45 感謝


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 絶望


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 そこに存在するのは、絶望。


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「プティは……プティは! 争いを収める、リヴァイアサン  ―終末の獣―  になるかもしれなかったんだぞ!」


 シューは絶叫した。


 自分には、力が無かった。


 栗色の髪の、セシルを救う力も。


 黒髪の、プティを救う力も。


 ただ、無駄に、無意味に、水滴を瞳にたたえるだけ。


 それは何も効果を発生しない  ―功利主義―  


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<ふん。リヴァイアサンにしては、弱すぎたな。青く幼く、思考も稚拙すぎた。生徒搭乗者スチューロットの完成形には、程遠いサンプルだった>


 能力で敵を凌いだ優越感により、冷静さを取り戻したオーイ教授は、冷たくそう告げた。


生徒搭乗者スチューロットイデア―理想形―とは合致しない存在だった』


 教授の乗る機動哲学先生モビル・ティーチャーギョンの、おそらくはプラトンをベースとする言葉が追い討ちをかける。

 

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 怪物リヴァイアサンとは、教授の事を指すのだろうか?

 

 人間の世界が球体であると仮定する。その球面の1点を、外側へ向かって押し広げ続ける人物。それが、教授。

 

 ――絶望には3つの種類 ―キルケゴール― がある。


・自分が絶望していることに気付いていない状態、

・絶望して、自己自身であろうと欲しない場合、そして、

・絶望して、自己自身であろうと欲する場合。


(俺は、存在していて良いのだろうか)

 シューは、自己自身であろうと欲しなかった。


(俺は、消えてしまえば良いのではないか)

 シューの脳裏によぎる、大量の、過去の苦い経験のフラッシュバック。

  

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 そして、シューは気付いた。


 プティは、最後に何と言ったか。

 

「ありが……」

 

 自分が妹セシルを失った時、セシルは、何と言ったか。


「ありがとう。お兄ちゃんは……幸せに生きてね」


 共通する3文字。


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「そうか……セシル。お前は、『ありがとう』と言ったんだな。プティと同様に」


 ――かつてのヒューマン哲学者に、ジャック・デリダという人物がいる。


 ポスト構造主義の代表的哲学者と言われたデリダは、「聞き手中心主義」を唱えた。

  

 かつての西洋文明は話し手が中心だった。


 話者が発話し、受け手がこれを聞き、意味を解釈して理解する。


 意図を伝えて正しく理解するゲームにおける正解は、「話し手」の意図。


 シューの妹、栗色の髪のセシルは、あの時、「お兄ちゃん」と発話すべきだったろうか。当時13才の少女にそれを求めるのは酷。


 ――話し手の本来の意図など、想像したり解釈したりするしかない、不確定な代物だから、聞き手が好きに解釈すればよい。そして、それぞれの解釈が真理―正解―であるとすれば良い。


 それが、ジャック・デリダの思想。

  

 シューはかつて、妹の感謝の意を、汲み落としてしまったのかもしれない。


 お兄ちゃん「」の意を、誇大拡張してしまったのかもしれない。


 それが、シューにとっての真理―正解―


 しかし、シューは、気付いた。


 真理だと思っていた事は、間違いであったかもしれないことに。

 

「……ごめんな……ありがとう」


 シューは、自己自身であろうと欲した。


 肉体の棘がシューに突き刺さる。決して抜けない棘が。


 もがき苦しんだまま、逃避も死をも拒否して、生き続ける。

 

 3つ目の絶望。


 刺さった棘を強烈に知覚しながら、シューの涙には、暖かさがじわりと染み入った。


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 ――


「……ふっ、何がイデアだ」 

 機動哲学先生モビル・ティーチャーデカルトンの中で、シュー・トミトクルは笑った。その目には、相変わらず、水滴がこびりついていた。

 

「教授さんよ。あんたは、ソクラテスから何を学んだ?」

 肉体の棘を口に含んで、そのまま吹き付けたかのような、刺々しい言葉が、彼の口をついて出る。

  

<無知の知か。おまえは私よりも賢いとでも言いたいのか?>


「違う。あんたは、プティリヴァイアサンの事を何も理解出来ない、俗物にすぎないってことだ」


<私をバカにする気か? 生徒搭乗者スチューロット風情が>


「俺が何者かは関係ない。お前は俗物だ、教授」

 

 シューは静かに断定する。

 

 そしてシューは、この場にいる、もう1人の人間に願った。

「コムロ君……だったか。後を、頼む。敵軍の君に、本来、言えたことではないが」


「えっ? …………了解……しました」

 少しの間を置いて、短く答えるコムロは、シューの気持ちを悟っていた。


 自分の大切な人が、目の前で殺された、その時の気持ち。

 

