22 身体図式
コムロ達が乗る戦艦、ハコビ・タクナイは、集結地点である「ツイットキャスット宙域」を目指していた。
先行する仲間たちは既に集合し、反転迎撃作戦に備え準備をしていることだろう。
「補給基地はどうなりましたか?」
BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)でのエネルギー蓄積の合間に、ふらっとブリッジに寄ったコムロが艦長に聞いた。
「無事のようだ。敵軍は、ポッケスタップ宙域を進軍コースには選ばなかったらしい」
艦長のキモイキモイが回答する。
「攻略するもしないのも、やっかいですからね、あの宙域は」
艦長用指揮シートの斜め後ろに立つ副官、ビヨンド・ダ・ソソソゴーン・ソソソゴーン・ソソソゴーンが補足する。
「そういうことだ」
と、キモイキモイ艦長。
「どういうことなんです?」
やって来たコムロのそばに近寄ってきた、幼馴染の少女、モラウ・ボウが聞いた。
―このような「現実的」な話については、彼女は激高しないようだ。
モラウの手に握られたニョイ・ボウも大人しくしている。
「それはな……」
艦長が語りだした。
補給基地のあるポッケスタップ宙域は、拠点の規模としては小さく、大規模戦力を有しているわけではないこと。
拠点は、無数の小惑星をくりぬいてコンテナ星とし、これを分散させた「宙域クラウド」化がなされており、これを制圧する事は、補給線の長い敵のリバタニア軍にとって、コストパフォーマンスが悪すぎること。
一方、これを無視してポッケスタップ宙域を通過した場合、後背から小邪魔な攻撃をされ、最悪の場合、挟撃されるおそれもあること。
「この3つの点から、敵はポッケスタップ宙域を『スルー』して、別ルートからの侵攻を選択するのが、合理的な判断となる」
と、要点をまとめた艦長。
―― モラウ・ボウの激高充填率: 10%
モラウにとって、謎の新概念はなかったようだ。
艦長の話を聞きながら、コムロは安堵の表情を浮かべていた。
(マチダさん……)
あの時、マチダ中尉が、基地の娯楽施設である
「モラウさーん、コムロくーん」
湯気の中、遠くから響く、マチダ中尉の、芯のある高めの声。
整理された思考力とのギャップ。軍服では無い、芸術的な
――「六曜」を気にする基地司令、
「コムロ? ねぇ、コムロ?」
幼馴染の少女、モラウがコムロの左袖を掴んで引っ張る。微かに微かな胸が当たる。
「……え?」
我に返るコムロ。
「また考え事してる!」
コムロの左横にいる少女が、ぷうっと頬をふくらませる。
「何考えてるの?」
女性の、こういうタイミングで発揮される勘は、非常に鋭い。
「……え、ええと。メルロ=ポンティの、『知覚の現象学』についての解釈を……」
「パンツ?」
「パンティじゃないよ」
「うそね」
「うそじゃないよ」
「だって、コムロがホントに考え事している時は、そんな言い方しないもん」
「い、いつも? どんな説明してたっけ?」
「そんなの私に分かるわけないでしょ。でも、いつもと違うの! なんか、表情とか!」
……
「……哲学思考なら、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)でやった方がいいだろう、コムロくん」
艦長がそう言って、ブリッジからの出口の方へと目配せした。
「あ、はい!」
「モラウくんも、通信士としての仕事が残っているだろう?」
「え、えぇ、そうですが……」
コムロはBPC(ブレイン・パワー・チャージャー)へ、モラウはブリッジ下層の通信ブースへ。持ち場に戻っていく。
・痴話喧嘩をブリッジでされては迷惑だ。
・時間を開けて、モラウの気分が変わるのを待つのが得策だろう。
キモイキモイは、少しのやっかみと、コムロへの助け舟とが入り混じった、自らの感情を、おぼろげながらも知覚していた。
◆
コムロはBPC(ブレイン・パワー・チャージャー)のシートに腰掛け、思考のエネルギーをカントムの「ニョイニウム」に注入していた。
ある意味予想通り、幼馴染の少女がやってきた。
「ちょっといい?」
モラウ・ボウがしゃがみこんで声をかける。
身体の一部である胸元がちらりと覗く。
身体の一部である両目でそれを知覚したコムロは、あわてて目線をさらに上へとズラす。
身体の一部であるモラウ・ボウの目は、少し悲しそうに見えた。
「……う、うん。通信士の任務は?」
コムロが聞く。
「休憩時間だから」
「そっか」
……
「コムロ、さっきはホントに、何を考えていたの? ちゃんと教えて」
やはり、モラウは、そのことが気になるようだ。
「うーん……モラウが怒り出すかもしれないけど……」
「怒らないから、言って?」
「分かったよ」
コムロは、メルロ=ポンティについて語りだした。
〜〜〜
〜〜〜
〜〜〜いい? モラウ。哲学者の関心は、通常、「意識」に向けられることが多かったんだ。
〜〜〜しかし、フランスのヒューマン哲学者、メルロ=ポンティは、「身体」について哲学的に考察したんだ。
〜〜〜「人間は身体によって知覚する」
〜〜〜身体に備わった目、鼻、口、肌などの感覚器を通じて、外界の「モノ」を把握する。
〜〜〜人は「身体図式」という機能を持っている。
ドーン!
ドーン!
「お、怒らないって言ったじゃないか!」
「怒ってないわよ! イライラしただけ」
「そ、そう?」
ニョイーーーーン
ニョイーーーーン
〜〜〜身体が感じた感覚を結びつけて、そこから意味を把握する力、それが「身体図式」。
―― モラウ・ボウの激高充填率: 40%
〜〜〜「心」じゃなく「身体」が
「何を?」
「パンt……あらゆる事を、さ」
「ふーん?」
ニョイーーーーン
ニョイーーーーン
〜〜〜そして、人は同様の構造の身体を持っているからこそ、同じ意味を互いに共有できる。
〜〜〜同様の身体があるから、相手を理解し、意志疎通できる。
〜〜〜メルロ=ポンティは言ったんだ。「私とは、私の心ではなく、私の身体なのだ」って。
「……身体が大事って、言いたいのね? その哲学者さんは」
表情を消したまま、モラウ・ボウが言った。
「そう! まさにそういうことだよ! 」
コムロは表情と手振りは、「モラウが見事に哲学思考を理解した」ことを示すには、やや大げさだった。
「……で? 誰の身体が大事だって、さっきコムロは考えてたわけ?」
「え、ええと……」
――こういうタイミングでの女性は、極めて鋭い感覚を発揮する。
返答に窮したコムロは、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)越しに接続されているカントム先生にヘルプサインを送った。
「哲学的な話だよ。ね、ねぇ。そうでしょ? カントム先生?」
カントムの
『我は人間のような身体図式を持たない。従って、コムロの質問の意味は理解できない』
―続く―
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