第4話 喫茶店で打ち合わせしてるといかにも業界っぽいのか

 我輩は本である。名前はまだ仮のものだが、企画は決まった。「遺言書の本」である。これからこの物語の登場人物は我輩を「遺言書」と呼ぶが、我輩は遺言書ではない。あくまで遺言書の書き方について説明する本である。


 出版社のビルから出たところで、ボータイ社長が若者に立ち寄りで直帰するのでその辺で打ち合わせを済ませようと言った。

 これからこの物語には何人かの若者が登場するので、この若者にも名前をつけておいた方がいいだろう。特に特徴がないので困るが、全身がユニクロなので、ユニクロでいいや。こいつはユニクロだ。今のところ物語の主要部分に関わる登場人物は、このユニクロと、一緒にいるボータイ社長、あとは今頃出版社の編集室で他の本の赤字校正をしている中年スニーカーの3人である。他の人はとりあえず忘れていい。ここからはじまる喜劇にはあまり関係がないからだ。


 今彼らがいる街には出版社や書店の他に、カレー屋や餃子屋がたくさんある。また、喫茶店も多い。ボータイ社長のいきつけの喫茶店は小さな自動車ディーラー兼整備工場のあるビルの地下にあった。中では70年代か80年代のアメリカンポップスがずっと流れていた。奥の方の席に座ると、ボータイ社長がブレンド2つをウェイターに頼んだ。12席もないような店なのにマスターとウェイターがいる。採算はどうなっているのか気になるが、我輩には関係ないな。


「ええと、とりあえずキミ担当で、よろしくね」

「はい。ライターさんはどうします?」

「そうだなあ。とりあえずカマセさんか、ダメだったらミズシマ君とかかな」

 ライターとは実際に本の文章を書く人間である。著者というとまた違ってくる。実用書の場合、監修者や表紙に名前のある人物が中身の文章も書いていることは少ない。まったくないわけではないが、短期間に本一冊分の文章を書き切るのはプロでなければ難しい。


 各方面の第一人者であっても、文章の能力まであるとは限らない。むしろ、他の芸に秀でているほど、文章がまったくダメなことが多いぐらいだ。文章を書くということは、絵を描くことに似ていると我輩は思う。

 文字なので一見してもわからないかもしれないが、ヘタクソな文章というものは、デッサンの狂った絵に似ている。小学生の日記がヘタクソなのは、字がヘタクソなのではなく、文章自体がヘタクソなのである。間延びした文章、話が途中で変わる文章。何が言いたいかよくわからない文章。ヘタクソな文章はさまざまである。

 内容が正しくて、高度なものであったとしても、文章がヘタクソであればまったく伝わらない。それは人類の損失である。そこで必要とされるのが、ライターという職業だ。彼らは一種の翻訳家とも言える。わけのわからない話を、わかる話に翻訳してくれるウィーザードなのだ。

 カマセ氏はボータイ社長の旧友であり、仕事も早い。若干センスは古くさいが、安定した仕事をしてくれるので、同社では重用しているライター氏である。もう1人のミズシマ氏はまだ若いが、それだけにタフで無茶なスケジュールでもどうにかこなしてくる。まだ仕事の本数は少ないが、今のところ大ミスはない。


「はい。じゃあライターはそのどちらかで。デザインは?」

「ドッグテイルは今パンパンだろうから、ストレイシープさんはどうだろう」

「ああ、ちょっと聞いてみますね」

 ドッグテイルデザインは、実用書の本文やカバーを手がけるデザイン事務所だ。社長以下3名なので個人事務所としてはまずまずの規模である。事務所が三鷹の社長宅なので打ち合わせの行き来が面倒だが、ここは社長が営業に専念しているので、フットワークは良い。ただ、今回はおそらくスケジュールに空きがない。とボータイ社長は思っている。実際は短納期の一冊をねじ込むぐらいはできるのだが、ドッグテイルデザインの社長は忙しいが口癖なので、少し機会損失をしていることになる。

 一方のストレイシープは中年夫婦でやっているデザイン事務所で、ユニクロの仕事の多くはここに依頼している。やり取りに慣れているので、我輩のデザインには適していると言えるだろう。ビジュアルのセンスはいまいちだが、文字ものに強いという特長もある。フットワークが悪いのでユニクロの方から出向く必要があるのが難点ではあるが、ユニクロとしては会社から出る口実に使いやすいので、気に入っていた。


 デザイン事務所というのは、書籍の紙面(版面ともいうか。まあ細かいことはいいな)のデザインを引き受ける会社である。株式会社などの場合もあるし、個人事務所の場合もある。紙面のデザインのことをエディトリアル・デザインという。編集された意匠とでもいうのか、簡単に言うと読者がわかりやすいように、重要なところに目線を誘導したり、図版をわかりやすく描いたりして、本の体裁を整える仕事だ。MSワードで平打ちしたような紙面の実用書があったとしたら、それはよほどの専門書か、ド田舎のトンデモ研究者のトンデモ本のどちらかである。

