07 え、マジ? アンタが行くの?
「マイケノレ・サンデノレ隊は、敗北したらしいですな」
戦艦「ヤンデレン」の簡素な一室。
「中央を突破され、撤退したそうだ」
指揮シートに座ったサン・キューイチは、特に表情も変えずに返す。
「犠牲を最小限におさえる、迅速な撤退指示、と評すればよいですかね。ゴクリ」
シューは指揮シートの右横に立ち、透明なプラスチック製コップに入ったコーラを、くいっと飲んだ。脳への糖分補給だ。
「数で押す。合理的な戦法だったがな。チュー!」
上官であるサン・キューイチは、乳酸菌飲料を愛飲している。白地に肌色の柔らかいパックには、ストローが刺さっている。彼は炭酸が苦手であった。
「戦いには、やはり数の側面はあります。
シューは、長いことしゃべった後、コーラをさらに一口。シューの喉を炭酸がシュワーと刺激する。
「これまでの敵であれば、十分に、数で対抗できたのだがな。チュチュー」
サン・キューイチは、順調に飲み進める。
「マイケノレ・サンデノレ隊は、安定した武勲を立てていました。半包囲作戦も、敵の
「今回は、敵が強すぎたな。チュー、シュゴゴゴ」
「予想外だったでしょう。カォロッカォロッ」
シューは、中味の減ったコップを回した。氷の音が、プラスチックのコップの中で鈍く響いた。
「お前が、撤退の憂き目にあう程の、相手だからな。ペコッ! シュゴゴゴ!」
サンは、乳酸菌飲料のパックを潰して斜めにし、残った液体をパックの隅に集めると、一気に吸い上げた。
「……申し訳ありません。次こそは。しかし、このコーラ、炭酸が強いですな」
シューはコップをテーブルに置くと、部屋の出口へと、颯爽と歩き始めた。
「追撃か?」
サンは、シューには目もくれず、飲み干した乳酸菌飲料のパックを、近場の大型ゴミ・ボックスへと放り投げた。やや狙いが外れたが、ゴミ・ボックスからの自動吸引により、パックの軌道は修正され、見事ボックスの中に取り込まれた。一瞬だけ、嬉しそうな顔をみせる、サン・キューイチ。
「食材と同様、鮮度は命ですから。それでは、行ってまいります」
パティシエ上がりの青年、シュー・トミトクルは、そういってサンへと向き直り、敬礼を行った。両腕で三角形のおにぎりの形を作る。
「ふむ。しっかり考えて、しっかり戦え」
上官であるサン・キューイチも、指揮シートに座ったまま、上半身だけを右にくいっと反転させ、両腕で三角形のおにぎりの形を作る。
……
シューの去り際に、サン・キューイチが、肩越しに話しかけた。
「しかし、その『強い敵』の情報、マイケノレ隊に教えてやればよかったかもな」
「ははっ。どこにだって、あるものですよ。『企業秘密』というものは」
シュー・トミトクルは、そう言い残して部屋を後にした。
◆
「修理と、新たな武器の整備は、どうなっている?」
シュー・トミトクルは、
「ハッ! 順調に進んでおります!」
おにぎりの敬礼をビシッと返す、薄い灰色の、つなぎを着た整備兵。
「かのヒューマン哲学者、ルネ・デカルトは言った。『我思う、故に我あり』と……」
「は、はあ……」と返す、整備兵。
「……貴様に議論をしかけても無駄か。学習が足りないぞ」
「至らぬ点、申し訳ございません」
整備兵は、ぺこりと頭を下げた。
「例えば、貴様。俺の存在を否定できるか?」
シューは、挑戦的な表情でそう聞いた。
「シ、シュー殿は、存在しているであります!」
緊張で、カチコチになっている整備兵。
「身も蓋もないことを言うなよ」
シュー・トミトクルは笑った。
その笑いにつられ、整備兵の緊張もとけたようだ。見るからにかたく上がっていた整備兵のいかり肩が、なで肩へと下がる。
シューは話を続ける。
「『俺が存在しない』とは、俺は言えないだろ? もし俺がいなかったら、俺の、この思考は、一体なんなんだ?」
「は、はあ」
整備兵は、シューの話を一生懸命聞こうとしている。それは、整備兵の伸びた背筋を見れば分かった。しかし、シューの話を正しく理解できている表情ではなかった。
