23 夢見草の旗
古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの思想だ。
そして、人間は感情の生き物。
よって、
それを示す出来事が、戦艦ハコビ・タクナイでも起きつつあった。
チョコレート・コーティングされたプレッツェル棒の束が銀紙包装されている。その銀紙包装を2つ、紙箱に封入したものをコムロからもらって、少しだけ機嫌が回復したのは、モラウ・ボウであった。
スイーツの力。ボウの力。
戦艦ハコビ・タクナイの展望窓から外を覗く2人。
「見えてきたね、コムロ」
「確かに。戦艦が、あんなに集まっている」
窓越しに、大小様々な戦艦が、宇宙空間を遊弋し、基地を背にして整列していた。基地の収容ポートも満杯状態で、交代で着陸しては順次補給を行う手はずになっていた。
◆
戦艦「ハコビ・タクナイ」は、集結地点である「ツイットキャスット宙域」に到着した。
その宙域の後背、さらに奥へと進むと、そこには首都星「テーラコヤ」がある。
この宙域から奥へと
また、戦力に劣るフロンデイアは、分散したままでは各個撃破されてしまう。
そこで、各星系で奇襲を受けたフロンデイア軍は、この地に集結して「数」をまとめる方針を採った。
首都星テーラコヤへの航路を、集結した艦艇で防衛するのが基本戦略。
一方、それに呼応するように、敵軍であるリバタニアも、艦艇をこの宙域へと振り向けつつあった。
地の利と、補給線の短さの点では、防御軍であるフロンデイアに優。
国力、兵力、資金力等の点では、攻撃軍であるリバタニアに優。
◆
軍の指示に従うだけの思考では、カントムを形成するニョイニウムへのエネルギー蓄積には足りない。
(この戦いに、どんな意味があるっていうんだ……)
ぶつぶつ言いながら煮詰まっているコムロを見かねたモラウ・ボウが、コムロの腕を取る。
「出撃前の自由時間、半日しかないんだから」
モラウはそう言って、幼馴染であるコムロの腕を引っ張って歩き出した。
基地内部の娯楽施設は、かつての地球の港町を模した空間になっていた。
水族館を駆け足で回り、
海――人工のものではあったが――を眺め、
カラオケでマイクを握る
そして、高台からの夜景。
「地表からもっと距離の離れた所に行くだろうに」
とぶーたれるコムロに対し、
「そういうもんじゃないの!」
とふくれるモラウ・ボウ。
半日の自由時間など、あっという間に過ぎてしまう。
ある意味「デート」のようなメニューであったが、コムロはその間も、断続的に考え事を続けていた。
いつもなら怒るモラウ・ボウは、それについては何も言わない。たた横ではしゃいでいる。
2人共、次の戦いが正念場であること、死の危険性が一番高いことを、認識していた。
残った少しの時間で寄ったモールで、クレーンゲームを始める。
人気の立体テレビ番組「デモクリトスイッチ」に登場するキャラクター、コーシ君をゲットするのだ。
数学や計算は得意だが、クレーンゲームは苦手なコムロ。
何度チャレンジしても、
「コムロ、頑張って! 時間ないよ?」
「アームの力が弱すぎるんだよ」
コムロはもう、諦めモード。
そこへ――
「どれ、お兄さんに変わってくれるかな?」
後ろから声がする。
2人が振り向くと、そこには、軍服姿の男性が立っていた。
20代後半だろうか? 中肉中背、端正な顔立ちだが、ボサボサの黒髪が軍服にマッチしていない。
「え、ええ。どうぞ」
動揺混じりの口調でコムロはゲーム筐体の横へと移動し、場所を開ける。
「ありがとさん。では、遠慮なく」
軍服の男は飄々とした足取りでクレーンゲームの筐体に近づき、コインを投入する。ぴろりーんと音がして、ゲームが始まる。
途端に、男の目が鋭くなる。獲物を狙う目。
男は腰をやや落とし、横移動ボタンを押し、それを離すタイミングを見計らう。
――
「ほっ」
と一息。ボタンから手を離すと、クレーンも静止する。
「次が難しいんだよな」
男はそう言いながら、いっそうの集中。クレーンの縦移動ボタンを押し続ける。
――
「とっ!」
ボタンから手を離すとクレーンは一瞬静止し、そして下降。
そのクレーンは、見事、狙いの景品「コーシ君」の重心を
ころん。
筐体下のゲートから転がり落ちたぬいぐるみを軍服の男が掴むと、つかつかと2人に歩み寄り、
「はいよ」
と言って、モラウの手に渡す。
「あ、ありがとうございます。お上手なんですね」
会釈するモラウ。
「取るコツは、慣れってか、経験ってやつかな。子供の夜更かしは危ないぜ。早く帰んな」
そう言って男はニコッと笑った。
遠間から、3〜4人の軍服のグループが声をかけて来る。
「おい、いつまで子供と遊んでんだヌレギヌ! 集合だぞ!」
「ヌレギヌ」と呼ばれた男は、はーいよ、と生返事をしてから、コムロとモラウに向き直り、「じゃあな」と声を掛けると、小走りに軍服のグループへと戻っていった。
遠ざかる軍服グループ。
「息子には渡さないのか? ヌレギヌ」
「今回で結着つくんだろ? この戦い。終わったら、取ってやるさ」
軍服同士の会話が、コムロとモラウの方に、小さく聞こえてきた。
◆
休憩が終わり、決戦へと向かう戦艦ハコビ・タクナイに乗り込むクルー達。
ブリッジの指揮シートには、艦長であるキモイキモイ。
その横には、副官のビヨンド・ザ・ソソソゴーン・ソソソゴーン・ソソソゴーン。
ブリッジの下部には、通信士としてモラウ・ボウ。
BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)の中にはコムロ少年がいて、ギリギリまで思考エネルギーを、カントムのニョイニウムに注入する。
「諸君、我々はこれから、自由を守る戦いへと赴く。様々な価値観を持つ者が並存する、真の自由を守る戦いだ」
艦の全体向け放送で、フロンデイア軍総司令サノ=ケンザブロウの声が流れる。
「……それもまた、ノージックだけどな」
BPCの中で司令の演説を聞きながら、コムロはそうつぶやいた。
――敵軍であるリバタニアの基本思想は、リバタリアニズムという、「個人の自由」を重視するもの。
かつてのヒューマン哲学者、ロバート・ノージックは、その思想の
イマヌエル・カントの「人間の尊厳」という考え方の、延長線上にある思想とも言える。
メルロ=ポンティ的に言えば、人間はほぼ共通の身体図式を持つ。履いているパンツは共通ではない。
結果、互いに相争う2つの軍の間で、同様の主張が、大義名分として掲げられている皮肉。
そして、哲学者ノージックはかつて言った。
「参加と脱退が可能な様々な共同体にとって共通するユートピアとして最小国家を理解する」のだと。
◆
「全軍、発進!」
サノ司令の号令の下、大小入り混じった戦艦が発進した。
艦隊が放出する推進剤の軌跡は、さながら虚空に彗星が出現したようであった。
あるいは、
フロンデイアはそもそも、各辺境星系を探索していた
不揃いの戦艦たちに共通するのは、フロンデイアの旗。
かかげられた国旗の紋章は、新緑の地に描かれた、薄桃色の「夢見草」。
かつての地球、日本の春に見られる花、「桜」を、シンボルとして描いたのだ。
それも承知で、進取の精神を持つ
「咲く花も、散る花も、みな美しい」
そんな
―続く―
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