと、成功例がバランスよく引き出せた。そしてやはりあったのは、


「遺書と間違えてトラブルってのがあったねえ」

「あ、やはり?

「あるある。あるよー。セミナーの最初もそれで5分ぐらい使うね」

「そんなに?」

「まあつかみっていうか最初に笑い取るとやりやすいんで。だいたいセミナーに集まってきてるお年寄りはみんな機嫌が悪いんですよ。聞いてみたらなんか死ねって言われてる気分になるんだとかね。ちなみにあなたならどんな内容を書くのかって聞いたら、そのまんま遺書みたいなことを言い出すわけ。それでね、ホワイトボードに遺書とと遺言書を並べて書くと、みんなあれ?って顔をするんですよ。だいたいの人は勘違いして来ちゃってるみたい。人に勧められて来てるんだと思うんですが、中には辞世の句を用意している人なんかもいてね」

 めちゃめちゃ面白い話ではあるが、どこに入れたらいいのやら。まえがきには長いかなぁ。長いまえがきでページを消費しとけばあとで楽かな、などとユニクロは思いながら相づちを打っていた。


「不機嫌なのは遺書を書かされると思ってやってきてるからなんだってわかったので、次にこう聞くんですね。家をお持ちの方! はい、何人何人。貯金のある方! はいはい、何人。だいたいの方はどっちもありますね。そういう方だから薦められたんでしょうけど。そこで言うんです。誰にあげたいですか?」

 ピンクネクタイの口がどんどん滑らかになっていく。ミズシマ某は必死にメモを取っている。録音しているんだからメモはほどほどでいいと思うのだが、ものすごい勢いで殴り書きを繰り返している。それは後で読めるのだろうか。

「するとみなさん、ちょっと考える顔をします。やはり、あげたい人、あげたくない人それぞれにいらっしゃるわけです。そこでこう言ってやります。あなたが今ここで死んだら、その人には家もお金もあげられないかもしれません、てね、するとだいたいの人は目の色が変わります。遺言書の意味がわかるんですね」

 ピンクネクタイがお茶をすすったので、ユニクロも口をつけた。ミズシマ某もあとに続く。テーブルの空間はセミナー会場と化していた。取材としては成功だろう。時間はあと5分程度だが、ユニクロは話を切らないで続けさせる。


「1人を指して、誰に財産をあげたいか聞きます。たいていは孫と言いますね。息子や娘がいれば孫まではいきません。でも、嫁とか婿とかにはやりたくはないんですね。仲が悪くなくても心情的に抵抗がある人は多い。当たり前ですが。孫にあげたい人と言うとだいたい手が挙がります。そこでこう言う。今死んだら孫の手には渡りません。遺言書に書きましょう、ってね。それで本題に入っていくんです。もっとも全額孫にやると書いたところで遺留分だのなんだので全部が思い通りになるわけじゃないのですけれどね」

 いろいろ中途半端であるが、この物語はあくまで我輩が本になって、本でなくなるまでのハートフルストーリーであって、遺言書のノウハウを語り尽くすものではないので、以降の遺言書に関する具体的な記述は最小限に留めたい。これらはあくまで小道具であり、物語の本質とは関係がない。


 ピンクネクタイが時計を見るとすっかり予定の時刻を過ぎてしまっていたので、他の話はまたメールが電話でやりとりしましょうということで、取材は終了。散会となった。ビルを出てからミズシマ某は、とりあえず書けそうだと言い、Q&Aに関しては質問を作ってから、後日電話か再取材でアンサーを聞くことになった。昼食にはまだ早い時間だったが、ミズシマ某は行くところがあるからといってそこで取材班も解散になった。


 我輩は本である。類書頼りの本ではあるが、事例に関しては生々しいものが盛り込めそうで楽しみである。ちなみにピンクネクタイが当初不機嫌に見えたのは、訪問の直前に細君から電話でゴミの捨て忘れをなじられて逆ギレして電話口に怒鳴り散らしていたばかりだったからだ。本や取材にはまったく関係がない。人間、だいたいはそんなものだ。


つづく






 

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