「まあいい。これでも読んで勉強しろ」
シューはため息をつきつつ、白いコック服の腰のあたりから、携帯機器を取り出すと、画面を何度かタップ&スワイプした。「.epub」形式の電子書籍データが、整備員の持つ携帯機器へと、無線通信ネットワーク経由で飛ぶ。
シューは、整備兵の携帯機器から「バブン!」と、ダウンロード完了音がするのを確認してから、話を続けた。
「今送った電子書籍は、『コックでもわかる哲学入門』だ。俺が書いた本だから、複製権の侵害にもならない。整備の合間にでも、読んでおけ」
「了解しました!」
と、律儀に返す、つなぎ姿の整備兵。
整備兵との議論に飽きたシュー・トミトクルは、格納庫に鎮座する、巨大な金属を見上げた。
――この棒状武器の存在については、シュー・トミトクルとデカルトンとの間の対話も、完了していた。
「我思う故に我ありの真理を、そのまま武器とする。我の
シューは、両手を腰に当ててそうつぶやく。
「……真理を司る武器だ。その威力たるや、恐ろしい物があろう」
シューのそのつぶやきを受けて、先程の整備兵が、おずおずとした態度で報告を始めた。
「シュー殿。ブレード状態にしたワレモノの、あまりの切れ味の為、整備用の作業ランチが、バッサリと切れてしまいました。2時間ほど、前のことです」
シュー・トミトクルは怒鳴った。
「何をやっているんだ! 危ないから、『ワレモノ注意』のシールを貼っておけ。黄色の地に、黒字だ!」
「ハ! 承知しました!」
と、おにぎりの敬礼をする、整備兵。
それを見届けたシュー・トミトクルは、棒状の武器「ワレモノ」を見上げながら、自らに向けて小さくつぶやいた。
「さぁ――行くか」
―― 敵に、絶望を喰らわせるために。
―― より絶望的な、絶望を。
********
……パカッ!
宇宙を行く戦艦「ハコビ・タクナイ」の下部ハッチが、もったいぶった様に開いた。
戦艦が迎え入れようとしているのは、
敵の
――運びたくないのかもしれない。可能な限り。
……
……
「コムロ、お疲れ様!」
無事帰投したカントムから降りるコムロ・テツ少年を、幼馴染の少女、モラウ・ボウが出迎えた。
彼女の左手にはニョイ・ボウ。
右手には、アイスミルクティーの白い紙コップが握られていた。シュガー・ポーションが2つ贅沢に投入された「甘め」に仕上がっている。たくさん思考を回したコムロの「脳への栄養」を補給するためだ。
「……」
コムロは何も言わず、紙コップを受け取り、一気に飲みほす。
コムロの体に、冷たい感触と、糖分が染み渡る。
「ありがとう」
空になった紙コップをモラウ・ボウにつっかえすと、彼は艦内を歩き始めた。
「ちょっと! コムロ!?」
コムロは考え事をしている。幼馴染のモラウにはそれが分かった。モラウは黙ってコムロと一緒に歩き始めた。
「コムロ、よくやったぞ!」
「すごいじゃないか!」
戦艦の通路で出くわすクルー達の表情は、総じてにこやかだ。
どこに行っても、賞賛の嵐。
――それはそうだろう。
元々、コムロ・テツ少年は軍人ではない。
父親は軍属ではあったが、息子のコムロは、ただの「哲学好き」に過ぎなかった。
それが、「戦う金属」であるカントムと対話し、圧倒的多数の敵部隊を一蹴したのだ。
しかし、コムロは終始、うつむき加減で艦内を歩きまわっていた。
そこに出くわしたのが、艦長のキモイキモイであった。
キモイキモイは、戦闘配置が解除されたので、ブリッジの指揮権を一旦、他の者に預け、自室で休息を取ろうとしていた。彼の部屋では、41度を超えるお風呂が待っていた。
コムロの表情と、その横のモラウ・ボウの表情から、キモイキモイは状況を察した。
「コムロ。お前はよくやった。だが、悩むなら、せめてBPC(プレイン・パワー・チャージャー)の中でやってくれ」
艦長の、冷徹な指示が飛ぶ。
