31 神殺し

 敵中。


 乱戦。


 短い断続スラスター。


 死神の黒鎌。


 ア・プリオリ・ブレード。


 ――


 そこにある言葉は、微小だった。


 人間を動かすエネルギーは、酸素。


 無呼吸での活動には限界がある。


 ニョイニウムを動かすエネルギーは、生徒搭乗者スチューロットの思考。


 無思考での戦闘には限界がある。


 遠距離攻撃が飛んでこないのが、せめてもの救い。


 リバタニア軍左翼集団にとっては、その内部での射撃は、外れた場合に同士討ちのおそれ。


 その内部に入り込んだカントムにとっては、敵の包囲が狭すぎる。


 ニーチェッチェとの格闘の最中、他のリバタニアの一般機動哲学先生モビル・ティーチャーは、包囲の輪を縮めつつあった。 


 思考を練る余裕が無い。


 ギョイイーーーーーン! ―剣合― 


 プユーーーーーン♪ ―弾き返し― 


 武器がぶつかり合う。


 近接攻撃はヒットしない。


 互いに、機動哲学先生モビル・ティーチャー操縦―対話―経験を、一定以上積んだ機動を披露する。


 無酸素―思考―運動により、双方の機動哲学先生モビル・ティーチャーエネルギー ―体力― は損耗し、そのスペックは下降線を辿っていた。


(このままでは……)

 コムロの心に、焦燥感の闇が、ジワリと侵食し始めていた。


 ここは敵中。


 エネルギー枯渇の意味は、思考を巡らせずとも分かっていた。


「――このまま、追い込むか」

 漆黒の機動哲学先生モビル・ティーチャー、ニーチェッチェが、死神の鎌を振るう。


「神殺し」と呼ばれたヒューマン哲学者、ニーチェの名を冠するニョイニウムの塊が、カントムを死へと誘おうとしている。


 シュッ!スラスター Z シュッ!スラスター


 エネルギー枯渇に備え、幻惑機動に必要なスラスター出力を、最小限に抑える、コムロとカントム。


 効率を重視した、小刻みな動きが増える。


 銀髪の貴公子、ギンボスが相手でなければ、それで足りたかもしれない。


 しかし――


「動きが、読めるぞ?」


 シュッ!死神の黒鎌


 シュッ!死神の黒鎌


 ギョイイィ! 一合 


 ボシュッ! 募集(腕部)  


 ――幻惑機動において「エネルギー効率」を重視した、それが結果。


 意味を生じないスラスターを使わないということは、それだけ動きが「合理的」になるということ。


 理に基づいた動きは、比較的読みやすくなる。


 ボシュッ! 募集(脚部) 


 カントムの機動では、死神の鎌を、完全に防ぎきれなくなってきた。黒鎌がカントムにかすり始める。


(まずい!)


 白い生徒搭乗者スチューロット・スーツのエアー・コンディショニング機能でも、すっきりさわやかにならない程、冷汗がコムロの身体に滲む。


 それは、じわりと侵食する絶望死に至る病


 カントムの残存エネルギーは、危険域に入ろうとしていた。


 ――


 ――


 時は、唐突に訪れる。


 シュッ―――ウウウ……ウウ 


 死神の鎌の残速が、時間をx軸、速度をy軸としたxy平面の、y軸方向0へと向かい、下降曲線を描きはじめた。


「なんだと……?」

 銀髪の貴公子の目に、はじめて動揺の色が灯る。


『枯渇と思われる。自他共に』

 カントム先生の、すこし思考力の鈍った助言。


「ここしか……ない!」

 ギュムッ!


 コムロはフットペダルを勢い良く、地べたまで踏みつけた。


 シュッドオオオワアア! スラスター 


 カントムは、敵が死神の鎌を手元に引く動作に合わせて、間合いを詰める!


