第10話 編集者の見た夢

 我輩は本である。そうこうしているうちにいつの間にか内容も体裁も整って印刷され製本され納入されて配本されて販売されていたようである。ユニクロがそろそろ発売かなと思いいつもの書店に行くと驚いた。なんと出たばかりの我輩が平積みになっているではないか。ジャンプマガジンモーニングを差し置いて店頭の両脇を占領し、店の中央には2つのタワー積みに、その間を抜けると戦艦大和ばりの巨大軍艦積みが鎮座ましまして主砲をこちらに向けて今にも祝砲をぶっ放さんかとしていた。


 側面にびっちりと配された面陳から1冊手に取る。タイトルがよく見えないが遺言書とははっきりと書かれている。監修者の名前は文字が小振りで、代わりにライターの名前がデカデカと書かれている。こりゃまずいんじゃないかと思って帯を見たらユニクロの名前がババーンと白ヌキで編集・構成茅野マサ弥などと書かれていて、さらに慌てた。ええ、これはまずいんじゃないかと思って他の本を見るとそれぞれに帯の文言が変えてある。うわ、そこまでするかと思って見て行くと中年スニーカーの名前はイラストレーターの名前、ボータイ社長、デザイナ―、版元の社長、印刷屋に製本所、取次の担当者、運送会社のドライバー、書店のレジ担当、さらに不吉なことに断裁する廃品回収業者の名前まで書いてある。なんじゃこりゃと思っていると店内はいつの間にか暗くなっていて、遠くでガシャンガシャンと音がする。耳元で「危ないっすよ」と声がして慌てて飛び退くと、繋ぎの作業服の若者が手際よく軍艦ごとぐるぐるラップで包んでいく。そしてパレットごとハンドリフトでキュッキュッっと挙げてスルスルと運びはじめた。待ってくれとユニクロが叫んだ。それをどうするんだ。作業服は無表情のまま「回収して断裁するっすよ」と言って問答無用で運んでいく。ユニクロがなんでだよと叫ぶと「だってこんなんじゃ売り物にならないでしょ」と言って1冊山から抜いて投げてよこした。慌てて中を開いてみると本文がすべて総ルビになっていた。総ルビというか英文が添えられている。よく見ると英文というよりはローマ字である。たとえば遺言書の脇にはYui Gon Shoなどと書かれている。だが、これだけで回収なんてひどい。仕様じゃないかと思ったら大阪弁の老人がやってきて、あんなそれなそのルビな関西弁になっとんねん。というて笑って逃げていきはった。アヒャヒャヒャという甲高い笑いにクラクラしてユニクロが後ずさりすると背後に積んであったツインタワーにぶつかった。慌てて振り返るといつの間にか天空高く積み上げられたタワーがぐらぐらとして上からバサバサと返本の山が落ちてきた。そしてドドドドと崩れてユニクロはすっかり本の下敷きになってしまったのだった。


 ユニクロが目覚めて、今どこに寝ているかを思い出すのに少し時間がかかった。とりあえずここは返本倉庫ではないし、編プロの事務所でもなかった。独り身には大き過ぎるベッドは広くもないワンルームの床面積の多くを占領していたが、とりあえず返本に埋もれていることはなかった。夢か、とユニクロは思ったが、今見たばかりの奇妙な夢が夢でよかったと思うよりも、ああ、まだ何もできてないという現実へのがっかり感の方が上回っていた。せめてタイトルぐらいちゃんと見ておけばなあと夢の光景を思い返してみたが、あんなに鮮明だったのに、ほとんど何も思い出せなかった。


 ユニクロは朝9時頃に家を出る。編集プロダクションはどこもフレックスタイムな上に、ここの事務所は朝の時間にルーズなので、とくに定められた出社時間はない。もとい、一応10時には出社するようには定められているが、そんな時間に出向いても電話番をさせられるだけだ。だいたいは10時半ぐらいに三々五々出社するか、行き先を書かずに立ち寄りとだけして、書店に寄り道してから来る社員も多い。一応市場調査という大義名分はあるし、そもそも編プロは午前中は機能していない(註:あくまでこの事務所の実情です! きちんとした事務所も中にはあります。たぶん)。ボータイ社長自身が昼近くにのこのことやってくる超重役出勤だから風紀は乱れるばかりである。えーと、我輩は本であるのだからそこんとこよろしく。


 キオスクで今朝出た青年誌を2誌買う。電車にはこれから1時間ほど乗るので1冊では足りないのだ。ユニクロが乗る駅はターミナル駅よりも1つ郊外にある駅であるので、ホームで1本待って先頭に並べば高い確率で座ることができる。今日も運よく座ることができる。それでお待ちかねの漫画タイムのはじまりはじまりである。

 だいたいいつも2冊めの途中で乗換駅に着く。乗り換えの途中で1冊めは捨てる。次の電車は数駅しか乗らないので2冊めは読み切れない。続きはランチで。事務所に着いたのが10時15分。だいたいいつもの時間である。すでに若手社員は出社していてせっせと電話番に励んでいた。が、電話番はどの電話にも「立ち寄りで」を繰り返すだけで、電話をかけてきて目的が果たせた人はいなかった。そもそもこんな時間にかけてきて、相手がいると思ってる方がおかしい。実際このような時間にかけてくるのは版元やデザイン事務所ではない。取材先の一般企業か、各種許可申請を届け出ている公的機関などである。みなさんも知っておいていて欲しい。午前11時より前に編集プロダクションに電話をしても誰も得しないということを(註:あくまでそういうところもあるかもしれないというだけです。この物語はたまにフィクションです)。


 編プロの午前中はメールチェックと問い合わせの応対でだいたい終わる。昼頃ボータイ社長が現れたので、ユニクロは進捗の報告をした。監修者とイラストレーターの件は、許諾を得られた。あとは版元が納得すればこの企画はローリングスタートが切れる。ユニクロにしては上々の立ち上がりである。今回は短納期であるというプレッシャーがあるので、何もかも前倒しでやってきているが、通常であればページ構成案を考え始めるまでに一週間は費やす。ある程度資料の読み込みや思案が必要だからだ。監修者だってそうそう簡単にはみつからない。このケースは執筆上の都合でトントン拍子な感じでやっているが、実際はもうちょっと泥臭い。せっかく見つけた監修者が版元の好き嫌いでNGになることもあるし、イラストのテイストがしっくりこないなどの理由で候補のイラストレーターを交代させることもある。候補になってる次点で一応オファーはしているので、あまり気軽に却下して欲しくはないのだがそれが言えた立場でもなかった。


 13時になったのでユニクロは中年スニーカーに電話をした。監修者の肩書きを伝えると難色を示したが、その場で検索をしたらしく例のセミナーのページを見たのか、とりあえず営業に聞くからと言われたのでユニクロはそのまま電話口で待機した。レットイットビーが5順ぐらい流れてようやく中年スニーカーが戻ってきた。

「大丈夫ってことなので進めてください」「ありがとうございます」、ということで、これで我輩の制作体制はすべて確定した。めでたい。


 我輩は本である。タワー積みや軍艦積みはありえないにしても、発売日ぐらいは平積みになりたいものである。


つづく



 

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