確かに、先の戦いで消費したニョイ・エネルギーを再び蓄積するには、膨大な思考量がいる。
どうせグチグチと考え事をするなら、チャージャーの中で悩んで、カントムの蓄積エネルギーへとそれを転換した方が、効率的だろう。
キモイキモイの指示は、合理的であった。
――艦長は、ただのキモい人ではないのだ。
カントムのエネルギーを蓄積する為のBPC(ブレイン・パワー・チャージャー)は、マンガ喫茶のブースを、広くしたようなスペースだった。
一人カラオケで訪れた、カラオケボックスの5人部屋程度の広さである。
薄暗い部屋の奥の、黒いフラットシートにバタンと倒れこみ、寝っころがって悩み続ける、コムロ少年。
~~~~
カントム先生とは、戦闘中に対話した。
かつてのヒューマン哲学者、フッサール的な解釈について。
――エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサールは、オーストリアの哲学者であり、数学者だ。寿限無・寿限無ではない。
フッサールは、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱した。この現象学は、ハイデガー、サルトル、メルロー=ポンティらの後継者を生み出して現象学運動となり、政治や芸術にまで影響を与えたと言われている。
要は、「俺、実は、水槽の中に浮いてる脳なんじゃね?」という疑いを否定できないので、原子だとか、物理法則だとか、そういうのは「思い込みにすぎねぇじゃん!」と考えた人物である。
敵の弾丸を、仰け反ってかわしそうだ。
『前方に敵の大群が居ると、コムロが思い込んでいるだけじゃね? ホントに居るとは限らないんじゃね?』
マイケノレ・サンデノレ隊の大群に突入すべく、スラスターを噴射する前のカントム先生は、このことを言っていたのだ。
そして、その後。
敵に
その時確かに、コムロの心を、一瞬の高揚感が突き抜けた。
しかし、その高揚が収まってみると、彼は後悔を感じずにはいられなかった。
コムロの脳裏には、あるシーンが甦る。
敵のマイケノレ・サンデノレが、カントムのア・プリオリブレードで、「プニョンプニョーン!」と、真っ二つに切断されていく様。
ヒューマン哲学者、フッサールの言に従えば、それはあくまで、コムロの脳が見せている幻なのかもしれない。「現実では無い」という可能性は否定できない。
でも、自分は確かに、人の生命を奪ったのだ。コムロはそう感じた。
自分の認識では、そうなのだ。
(僕は――あの時、あの行動で良かったのか?)
敵の集団に突撃する前に、カントム先生が与えた「もう1つの問い」が、今になってコムロを苦しめていた。
『その行動の動機は、自律的であると言えるだろうか?』
カントム先生は、そう問いを発していた。
それが、かつてのヒューマン哲学者、イマヌエル・カントの思想。
(僕の行為は尊いのか?)
(自律ではなく、他律にすぎないのではないか?)
(敵の彼らも人間だ。理性を持った人間だ)
(理性は、尊重されるべきである、という、カントの教え)
(自分は、それを尊重したといえるのか? 生命を奪っておいて……)
~~~~
コムロは、いつもは22時半頃には寝る。
そんな彼が、夜の0時をまたいでも、一睡もできずに、ただ壁を見つめて、膝を抱えて、考え込んでいた。
カントムのエネルギーを蓄積する為の装置、BPC(ブレイン・パワー・チャージャー)の部屋の中で。
大量の思考エネルギーを送り込まれているカントムは、堂々めぐりなコムロの思考に感応して、一周まわって戻ってくるポン・デ・リングのような形態になっていた。コムロの苦渋の心を反映した、コーヒー色の。
(人とは何だ?)
(尊厳とは?)
(その尊厳を踏みにじる、戦争とは?)
(敵を倒す事を是とする、国家とは?)
(ルソーによれば、国家なんて、社会契約により出来た存在にすぎないのでは、なかったか?)
