33 花散りし後
シュー・トミトクルと、その妹のセシルは、4歳違いだった。
穏やかな父は、定時近くに帰社できる、経理の仕事。
そう言いつつ、毎年6末と12末の決算時期は、終電帰りだったり、徹夜で帰宅できないこともあった。
母は専業主婦で、料理が趣味。
裕福ではないが、ごく普通の、平凡で幸せな4人の家族構成。
――「病」という要素を除いては。
セシルは、母親と同様の病弱であった。
シューは幼年期から、兄として、その面倒をよく看ていた。
色白の美少女、セシルも、兄であるシューを慕っていた。
◆
シューとセシルの父親は、家族を優先する考え方の持ち主だった。
かつてのヒューマン哲学者、アーレントの
リバタニリアズムが進展しつつある社会で、のし上がろうという考えも無かった。
彼の職場での評判は「大人しくて無害」。
これを悪く言う者もいなかった。彼は、自らの自由を行使しているに過ぎないからだ。
◆
概念宇宙暦177年の春。
母親が病死した後も、話を盛り上げ、残った家族を鼓舞したのは、14歳のシューであった。
経理屋の父が、猫背の塞ぎがちなったのは、「母への気持ち」故だと、子供ながらに理解できる程度に、シューは利発であった。
妹を喜ばせたい。
そのために、今の僕が出来ることは何か?
その気持ちが高じたシューは、178年、15歳の時に、近場のお菓子屋に無理を言い、小間使いとして弟子入り。学校もそっちのけで、それに没頭していった。
シューにはパティシエとしての才能があった。
しかし、それが開花し定着するまでには、繰り返しと、試行錯誤と、歳月とが必要。
シューの
だが、彼が作る
自分より4つ下の、栗色の髪の少女。
――糖質制限により、病床のセシルに与えられるそれは、ほんの僅かに過ぎなかったが。
彼の菓子技術は急速に成長していき、当初は「学業を
シューの行動と、その力強い眼から、息子の気持ちを察したからである。
そして、概念宇宙暦179年。
シューが16歳、セシルが12歳の夏に、戦争が始まる。
報道の当初は「辺境の危険分子による小規模なクーデター」という扱いがなされていた。それが、実質的には「戦争」であり、その規模が拡大の一途を辿っていることは、情報が統制された状況でも、国民にはジワジワと漏れ聞こえていた。
リバタニアで評価されるのは「力」。
戦争において重要視されるのも「力」。
金属系、工学系、制御系などの軍需産業が隆盛を見せた。
その中で、父の職種は需要度の低いものと解されていたが、父はそれを気にかけることもなかった。
そして、徴兵。
――拒む術は、父にはなかった。
権力者の血縁は徴兵逃れが可能であり、その事実を公表されることもなかった。
リバタニアの権力者の特権として、極めて自然な事だ。
市井の者の場合、徴兵を避ける唯一の方法は、多額の献金を行う事。
ここは「自由の国」リバタニアだ。
「稼ぐ自由」「搾取する自由」によって得た多額の金で「処世の自由」を買うことができる。
かつてのヒューマン哲学者であるニーチェの「超人思想」に沿いつつ、力をつけるのは、本人の自由。
力を拒否し、安穏を目指すのも、本人の自由。
――ただし、その選択が生みだす結果についての責任は、その本人にのしかかる。
「自由の国」とは、そういうものだ。
一般の民間人にすぎないシューの父親には、そのような大金を捻出することなど、当然ながら不可能であった。
「シュー。お父さんは、これから宇宙の、悪い奴をやっつけに行くんだ」
「妹を、セシルを頼むぞ」
シューの背中をポンと叩いて、猫背の父は、穏やかな笑顔を見せて、出かけていった。
「僕……ううん、俺が、守るよ。セシルを」
リバタニアが善で、フロンデイアが悪、などという単純な二元論からは、少年であるシューは既に解放されていた。
そして、
――シューが、父の丸い背中を見たのは、それが最後だった。
寂しがる妹を、自作の菓子で元気づけようとする兄。
しかし、母親ゆずりの病弱が、妹の体力を奪っていく。
「俺な、もう少しで、俺の
「お兄ちゃん、すごいね」
「お前に、お客の第1号に、なってもらうからな」
「あたしお金無いよ。ずっと病院だし……」
「そんなの、俺のバイト代で出してやるさ! 小遣い小遣い!」
「ありがと。でも、そのお金、結局お店に戻るんだよね?」
「まぁな。金は天下のまわりものって言うし」
「あはは」
――それは、叶うことは無かった。
ただしそれは、高額医療を受ける経済力を有する「持ちたる者」にとっては、の事。
「持たざる者」が持つ「自由」、その体積は、「自由の国」リバタニアにおいては小さい。
「ありがとう。お兄ちゃんは……幸せに生きてね」
栗色の妹の、最後の言葉。
シューが握る、細くて白い、5つの花弁を持つ花が、その手からゆっくりとこぼれ落ちた。
――
――
(はたして、セシルは、どうだったのだろうか?)
(俺は、セシルを救えなかった)
散った後に、残るは根。
全てを失ったシューは「力」を欲し、軍への入隊を自ら志願する。
それは、「成人」についての徴兵が開始される「18歳」にシューがなる、10日程前の出来事だった。
―続く―
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