15 ア・ポステリオリの力 (第一部最終話)
ヒュームリオンの両手から、電光石火で打ち出される
コムロは止めようとするが――
(間に合わない!)
コムロの反応速度は、人間のそれであった。
コムロの脳裏には、
ヒュームリオンから放たれた凶悪なエネルギーボールは、カントムの横をすり抜け、戦艦ハコビ・タクナイへと――
プショ! プショプショ!
プショプショ!
『ほう!』
「なッ!」
ヒュームリオンと、それに乗るシュー・トミトクルの声が
存在そのものを否定するような
「ぐううううう!」
激しく揺れる、カントムの機体。
コムロはパイロット・ベルトを締めていたが、前後左右に振られて
「なにがあったというのだ!」
必中必殺の自信を込めて放った
撃墜は、間に合わなかったはずだ。
それは、コムロの力ではなく――
「カントム……先生?」
コムロのその問いに、彼が搭乗する「ニョイニウムの塊」が、紫色のブレードを携え、答えた。
『ア・ポステリオリ・ブレード』
純粋理性を示す「青」から、経験を示す「紫」へ。
――「後天的な」「経験的な」を意味する概念「ア・ポステリオリ(a posteriori)」。
――「先験的な」「超越的な」を意味する概念「ア・プリオリ(a priori)」の、「対」になる哲学概念。
――その意を冠する、紫色の棒状物体。それが、ア・ポステリオリ・ブレードだった。
「カントが、経験論だと!」
シューはそう叫んだ。
ン”ン”ン”ーッ!
プショ! プショプショ!
コムロがその撃墜指示の問答を始めるよりも早く、カントムは凄まじい速度で機動。迫り来る
「
狼狽するシュー。
『カントも、経験論に基づくか……』
冷静にコメントする、ヒュームリオン。
――そうなのだ。
かつてのヒューマン哲学者イマヌエル・カントは、イギリス経験論のヒューマン哲学者ディヴィッド・ヒュームの哲学に出会い、『独断のまどろみから目覚めた』と述懐した。そして彼は、「ヒュームの超克」の旨を宣言したのだった。
カントの著書『プロレゴメナ』において。
しかし、ならばどうして、「経験の力」であるア・ポステリオリ・ブレードなのか?
自らも『コックでもわかる哲学入門』を電子出版した、パティシエ上がりの青年、シュー・トミトクルが、混乱するのも仕方のない事だったのかもしれない。
『我は、イマヌエル・カント自身ではない』
「なに?」と、シュー・トミトクル。
『イマヌエル・カントは、我がベースにすぎない』
「では、貴様は一体なんだ!」
◆
コムロは、カントムの回答を予期していた。
自分が初めてカントムに搭乗した時、ニョイニウムの塊は問うた。
『我は、何者ぞ』と。
コムロは答えた。
「汝は、哲学的ゾンビなり!」と。
<外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(クオリア)を全く持っていない人間>
それが、哲学的ゾンビの定義。
人の思考に応じて形を変えたり、変な音を発したりするこのニョイニウムの塊が、外面的には普通の人間と全く同じように振る舞っているとは、正直コムロには思えなかった。
だが、そう答えたコムロにカントムは応え、コムロをここまで導いてきたのだ。
そして、カントムの回答。
――
『我は、
「え?」
「え?」
3度ずらしでハモる、コムロ・テツ、および、シュー・トミトクル。
そして数瞬、2人は言葉を失った。
――あまりにも自明な回答。
そもそも、次世代の指導者を育てる金属の塊「ティーチャー」を武装化したのが、
「な、何をあたりまえの事を!」
シュー・トミトクルは、自分が愚弄されたかのように激高した。
カントムは、再び答えた。
『教師である我も経験したのだ。一人の少女が、我の
「な、なにを言って……」
困惑を隠せない、シュー・トミトクル。
『ふむ。ほどなるほどなる』
謎の業界用語的に、納得気な声を出す、ヒュームリオン。
そして、カントム。
『我が、2人目の
――それは、以前、悩むコムロの代わりに出撃し、シューが駆る
◆
「わ、私?」
彼女の握ったニョイニウム製の棒、ニョイ・ボウが、
ニョ? ニョ? ニョ?
と、にょらいクンのように混乱した音を発した。
――にょらいクンは、「ニョニョー!」が口癖の、かつてのテレビタレントで、頭に如来の縫いぐるみを被った芸能人だった。
◆
『我に搭乗し、議論を交わした人間。それは、
カントムが、息漏れのある癒やし低音ボイスで語る。
―― ――
「な! ……るほど。そういう――ことか!」
ピカカキ! ピカカキ!
