20 シューとプティ
「プティ。焦って理解しなくてもいいんだぞ」
シュー・トミトクルが、傍らにいる少女の頭を、ポンとたたく。
さらりとしたセミロングの黒髪が、少し、くしゃっとなる。
「……難しいですよお、先輩」
プティと呼ばれた少女の泣き言。
戦艦ヤンデレンの居住ブロック近くに設けられた、絨毯敷の明るい図書室で、2人は、学習を行っていた。
◆
シューの予想は当たった。
戦艦ヤンデレンは数名の
その発表の際、プティは、歓喜と、それ以外とが入り混じったような、少女にしては少し複雑な表情を見せた。
発表会場が見下ろせる、少し高い位置に置かれたヤンデレン代表側席から、それを目撃したシューは、人知れず、ほっと胸をなでおろした。
プティが選ばれた事についてではない。
――彼女の表情の中に「責任」の色を見たように感じたからだ。
ティーチャーはそもそも、「リーダー」を育てる為にの存在であったのだから、これは「栄達」とも言える。その点で喜ぶのは良いだろう。
しかし、その先に待っている現実。
それは――
「両陣営のリーダー候補同士の殺し合い」
競争原理とは言え、これはあまりに過酷な道。
人という種の繁栄の為に、生命をも賭さなければならないのだ。
「焦ってもしょうがないぞ?」
シューはプティに再度、やさしく声をかける。
「でも、私もせんぱいのように、早く賢くなって、せんぱいを助けたいです」
プティは顔をくしゃっとして、しかし、シューの方は見ずに、そう言った。
――
「お前は、戦場に出なくても良いんだ」
そう言いたくなる衝動を堪え、シューは、次の言の葉を紡ぎ出した。
「まぁ……分からない事は聞け。それなりに、教えてやるから」
◆
学習中、指揮官のサン・キューイチが、図書室に様子見にやって来た。
相変わらず、その右手には乳酸菌飲料の紙パックが甘握りされている。
「進んでいるか? チュウー」
「はい、順調に進んでおります」
シューは、プティから少し離れた所に座って、腕組みをしながらプティの理解状況を観察していたのだが、その椅子から立ち上がり、「おにぎり」の敬礼で上官への敬意を示した。
――プティは書に集中していて、敬礼をしそびれた。
サン・キューイチは、プティのその非礼については興味が無いようだ。シューに対し、普通に、おにぎりの敬礼で返す。
「そうか。今、どの当たりを学んでいるのだ?」
「はい。我がリバタニア軍の現状と、政治系哲学者についてであります」
背筋を伸ばして答える、シュー・トミトクル。
「そうか。政治絡みは、訓練時にはろくに教えないからな。はげめよ」
サン・キューイチはそう言って、右手の紙パックに入った乳酸菌飲料を飲みつつ、左手に下げられたビニール袋を、シューに手渡した。
シュー・トミトクル用の赤パッケージのコーラと、その後輩、プティ用のミルクティであった。
「良いとんちを生みだすには、糖分が必要だからな。プティはミルクティで良かったか?」
サン・キューイチが聞く。
学習に集中していたプティは、その質問に気づくまで、2テンポ程かかった。
「……あっ! あ、はい。ありがとうございます!」
机から慌てて立ち上がろうとしてアイボリー色のテーブルに軽く膝を打ちつつ、少女は頭をさげる。セミロングの黒髪が勢い良くファサッと垂れ下がり、そして元の位置に戻る。
「差し入れを頂き、感謝致します」
シューはおにぎりの敬礼で返す。
「堅苦しくしなくていいぞ。戦闘配置でもないんだし。
そう言い残して、サン・キューイチは図書室から退室した。
◆
現在。リバタニアでは、「リバタリアニズム」が主流になっていた。
――
リバタリアニズムにおいては、「個人の自由」が優先される。
それは、かつてのヒューマン哲学者、イマヌエル・カントの「個人の尊厳」を重視する思想も、源流の一つであった。
「小さな国家機能」を目指す思考。個人の自由を奪うおそれのある事項が、政治の世界から尽く排除されていった。
その結果、どうなったか?