「ぬっ?」

 死神の鎌も、精細を欠きつつ戻ってくる。


 黒鎌によるガードは


 間に合わない

 

えええええいいい! ―思考エネルギー的に無意味なコムロの掛け声― 


 ブッッッ 仏教 キョオオ! 伝来 


 カントムの青いア・プリオリ・ブレードが、ニーチェッチェの黒い頭部に突き刺さる ―だんご1兄弟― 


『ぐおおおお』

 控えめな絶叫。機動哲学先生モビル・ティーチャーニーチェッチェも、「やられた」という概念を理解していた。


 しかし、控えめな絶叫は、意味を有していた。


 ドドドドオオオオオ怒怒怒怒+(オx5で激おご(東北))


 脚部スラスター噴射で、頭部に刺さったア・プリオリ・ブレードを、強引に抜きにかかる、ニーチェッチェ。


「超人に、敗北など、ありえない!」

 ギンボスの心の中心から、彼を突き動かす原動力が、湧き上がる。


 プニョオオオッッ! ―引き抜き― 


 コムロとカントムは、ア・プリオリ・ブレードを引き戻す。


 理性を司る青きブレードから頭部を解き放たれたニーチェッチェと、カントムとの距離が、ごく短い時間だけ、開く。


 <<<<<<<<


     父も弟も居ない世界で


     負けるわけにはいかない


     この世界に神など居ない

  

     私が超人になるのだ


 >>>>>>>>


 刹那、「銀髪の貴公子」ギンボスの思考が、ニーチェッチェを構成する金属、ニョイニウムへと、エネルギーをチャージする。


 ――


 同時に。


 無酸素―思考―運動から解き放たれたカントムの中で、コムロもまた、思考を爆発させた。


 <<<<<<<<


         ニーチェは言った・神への信仰即ち弱者の恨みが生み出した、歪んだ負の感情が    、人間本来の生を抑制してしまっていると


         強いことは素晴らしい・それが騎士的、貴族的価値観・かつてはそれが規範だった


         それがユダヤ時代に逆転した・勝てない現実を諦め、心的勝利へと舵が切られた・僧侶的、道徳的価値観に


         キリストに槍が刺さった瞬間、強さが「道徳的な悪」に変わった


         人類は、もはや神を信じられない・人間が、よってたかって神を殺したのだ


         神が死んだ世界で生きる為の価値観は、超人思想・力への意志のまま、強さを目指す超人


         その経済的側面から見た態様が、現在のリバタニア・強いものが支配する世界


         超人思想は個々主体レベルでは正しい・しかし、生物全体レベルではどうなのか?


         サバンナの生き物は、弱肉強食のままだ・人間は、超人的思考の他に道徳的思考も発明した


         ロールズの正義の2原理、いわば才能税・サンデルの、他者からの恩恵を返すという見方


         福祉系思考を持った哲学者も、かつては存在していた・いかに弱者に「分け与えるか」の観点


         それらの観点から、今の敵国リバタニアが、正しい価値観にもとづいて進んでいるといえるのか?


 >>>>>>>>


 ――


 極小時間の間に、ニョイニウムへ蓄積したエネルギーを用いて、両者は再びその武器を合わせる。


 ――

 

 ボニュウウウウウウン! 一合からの弾き飛ばし 


「くっ!」


 死神の鎌が弾き飛ばされる。


 そのまま


 カントムの青いブレードが


 ぷっっしゅうううううう! ― ザックリ! ― 


 漆黒の機体の腹部に、突き立てられる。


『ぐへぇ』

 ニーチェッチェの、力のない、「やられた」という概念。


 ――


「こんなものか。は、ははは」


 最期の瞬間、銀髪の貴公子は笑っていた。


 それは、自嘲か――狂笑か――


 ドゴオオ怒号?オオオオオオオオ!


 黒の機動哲学先生モビル・ティーチャーが、爆発の光に包まれる。


 広がった爆光が、さざ波が砕け散るように薄れ、消えていく。


 その空間には、再び、漆黒が。


 が、存在していた。


 ―続く―

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