 一般人に向けた実用書の多くは、凝りに凝ったデザインで、実用性の高さをアピールする。多くの読者は、買う前に中身をペラペラと確認するが、そのときに詳しく読むことはない。見た目の印象で、その本が役に立つかどうかを判断している。なので、類書の多い実用書の世界では、紙面デザインが重要なファクターなのである。

 文芸書や人文書はあまり紙面に凝らない。あっちは内容がすべてであるからだ。せいぜい表紙カバーに凝るぐらいのことだろう。

 我輩は遺言書の解説本であるから、そんなに凝ったデザインにすることはないが、ある程度は見栄えがよくないと売れ行きに影響がある。ここはユニクロにしっかり押さえておいて欲しいポイントである。


「イラストはさ、速い人じゃないとダメだよなあ。東風さんとかどうかな」

「ああ、確かに速いですね。スケジュール空いてるかどうかですが」

「とりあえず聞いてみて。ダメならもう誰でもいいや」

「わかりました」

 この場合のイラストとは挿絵のことである。おそらく遺言書に困っている老人や、遺族や、孫たちなんかの絵が入るのだろう。実用書はイラストや図版が多い。読者の多くは、見出しよりも絵や図版を見る。それで、そのページの大まかな内容を見てから、必要そうならば詳しく読むのだ。見出しなんか読んでるかどうか怪しいものだ。


 実用書の読者は、本読みや本の虫などではない。文字で埋まっていると頭がいたくなったり、ちっともわからないという人々である。ただ、今回は年配者が主たる想定読者であるので、少し文字が多めでも許されるだろうとは思う。なぜなら、彼らは長年文字ばかりの本を向き合ってきたからである、今の若い世代よりよほど活字に対する拒否反応が大きくない。また、必要があって読んでいるので、その分多少説明が長くても許されるのではないかと思うのだ。だからイラストは少なめ。だが、納期が短いので早く仕上げてくれるイラストレーターでなければならない。


 ボータイ社長の挙げた東風というイラストレーターは女性で、宇都宮に住んでいるが、インターネットやパソコンの扱いに長けているので、遠隔地でも充分に仕事をこなしてくれる。あまり写実的なものは描けないが、今回のようなイメージイラストにはちょうどいいだろう。あと安い仕事でも受け付けてくれるのがありがたい。さすがにボータイ社長は経験が豊富だ。即座にこれだけのスタッフを挙げてみせた。


「あとは監修かあ」

「どういう人がいいんですかね。カウンセラーとかですか?」

「え? そんなカウンセリングある? あるのかな?」

 ボータイ社長は訝しんだ。遺言書のカウンセリング、はありそうでなさそうで。そいうのもカウンセリングって言うのだろうか。


「自殺するとかそういうときですよね」

「自殺? あ、違う違う。遺書じゃない」

「あ、あれ?」

「遺言書は遺書じゃない。全然別」

「あ、そうか! すいませんゴッチャになってました」

「まあ、ぼくも昔は勘違いしてたな。遺言書はもし死んだらのときの為に財産をどうするかとか書いておくだけで、死ぬ理由を書くわけじゃない」

「ですよね。確かに全然別でした」

 ユニクロが恥ずかしそうに頭を書くと、ボータイ社長は笑った。実はマスターも立ち聞きして笑っていたが2人は気づかなかった。ウェイターは聞いていなかった。


「遺言書といえば、やっぱり弁護士かな。でも高そうですよね」

「そうだな。取材時間1時間あたり何万円とか言われても困るしな。ああそうだ公認会計士とかでもいいんじゃないか」

「会計士ですか」

「あと税理士とかも遺言書セミナーやってたりするな」

「詳しいんですね」

「実際に行ってはいないが、親父の家をどうするかちょっと兄弟でモメたことがあってな」

「それは大変でしたね。じゃあ監修どうするかは、ぼくの方でピックアップしてみます。あと軽く下話なども」

「そうだな。じゃあ細かいところは任せるから、何かあったら相談して」

「わかりました」

 ボータイ社長は、コーヒーを飲み干すと席を立って、店を出る階段を上がっていった。ユニクロは今挙げられた人々にスマホからメールを送信した。


 監修者はユニクロがネットで遺言書を検索して、3ページ目にあった税理士に電話してみたら、わりとすんなり引き受けてくれたので、まずは下話をするためにこれから訪問することになった。


 我輩は本である。内容は遺言書である。遺書ではない。


つづく

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