コムロの理解が、カントムのニョイニウムを鳴らす。
―― ――
「
ナンダヨウ! ナンダヨウ!
シューの苛立ちが、ヒュームリオンのニョイニウムを鳴らす。
―― ――
「私に分かる言葉でしゃべりなさいよ!」
ドーン! ドーン!
モラウ・ボウの激高が、その手のニョイ・ボウを鳴らす。
―― ――
『生徒を守る。それは、哲学者以前の、ティーチャーとしての、当然の我が日課である。……散歩と同様に』
穏やかな低音ボイスのカントム。
――かつてのヒューマン哲学者、イマヌエル・カントは、毎日決まった時間の散歩を欠かさず行っていたと言われている。
「……ふ、ふはは! いいだろう! 分かったよ!」
しばしうなだれ、沈黙していたシュー・トミトクルは、顔を上げ、笑った。
「経験と、経験の勝負か! それならば負けん!」
シュー・トミトクルは気合いを入れ、フットペダルを踏んだ。
――パティシエ時代の苦い経験。
――今は後方で考え事にふけっているはずの
――新たな
彼のこれまでの経験を、ペダルに込めるように。
ドッシュウウウウウウ!
前進するヒュームリオンの手には――
接近戦には剣が有効であろう。
しかし、シューがこの新しい
それを徹底する。
素手におまんじゅう。
ただし、「巨大な」。
既に、カントムの口に入るサイズを軽々と凌駕するほどに溜められたエネルギーボールを両手に持ち、それぞれ振り回す。
――いじめられっ子がキレたときのように。
そのスピードは凄まじく、本来は球体であるはずの巨大なおまんじゅうが、バットに当たった瞬間の野球ボールのように、にょんにょんとひしゃげた。
「正しい経験は、1つじゃないだろ!」
コムロは、カントムと共に立ち向かう。
――偉大な敵手に。
紫色のア・ポステリオリ・ブレードを、
ブレードを突き立て、突進するカントム。
迎え撃つ、ヒュームリオン。
――コムロもまた、経験しながら思考を進めてきたのだ。
彼は、圧倒的多数のマイケノレ・サンデノレ隊を経験した。
人を死に追いやる「戦争」について、悩んだ。
モラウを救いたいと思った。
etc.
これらの経験は、決して、シューに劣っているとは思えない。
その先にあるのは
――ニョイニウムと交わした「思考総量」の勝負。
その点で、コムロに一日の長があった。
シューは機体の乗換えをしたばかり。いかにヒュームリオンが高出力機体であると言え。
それは、経験から生じる、
衝突する、ヒュームリオン左手の巨大な
ヒュームリオン右手の、もうひとつの巨大な
そして、ブレードによる突きの勢いをコマ送りのように吸収すべく、ヒュームリオンの巨大な
つるん!
刃を返すようにして、カントムはブレードの軌道を変える。
カントムは、ヒュームリオン右手のカウンター攻撃を、体をよじりながらかわしつつ……
――ヒュームリオンの機体の……内側へと――
――さくさくっ。
カントムが突きだした刃が、ヒュームリオンに届いた。
『なんじゃあこりゃあ』
ヒュームリオンは、胸元をやられた時のお約束を、経験知として知っていたようであった。
「チッ! まずい!」
短く舌打ちするシュー・トミトクル。
ンンンンン…… ズオッ!
ヒュームリオンは、頭部の小さな
同時にスラスター。
刺さった紫色の
◆
カントムは、ヒュームリオンを途中まで追走した。
――戦艦ハコビ・タクナイとの距離が離れるまで。
「よし、もう大丈夫だ、と思う」
コムロは、敵とハコビ・タクナイとの距離が充分に開いたことを確認し、カントムをUターンさせた。帰還コースだ。
◆
帰途につく、ヒュームリオン。
スペック、機において優っていたはずであった。
「また……やられたか」
シュー・トミトクルは、損傷箇所をモニターでチェックした。
結果、撤退の判断は正しかった。
戦闘継続は困難なダメージだったのだ。
『さすがに、この損傷状態は危険だ。爆発が懸念される』
そう言うヒュームリオン。
「先生。損傷と爆発との間の因果関係も、ヒューム的には否定されるのでは?」
皮肉のように、そう聞く。
『主観的な因果の話だ』
と、冷静なヒュームリオン。
シューは、ため息を1つ。
「敵は――
―続く―
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