11 ヒュームリオン、赴任。早速の懐疑思考
紅い戦艦「ヤンデレン」。
「デカルトンの調子はどうだ?」
乳酸菌製品のパックを片手にそう尋ねる上官、サン・キューイチの表情は、晴れなかった。
「……しばらくダメのようです。完全に思索にふけっています」
シュー・トミトクルは、球形のブースである、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)の中で、
先の戦いを終えて――
デカルトンは、接触した敵の
そして、敵のパワーダウンに乗じて、敵の右腕をポーロリーと切断。あと一歩で、完全に屠るところまで追い詰めた。
しかしそれは、「絵に書いたモチ」に終わった。
その原因は、敵側からの論戦のしかけ。
・『我思う故に我あり』の適用範囲について。
・『我思う故に我あり』を導くために『捨て去った事項』の中に、真理が存在しないとは言い切れない点。
古のヒューマン哲学者、デカルトをベースにした
敵の論点提起に乗ったデカルトンは、哲学的思索にふける「思考モード」に移行し、戦闘継続が不可能になってしまった。デカルトンは、そのうち新しい著述でも、始めるかもしれない。
この状態になってしまっては、しばし操縦も覚束ない。
「まったく、哲学者は、扱うのが大変だな」
シューの報告を聞いたサン・キューイチも嘆息した。そして、乳酸菌飲料をストローでシュゴゴと吸った。
「ええ……困ったものです」
シューは申し訳なさそうに言った。
――エネルギーがあっても、哲学者が愚図ったままだとダメなのだ。
とはいえ、学習結果のリセットを行うのも問題である。
「わかった。では、違う
上官であるサン・キューイチは、乳酸菌飲料を吸いながら、そう提案をした
「えっ! 新しい
シュー・トミトクルは驚いて、デカルトンとのBC(ブレイン・コネクト)を行うためのアルファ・コイル――
「ああ。フロンデイア軍に、振り切られそうだからな。上層部は、戦力増強で一気にカタをつけるつもりらしい。チュー、んごっ! ゲフッゲフッ!」
サン・キューイチは乳酸菌飲料をさらに吸ったのだが、気管に入ってしまったらしく、激しくむせた。
「閣下! 大丈夫でござりまするか?」
慌てたシューは、語尾が何やら武士っぽくなってしまった。赤面。
「ゲフッ! ……あわてない、あわてない。拙者は大丈夫でござる。新しいティーチャーは、明日
シューの語尾間違いに微妙に乗っかる程度の余裕が、サン・キューイチには見受けられた。
「どのタイプの
シューは、心持ち身を乗り出して尋ねた。
「ヒュームリオンだ。チュオー!」
サンは、懲りずに乳酸菌飲料を吸いつつ答えた。
「ヒュームリオン……ディヴィッド・ヒュームをベースにした
「イギリス経験論タイプの新型だ。なお、ヒュームリオンより後の赴任となるが、ジョン・ロックタイプの『ロックウェル』も配備されることに決まっている」
「……凄まじい戦力増強ですな」
シュー・トミトクルは嘆息した。今度は感嘆の方だ。
―ジョン・ロックは、かつての地球、イギリス出身のヒューマン哲学者であり、「イギリス経験論の父」と呼ばれている。
―ディヴィッド・ヒュームは、かつての地球、スコットランド・エディンバラ出身のヒューマン哲学者であり、ジョン・ロックの影響も受けた、イギリス経験論の一人である。
ヒュームは、それまで無条件に信頼されていた「因果律」までも、人間側の思い込みである事を否定できないとした。
また、ヒュームの哲学は、かつてのヒューマン哲学者、イマヌエル・カントにも影響を与えたと言われている。
「……ヒュームリオンを乗りこなすのは、骨が折れるだろうがな。貴様なら、おそらく出来るだろう」
サン・キューイチは、飲み終わった乳酸菌飲料のパックを握りつぶした。辺りをキョロキョロと見回したが、近くにゴミ・ボックスを見つけられず、しょうがないので、そのパックを右手に握ったまま言った。
「乗りこなしてご覧に入れます!」
シュー・トミトクルは、サンに対しておにぎりの敬礼をし、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)での作業に戻った。
******
****
**
豪奢な四角いテーブルには、真っ白なテーブルクロスが引かれていた。
大きな空間だ。光沢のある濃い茶色の壁を、燭台のローソクの火が照らす。
木製テーブルの前には、イスが一脚。
薄い水色のワンピースを着た少女が腰掛けている。栗色のロングの髪。上品さを感じさせる、くりっとした目。
一方、厨房に居るシューは、薄い金色で縁取られた、白い皿と格闘していた。
やや厚めのクッキー生地の上に、ナッツベースのソースを敷く。
その上に、長方形に薄く伸ばして固めたチョコレートを2枚載せ、2つの「屋根の層」を縦に形成する。
屋根の層とは別種のチョコレートで作られたフォームを、屋根の上に5つ連ねる。その上部に、受け用の窪みを5つ同形状に形成し、薄いオレンジが、その窪みのうちの、2つの領域を占めるようにする。
そして、屋根の層よりも、ずっと薄いチョコ・プレート。そのプレートを、
――ケーキにも流行や旬がある。