困った時に、ついつい、余計な事まで考えてしまうのが、哲学好きが備える気質である。
――コムロは、思考の泥沼へと入って行った。
◆
朝が来た。
「おはようございます、艦長。……カントムのエネルギーゲインが、凄まじいことになっています」
ブリッジにいる、当直の男性オペレーターからの無線通信。
「コムロは、相当悩んでいるようだな」
艦長のキモイキモイが、ベッドで軽く伸びをしながら、通信機越しにそう返す。
キモイキモイは、寝巻きから、白い地に理性を司る「青」をあしらった制服へと素早く着替えると、足早にBPC(ブレイン・パワー・チャージャー)のブースと向かった。コムロの様子を見るのだ。
戦艦は大きい。艦内移動にも時間がかかる。
その為、一部の士官には、高速移動用のキック・ボードが支給されていた。
キモイキモイのキック・ボードは、機能美を追求したオーソドックスなタイプのものであった。艦長なのだから、少しはデザイン的に凝った物を選ぶ事ができたのだが、彼にはそういう趣味が無かった。ボードの裏に、黒い油性マジックで、「艦長用」と大きく記載されているのが、通常の使用状態で、これの文字が人目に触れることはない。
キモイキモイがキック・ボードで、BPCブースの前までたどり着く。
そこには、イライラしたような表情のモラウ・ボウが、壁にもたれて座っていた。
モラウの左手に握られたニョイ・ボウが
ニョイーーーーン
ニョイーーーーン
と、断続的に音を立てながら、リラックスの為のα波を発生させている。
「コムロが、ブレイン・パワー・チャージャーから、全く出ないんです……」
と、モラウ・ボウが言う。
モラウはどうやら、コムロに朝食を運びに来たらしい。
しかしコムロは、まったく食べる気配もなく、ずっと考え事に時間を費やしているとのことだ。
キモイキモイが、ドアの外から小窓越しにBPCの中を覗くと、コムロはヒザを抱えたままであった。
入口付近におかれた朝食トレイには、ホワイトシチューに、パン、タマゴ入り野菜サラダに、ホットコーヒーが載っていた。
しかし、シチューもコーヒーも、既に湯気を発してはいなかった。
いつもならばすぐに激高するモラウ・ボウも、今の状態のコムロには、かける言葉が見つからないようで、モラウとキモイキモイは、ただ外から心配げに見守るしかなかった。
無言で、モラウ・ボウの肩をポンポンと叩く、キモイキモイ艦長。
「うわ! セクハラ! キモいキモい! 艦長!」
そんなくだらない事を言う心の余裕も、モラウ・ボウには無いようであった。
――
――
モラウ・ボウは、物事を単純に理解する。
難しいことはモラウには分からない。コムロが今、何を考えているかも分からない。
しかし、おそらく――
「敵を殺した。その後悔で、いろんな事を考えてしまっている」
そういう状態に有るのだろう、という事だけは、モラウには推測できた。
昔、学校に入りたての頃から、コムロは一人、考え事にふける事が度々あった。
その時のコムロは、
そして彼は、しばらく経った後、ふと気がついたように、思考の世界から現実へと戻ってくるのだった。
それを待って、モラウ・ボウは、もらい物のダイコンやゴボウで、味噌汁を作ってコムロに飲ませる。
「あったかいな」
コムロは、ぼそりとそう言う。
それがいつもの事だった。
壁際にもたれて座ったまま、モラウ・ボウは、思わずつぶやいた。
「早く――戻って来なさいよ?」
その時だった。
フィーーーヨン! フィーーーヨン! フィーーーヨン!
敵襲を示すサイレン。
「コムロ!」
モラウが大声でコムロに呼びかけるが、コムロは気づかない。
見かねたキモイキモイ艦長が、BPCのハッチをドンドンと叩いた。
「敵襲なんだぞ!」
と怒鳴る艦長の声に気が付いたコムロは、怒っていた。
「人を殺せっていうんでしょ!」
「コムロ! お前がやらなきゃ、こっちがやられるんだ!」
「わかってますよ! でも、人を殺して良いっていんですか! 尊厳に値する、人の理性を!」
「そんな難しい事は、後で考えればいいだろう!」
「簡単には行きませんよ! そんな他律的な行動!」
……BPCのハッチは、内側からロックされていた。
「だめだ! 取り付くしまがない」
そう判断したキモイキモイ艦長は、BPC内にいるコムロを小窓越しににらみつけながら、インカムを操作し、当直中のブリッジへと指示を出した。
「戦艦ハコビ・タクナイ、急速後退だ! とにかく、後退して時間を稼げ!」
――しかし、ブリッジから帰ってきた報告は、恐ろしい事態を告げていた。
「艦長! 敵のスピードが異常です! 単機と思われる光点が、先の戦闘で撃退した大軍の、およそ3.14倍のスピードで接近します!」
「円周率かッ! 小数点以下は切り捨てればいいのにッ! くそッ! こまかい!」
キモイキモイ艦長は、右足の軍靴で床をドンッ! と蹴りつけた。
――戦いの最中だからこそ、「ゆとり」は大事なのだ。
ドーン! (モラウの激高音)
α波発生のための、ニョイ・ボウのニョイーーーーン音は、響かなかった。
その代わり――
フオーー! ゴロゴロゴロ!
キモイキモイが乗ってきたキック・ボードが、動き出す音がした。
「お、おい!」
キモイキモイが振り返ると、キック・ボードの上には、モラウ・ボウが居た。
「おい! モラウ君、どこに行く! それは棒じゃないぞ!」
「艦長! 借ります!」
そう言ってモラウ・ボウはキック・ボードに乗り、急速に遠ざかる。キモイキモイの制止は間に合わなかった。
「――コムロにばかり、任せてちゃダメ! 行動しないと! 私が!」
モラウ・ボウを乗せたキックボードは、格納庫へと向けて疾走した。
―続く―
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