第5話 監修者は著者ではないの

 我輩は本である。遺言書の本である。名前はまだしばらく決まらないだろう。


 我輩の担当編集者(制作の方)のユニクロは、さっそく運よくアポイントメントが取れた税理士の元へ向かったわけである。ダメ元でかけてみたが、本のことでと切り出したら俄然興味をしめし、ちょうど空き時間があるのでということで面談が決まった。ボータイ社長にはメールをしておいたが、彼はガラケーのメールを見ないから、あとで電話しておく必要があるだろう。


 本の街からユニクロの編プロとは逆方向の数駅に、税理士の事務所はあった。古くも新しくもない雑居ビルの高くも低くもないフロアに3社入っているうちの1つだった。上がってみると、1つのドアに3つの名前の税理士事務所と会計事務所と行政書士事務所が書かれていた。共同で間借りしあっているのだろう。都心では珍しくない。


 ユニクロが2回ノックをすると、返事があったので中に入った。こういうときは3回ノックするのが正しいマナーであり、2回するのはトイレの作法なのだが、ユニクロのような生え抜きの編プロ社員はそんなマナー研修を受ける事がないので、知る由もない。ただし、生え抜きの税理士もそんなマナー研修を受ける事はなく、お互いに知らないので全く問題はなかった。


 税理士は紺のスーツにピンクのネクタイをしていた。髪型はあまりぴっちりはしていない。中年スニーカーと同じぐらいの歳に見える。中年スニーカーは若作りなので、実年齢はピンクネクタイ税理士の方が少し若いかもしれない。ニコニコしながら席を立ってユニクロに近寄ってきた。


「あの、先ほどお電話させていただいたものですが」

「はい、お待ちしておりました。どうぞおかけください」

 三社の共同の経理兼受付兼総務っぽいお姉さんがお茶を淹れてくれた。もちろんユニクロは手を付けない。お茶の場合、熱いうちに飲むのが上策であるので、まずは一口いただくのがマナーなのだが、もちろんユニクロは知らないし、ピンクネクタイ税理士も知らないしお姉さんも知らないのでまったく問題はなかった。ていうかマナーってなんなん?


「企画書なんかはあったりするのでしょうか」

「ええ、ああ、こちらをご覧ください」

 ユニクロは中年スニーカーからもらった企画書をピンクネクタイに差し出した。本当は内部文書なので無造作に守秘義務のある関係にない外部の人間に見せるのはよくないが、この場合は許容される範囲だろう。というよりも、見られて困るような内容はこの企画書には書かれていなかった。


 しばらく読んでいたピンクネクタイが質問をしてきた。

「この本って、どんな人が読むんですか?」

「一般の方で、年配の方が多いと思います」

 ユニクロは企画会議に出ていないし、そもそも自分の企画でもないのでそんなことは知る由もなかったが、常識的な範囲で当たり障りのない返答をした。


「一般の方ということは自筆証書遺言の本ってことですよね」

「え?」

「自筆証書遺言です。じひつは自分の筆の自筆です。自分で書く遺言書ってことですね。」

 自分で書けるのか、とユニクロは思ったが、予備知識なしで来ていることがバレるのも得策ではないので下手な事は聞かない事にした。自筆証書遺言、自筆証書遺言。あとでこっそりメモしておけばいい。


「ええ、そうです。ところで遺言書といえば弁護士さんというイメージだったのですが、税理士さんにも関係があるんですか? テレビドラマのイメージですけど」

「実際、業務としては弁護士の範疇ではあるんですが、税理士は依頼者の資産に深く関わる事が多いので、よく相談されるんですよ。それもあって知識としては持っています。トラブルも目の当たりにしているので、経験はむしろその辺の弁護士より多いかもしれません」

「なるほど、遺言はお金に直結していますものね」

「頼まれて自筆遺言書の書き方セミナーを開いたところ、意外に集客がよかったので定期的にやることにしたんですよ。みなさん気にされていたんですね」

 なるほどそういうことだったのか、とユニクロは腑に落ちたようだ。

 ピンクネクタイは自筆証書遺言について、一通りユニクロに説明した。なるほど、知識は全く問題ない。


「それで、監修をお願いできるかどうかというお話なのですが」

「ええ、知識と経験は充分だとは自分でも思うのですが、本をまるごと一冊書くとなるとねえ。やったことないですし。ありがたいお話だとは思うのですが、それに」

 ピンクネクタイはちらっと企画書を見て、

「刊行が再来月というのはどうなんでしょう。だいたいこんな感じなんですか?」

 だいたいこんな感じではない。極めて短納期の異常事態である。雑誌記事じゃあるまいし。ユニクロは言葉に困ったが、何か言っておかねばなるまい。


「まあ、短いですが、よくあることではあります」

「そうなんですか。どうしようかな。書けるのかなあ」

「あ、違います違います」

 ピンクネクタイは大きな勘違いをしているようだ。ユニクロは慌てて否定した。

「先生には監修をお願いしたいのです」

「へ?」

「文章とか内容はこちらで作りますので、先生には監修を。つまり内容の確認をしていただきたいのです」

「あ、自分で書くんじゃないの?」

「そうなんです」

 ピンクネクタイはあーそっかーあははなどとホッとしたようながっかりしたような顔をした。


「お名前は出てもいいのですよね?」

「名前出るの?」

「もちろんです、ああ、えーと、こんな感じで」

 ユニクロは来る途中で買ってきた遺言書の類書をバッグから出して、書店のブックカバーをはがした。カバー(表紙)には弁護士の名前がデカデカと書かれていて、上に小さく「監修」と白抜き文字で書かれていた。


「あ、この先生知ってるよ。こないだ会った」

「そうですか」

「誰かとなんか本出してるとか話してたから、よくそんなヒマあるなあって思ってたんだよね」

「監修なんで文章を書いているわけではないと思います」

「そういうことかー」

 ピンクネクタイはそういうことならと、協力をユニクロに約束した。やはり自分の名前が書かれている本が書店に並ぶということは、魅力的なことなのだ。


 セミナーの資料をもらい、2、3日あとにライターと一緒に取材にくることを取り決めて、ユニクロは席を立った。脳裏には、監修のチェック期間がおそらく一週間程度しかないことと、ギャランティがいくらか言ってないことなどチラチラしていたが、特には触れずに事務所を後にした。どちらも現時点では何も確定していなかったからだ。このあたりは次回取材終了後に落ち着いて話そう、とユニクロは改札を抜けながら思った。


 電車の中でユニクロはモヤモヤとしていた。様子を聞きに行っただけなのにトントン拍子に話が進んでしまったが、まだ監修の人選について出版社の同意を取り付けていないことと、まだボータイ社長がメールを見ていないだろうことは気になっていた。気になることは必ず表面化するのが出版の常であるが、それはいつも最悪のタイミングで起こる。つまり今ではない。


 我輩は本である。内容は遺言書である。書名は仮だが、監修者は決まった。一応。


つづく


 

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