 コムロは感謝した。惑星サンドシーで、コムロの父や、モラウの家族の命を奪ったあの爆発が、この場にいる機動哲学先生モビル・ティーチャー、デカルトンの攻撃によるものでは無かった事に。

 

 もしあの爆発が、デカルトンによって引き起こされていたならば、コムロはシューの意を汲むことなど、到底できなかったであろうから。


 ――


 そして、動き出す、デカルトン。

 

 ヒューマン哲学者、ルネ・デカルトをベースとした、機動哲学先生モビル・ティーチャー


 デカルトンを形成するニョイニウムに、ギョンに楯突くエネルギーなど、存在しなかった。


 なぜなら、ヒューマン哲学者、バークリーは「存在とは知覚にすぎない」と述べた。


 シューが、栗色の髪の妹と、黒髪の後輩から貰ったのは、「ありがとう」の言葉だった。

 

 その知覚の結果、2人の女性の、感謝の言葉が、シューについて存在した。

 

 そして、シューは知覚していなかった。

 

 「ありがとう」と共に2人から受け取った、を、今、シュー・トミトクル自らが、深く行った事について――


「デカルトン先生……出来の悪い生徒で申し訳ありません。今から言う言葉を、正確に実行してください」

『うむ、我が生徒搭乗者スチューロット、シューよ』


 ――


 シューはコックピットの操縦桿から右手を離し、オーイ教授の乗った、たてがみを持つ灰色の機動哲学先生モビル・ティーチャーの方を指差した。


 そして、ゆっくりと、発話する。

 

機動哲学先生モビル・ティーチャーロックウェルを破壊した、私の右指の延長線上付近に居る、機動哲学先生モビル・ティーチャーを、攻撃して下さい。を用いて。お願いします、デカルトン先生」

『……承知した』


 コミュニケーションエラーは起こらなかった。


 シュ……シュシュシュ……シュドドドドドドドドドドドドドドドド!


 スラスターは、加速度によって、シューをシートへと押し付ける。


 何も言わずに加速度に耐えながら、シューは、伸ばしていた右腕を下ろし、シート右側方へと指をわせる。

 

 シューの鋭い眼光は、視界の中で急速に大きくなりつつある、凶悪な程の強さを誇る灰色の機動哲学先生モビル・ティーチャーへと、真っ直ぐ向けられていた。


「――そういう……ことか――」

 コムロは、を知っていた。即座に、自分が今、出来る事を始める。


<接近戦なら勝てるとでも思うか? このスペック差で>

 オーイ教授の微笑には、嘲笑の成分が含まれていた。


 シュルルルルル ―超速飛行― 


 ギョンの剣先から、エネルギー弾が飛ぶ。


 ドゴオオオオオ!! ―爆発― 

 

 直撃したエネルギー弾により、デカルトンの右腕が、ワレモノ・ライフルごと吹き飛ばされる。

 

 ――しかし、デカルトンのスピードは衰えない。

  

 シュルルルルル ―超速飛行― 

 

 ドゴオオオオオ!!  ―爆発―  


 今度は、右足。

 

 そのまま、双方の距離が、急速に縮んでいく。

 

<……っ! もしや、自爆する気か!?>

 

 この空間においても、自己の組織であるアカデメイアにおいても、他者に遅れをとる事が一切なかったオーイ教授。

 

 その彼の身体が恐怖にすくみ、そして、小刻みに震えた。


 加えて、機動哲学先生モビル・ティーチャーの操縦経験の不足。


 接近するデカルトンの勢いに気圧され、ギョンの操作も覚束ない。


 ――


 かつて、デカルトンが初めてカントムと戦った際、激高する ―まだ青い― シューに答えて、デカルトンは言ったのだ。


『一番硬きもの』

『すべてを疑い排除し、最後に残る硬きもの。それは、我思う故に我ありコギト・エルゴ・スム

『すなわち、我そのもの』


 ――


<待て! たすけ……>


「……絶望死に至る病ではない。死、そのものを! 食らうがいい!」


 シュドドドドドドドド!   スラスター   


 クイッ! ―レバー操作―  ボシュッ! ―ポッド―  


 シュドドドドドドドド!   スラスター   


 デカルトンの、「我そのものニョイニウム全体」は、ギョンがその左腕に構えた丸盾で防ぐには、大きすぎた。


 ――


 凄まじい爆発が、宇宙空間一面を染めた。



 ―続く―

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