富める者に、ほぼ全てが集中する世界が現出した。
かつてのヒューマン哲学者に、カール・マルクスという人物がいる。
「資本主義の終焉」を予言した人物だ。しかし、資本主義は、終わりを告げるどころか、より一層、力を、そして、格差をつけていった。
かつてのヒューマン哲学者に、ハンナ・アーレントという人物がいる。
アーレントは、政治の核心は「言葉と説得」であると主張した。また、人が行動する世界を、
アーレントはマルクスに対しても、「労働」を人間の本質に置くのは誤りであると主張した。
いわば、経済活動自体を批判した事になるかもしれない。
しかし、経済社会の、政治領域や家庭領域への侵食は、より一層、広がっていった。
そして生まれた世界。
「社会的な」力を持つ者が、国家が定める法の代替として「実質的なルール」を決める世界。
「自由な尊厳」に基づく「自由な契約」の名の下に、搾取が進む世界。
各個人間の力関係は、決して平等ではない。
国による課税は、個人の財産の自由を侵害する「強制労働」のようなものであると、かつてのヒューマン哲学者、ノージックも述べている。
契約の「自由」という名の下に、搾取される側の「自由」が奪われる構造となったのは皮肉である。
そして、地球における、「
これが、公には『反乱勢力』と呼称され、一般には『網を抜け出た者』と呼称される、「フロンデイア」が設立される萌芽となった。
――
今から60年程前、概念宇宙暦
新たな資源を外宇宙に求めた人類。
フロンティア・スピリットを胸に携えて漆黒の空間に乗り出した
しかしそれは、
外宇宙に出るリスクは、
得られた
これに対して反発が起こるのは、感情としては、自然であったといえるだろう。
辺境の第三惑星テーラコヤを拠点としていた
惑星名「テーラコヤ」は、当時の開拓者のリーダーであるイトウ=ヒロブミンが、
しかし、開拓者共の勝手気ままを認める、
リバタニアにしてみれば、フロンデイアの開拓者どもは、「搾取対象である、辺境の労働者」にすぎない。
搾取に慣れ、権力、情報を欲しいままにしていたリバタニアは、フロンデイア政府の樹立を公認せず、「異端者の集団」として彼らを扱った――
◆
「――どう考える? プティ」
学習がそれなりに進んだと思われるタイミングを見計らい、シューが声をかけた。
「ええと……リバタニアと、フロンデイア。どちらの気持ちも、分かるというか……」
プティはそう答えた。
「まぁ……そうだろうな」
シューは相槌をうつ。
人には、「欲」がある。
業と言い換えても、良いかもしれない。
一方、相対的に不遇な環境に置かれた者が、
双方、人として自然な思考なのだ。
「何か、両者をまとめる良い方法は無いんですかね……せんぱい?」
黒髪の少女は、おずおずと聞いた。
「……現実には難しいだろうな……」
そう答えるシューに、黒髪の少女は表情を曇らせる。
(現実は、甘く無いのだ……)
シューのその考えは、自らの経験から来たものだった。
甘い世界。
現実が、もしそのような世界であれば、あの少女は、何故死なねばならなかったのか?
栗色の髪の妹、セシルは。
「ふう……」
シューはため息をつき、自らの過去への思考を、体外に追い払った。
「ティーブレイクにするか。司令官からの差し入れもあるし」
シューのその提案に、目の前の黒髪の少女、プティの顔がほころんだ。
「ケーキもあるんですか? せんぱいお手製の」
そう言って両手を胸の前で組み、表情を崩すプティ。
「ああ。今回のは、自信作だぞ」
シューは握りこぶしで、胸をドンと打つ。
「コーラとケーキじゃ、どちらも甘くて、味わかんなくなりそうですね。あはは♪」
プティはそう言って、声をあげて笑った。
「俺の舌なら、大丈夫なんだよ」
あまり反論になっていない事を言い捨て、シューは自作のケーキを取りに、部屋の隅の冷蔵ケースへと歩き出した。パティシエ上がりのシューが、戦艦ヤンデレンに無理やり持ち込んだ私物だった。
――妹に対して出来なかった事の、代償行為なのかもしれない。
その認識を顕在意識下に捉えつつ、シューは、自作のホールケーキを切り分け始めた。
―続く―
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