その先端を行くとシューが自負するデザイン・ケーキ、「チョコレートケーキ・スペシャリテ」が、白の上に出現する。
シューは自ら、慣れた手つきでそれを運ぶ。
「おまたせしました」
落ち着いた口調で、皿を、着席している少女の前に、そっと置いた。
まったく音を立てずに、テーブルの上に置かれた皿。
「うわあ」
少女から感嘆の声が漏れた。
シューは、自らの笑みを消す事ができなかった。プロとしての顔を見せたいのだが、どうしても、口角が上がってしまう。
「ごゆっくりお楽しみください」
シューは丁寧に頭を下げた。頭上の白い帽子は、やや丈の長いものだった。
「いただくね。お兄ちゃん」
少女は、テーブルに置かれたフォークを、嬉々として手にする――
その手が、空中で静止する。
「えっと、これ、どうやって食べればいいの?」
少女の疑問はもっともだ。
「好きなようにで良いんだよ。これは、セシルのケーキなんだから」
シューは、くすりと笑いながら答える。
「そうなの? ……じゃぁ、えいっ!」
フォークを上から下ろす。デザインケーキは一部崩れたが、フォークの先は、ケーキの、縦に連なった複数の層を受け止めていた。
――そして、一口。
少女は目をきゅっとつぶり、そしてパッと目を開いて、言った。
「おいしいよ! お兄ちゃん」
シューはいよいよ破顔した。
「嬉しいよ。セシル」
シューの目には、彼を「兄」と呼ぶ少女への優しさと、プロとしての自信とが混在していた。
**
****
******
……―! タ―! ワタ―! オワタ―!
……んあ、、あ?……
アラーム音で、シューは目覚めた。
頭がぼうっとしている。
目の前には、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)の、無機質な
そして、オワタ―! というアラーム音。
作業途中で、寝落ちしていたようだ。
クルーも気を利かせてくれたらしい。
(……夢、か……)
寝ている時に見る夢。
叶わなかった夢。
シューは、頭だけではなく、胸の辺りも、コイルできゅっと締め付けられたかような錯覚を覚えた。
息苦しいのは、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)の、ブースの狭さから来たもの……だけではないだろう。
(セシル、ごめんな……)
『因果律とは、主観的か? 客観的か?』
シューの感傷に割り込むように、ザラついた声が響く。
シューはその声に、違和感と、苛立ちとを覚えた。
夢を打ち砕く声。
見たくもない真実を、突きつける声。
ザラついた声は、先任ティーチャーのデカルトンが発する「耳が妊娠してしまうかのような囁き声」ではなかった。
(そうか……デカルトンからヒュームリオンへと、乗機変更をしていたんだ)
シューは、自分の思考が、少しずつクリアになっていくのを感じた。
「……客観的……とは言えないよな」
シューは、小さくそう答えた。
因果が外的であってたまるか。主観であれ。
主観なら、自ら否定することも可能であるものを。
今ここに居る原因をも、否定できるものであるものを。
……
『よろしい』
ヒュームリオンの声。
シューは、この声を好きになれそうにはなかった。仮に、真理を発する声だとしても。
「ええと、ヒュームリオン……先生。武装は、『ワレモノ』で良いですか?」
『
「なん、だと!」
一瞬、驚くシュー・トミトクルであったが……
「そうか。ヒュームだからか……」
シューはそう言って、納得気に顎をつまんだ。
――古のヒューマン哲学者、デイヴィッド・ヒュームはデカルト批判を透徹し、「コギト=自我」そのものの存在を、解体したと言われている。
自我(魂)は「共和国」に例えられる。
ある共和国が存在したとする。
共和国を構成するメンバーは、絶えず変化する。
……WANDSのメンバー編成のように。
――古のヒューマン・バンド「WANDS」は、かつて地球に存在したエキゾチックな島国、ジャパンにおいて、「大島」「上杉」「柴崎」の3人により、結成された。
後に「大島」が脱退し、「木村」が加入。(第2期WANDS)
更に後に、「上杉」「柴崎」が脱退。「和久」「杉元」が加入して、第3期WANDSとなった。
第3期WANDS(木村、和久、杉元)には、オリジナルの構成員である「大島」「上杉」「柴崎」の、いずれもが含まれていない。
この例が示すように、自我という共和国を構成する「構成員」が、絶えず入れ替わりながら、共和国は維持されているのだ。
とすると、自我(大島、上杉、柴崎)と、自我(木村、和久、杉元)は、同じものと言えるだろうか?
故に、
この観点からすると……
古のヒューマン哲学者、ルネ・デカルトが提唱した「
すなわち、
「WANDSとは何者であるか?」
従って、「我思う故に我あり」という概念から生じたデカルトン用の
「やれやれ……この
シュー・トミトクルはため息をついた。
頭をかこうとしたが、かぶったままの、丈の短いノーマル・コック・ボウに手がぶつかり、断念した。
……個包装のクッキーは美味しかった。
―続く―
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