45 感謝
――
――
――
絶望
――
――
――
そこに存在するのは、絶望。
――
――
――
「プティは……プティは! 争いを収める、
シューは絶叫した。
自分には、力が無かった。
栗色の髪の、セシルを救う力も。
黒髪の、プティを救う力も。
ただ、無駄に、無意味に、水滴を瞳にたたえるだけ。
それは何も
――
――
――
<ふん。リヴァイアサンにしては、弱すぎたな。青く幼く、思考も稚拙すぎた。
能力で敵を凌いだ優越感により、冷静さを取り戻したオーイ教授は、冷たくそう告げた。
『
教授の乗る
――
――
――
人間の世界が球体であると仮定する。その球面の1点を、外側へ向かって押し広げ続ける人物。それが、教授。
――絶望には
・自分が絶望していることに気付いていない状態、
・絶望して、自己自身であろうと欲しない場合、そして、
・絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
(俺は、存在していて良いのだろうか)
シューは、自己自身であろうと欲しなかった。
(俺は、消えてしまえば良いのではないか)
シューの脳裏によぎる、大量の、過去の苦い経験のフラッシュバック。
――
――
――
そして、シューは気付いた。
プティは、最後に何と言ったか。
「ありが……」
自分が妹セシルを失った時、セシルは、何と言ったか。
「ありがとう。お兄ちゃんは……幸せに生きてね」
共通する3文字。
――
――
――
「そうか……セシル。お前は、『ありがとう』と言ったんだな。プティと同様に」
――かつてのヒューマン哲学者に、ジャック・デリダという人物がいる。
ポスト構造主義の代表的哲学者と言われたデリダは、「聞き手中心主義」を唱えた。
かつての西洋文明は話し手が中心だった。
話者が発話し、受け手がこれを聞き、意味を解釈して理解する。
意図を伝えて正しく理解するゲームにおける正解は、「話し手」の意図。
シューの妹、栗色の髪のセシルは、あの時、「お兄ちゃんも」と発話すべきだったろうか。当時13才の少女にそれを求めるのは酷。
――話し手の本来の意図など、想像したり解釈したりするしかない、不確定な代物だから、聞き手が好きに解釈すればよい。そして、それぞれの解釈が
それが、ジャック・デリダの思想。
シューはかつて、妹の感謝の意を、汲み落としてしまったのかもしれない。
お兄ちゃん「は」の意を、誇大拡張してしまったのかもしれない。
それが、シューにとっての
しかし、シューは、気付いた。
真理だと思っていた事は、間違いであったかもしれないことに。
「……ごめんな……ありがとう」
シューは、自己自身であろうと欲した。
肉体の棘がシューに突き刺さる。決して抜けない棘が。
もがき苦しんだまま、逃避も死をも拒否して、生き続ける。
3つ目の絶望。
刺さった棘を強烈に知覚しながら、シューの涙には、暖かさがじわりと染み入った。
――
――
――
「……ふっ、何がイデアだ」
「教授さんよ。あんたは、ソクラテスから何を学んだ?」
肉体の棘を口に含んで、そのまま吹き付けたかのような、刺々しい言葉が、彼の口をついて出る。
<無知の知か。おまえは私よりも賢いとでも言いたいのか?>
「違う。あんたは、
<私をバカにする気か?
「俺が何者かは関係ない。お前は俗物だ、教授」
シューは静かに断定する。
そしてシューは、この場にいる、もう1人の人間に願った。
「コムロ君……だったか。後を、頼む。敵軍の君に、本来、言えたことではないが」
「えっ? …………了解……しました」
少しの間を置いて、短く答えるコムロは、シューの気持ちを悟っていた。
自分の大切な人が、目の前で殺された、その時の気持ち。
コムロは感謝した。惑星サンドシーで、コムロの父や、モラウの家族の命を奪ったあの爆発が、この場にいる
もしあの爆発が、デカルトンによって引き起こされていたならば、コムロはシューの意を汲むことなど、到底できなかったであろうから。
――
そして、動き出す、デカルトン。
ヒューマン哲学者、ルネ・デカルトをベースとした、
デカルトンを形成するニョイニウムに、ギョンに楯突くエネルギーなど、存在しなかった。
なぜなら、ヒューマン哲学者、バークリーは「存在とは知覚にすぎない」と述べた。
シューが、栗色の髪の妹と、黒髪の後輩から貰ったのは、「ありがとう」の言葉だった。
その知覚の結果、2人の女性の、感謝の言葉が、シューについて初めて存在した。
そして、シューは知覚していなかった。
「ありがとう」と共に2人から受け取った、聞き手中心主義についての哲学思考を、今、シュー・トミトクル自らが、深く行った事について――
「デカルトン先生……出来の悪い生徒で申し訳ありません。今から言う言葉を、正確に実行してください」
『うむ、我が
――
シューはコックピットの操縦桿から右手を離し、オーイ教授の乗った、たてがみを持つ灰色の
そして、ゆっくりと、発話する。
「
『……承知した』
コミュニケーションエラーは起こらなかった。
シュ……シュシュシュ……シュドドドドドドドドドドドドドドドド!
スラスターは、加速度によって、シューをシートへと押し付ける。
何も言わずに加速度に耐えながら、シューは、伸ばしていた右腕を下ろし、シート右側方へと指を
シューの鋭い眼光は、視界の中で急速に大きくなりつつある、凶悪な程の強さを誇る灰色の
「――そういう……ことか――」
コムロは、それを知っていた。即座に、自分が今、出来る事を始める。
<接近戦なら勝てるとでも思うか? このスペック差で>
オーイ教授の微笑には、嘲笑の成分が含まれていた。
ギョンの剣先から、エネルギー弾が飛ぶ。
直撃したエネルギー弾により、デカルトンの右腕が、ワレモノ・ライフルごと吹き飛ばされる。
――しかし、デカルトンのスピードは衰えない。
今度は、右足。
そのまま、双方の距離が、急速に縮んでいく。
<……っ! もしや、自爆する気か!?>
この空間においても、自己の組織であるアカデメイアにおいても、他者に遅れをとる事が一切なかったオーイ教授。
その彼の身体が恐怖にすくみ、そして、小刻みに震えた。
加えて、
接近するデカルトンの勢いに気圧され、ギョンの操作も覚束ない。
――
かつて、デカルトンが初めてカントムと戦った際、
『一番硬きもの』
『すべてを疑い排除し、最後に残る硬きもの。それは、
『すなわち、我そのもの』
――
<待て! たすけ……>
「……
デカルトンの、「
――
凄まじい爆発が、宇宙空間一面を染めた。
―続く―
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